「レジ袋の有料化」だそうす。
なんだか外交などの大きい問題に好進展が望めないから、号令をかけやすいところから「ちょっとずつ」との赴きもしないではありませんが…。
結婚したばかりの頃はスーパーの袋は茶色の紙袋でした。買い物袋持参から紙袋に変わりつつある頃だったのでしょうか。
私の若い頃の「ココロの覚書」には、当時仕事を辞めて主婦になり、買い物袋を下げてスーパーに買い物に行く生活がちょっと居心地が悪かった覚えが残っています。
「(資格試験の勉強のための)図書館通いしており、その帰り道に夕飯の買い物」と。
「ちょっと、寄り道だから紙袋を持っているのだよ」と。
そう自分自身に言い訳しておりました。
それから、すっかり世の中は簡便なほうに来てしまっていて、大勢は安直なレジ袋利用者。買い物袋を下げている人は、環境に深い理解のある人というイメージになっています。
ゴミの分別収集も徹底してきて、プラスチック包装容器類を区分けすると、「燃えるゴミ」は殆どなくなります。
だけれども、豆腐や醤油、味噌、砂糖とどれもこれもパック詰め、袋入りになったから、仕事帰りに「ちょっと買い物」ができるし、仕事と主婦の掛け持ちも可能になったことは確かだから、私的には『レジ袋は悪者』みたいに言うのは、ちょっとネ」と、いうところです。
散歩の時の犬のウンチ袋として、再利用しているし…。
でも、まあ、最近はゴミ捨てように再利用することもできなくなったし、もてあましている家庭が大勢なのだから、禁止は了解すべきことなのでしょうね。
上述のとおりのまったく個人的感傷から、私にとってのスーパーの袋は、「キッチュな主婦ですよ。まだまだ資格とって頑張るんです」と頑張っていた、若かった頃の思い出と結びついているんです。
なんだか外交などの大きい問題に好進展が望めないから、号令をかけやすいところから「ちょっとずつ」との赴きもしないではありませんが…。
結婚したばかりの頃はスーパーの袋は茶色の紙袋でした。買い物袋持参から紙袋に変わりつつある頃だったのでしょうか。
私の若い頃の「ココロの覚書」には、当時仕事を辞めて主婦になり、買い物袋を下げてスーパーに買い物に行く生活がちょっと居心地が悪かった覚えが残っています。
「(資格試験の勉強のための)図書館通いしており、その帰り道に夕飯の買い物」と。
「ちょっと、寄り道だから紙袋を持っているのだよ」と。
そう自分自身に言い訳しておりました。
それから、すっかり世の中は簡便なほうに来てしまっていて、大勢は安直なレジ袋利用者。買い物袋を下げている人は、環境に深い理解のある人というイメージになっています。
ゴミの分別収集も徹底してきて、プラスチック包装容器類を区分けすると、「燃えるゴミ」は殆どなくなります。
だけれども、豆腐や醤油、味噌、砂糖とどれもこれもパック詰め、袋入りになったから、仕事帰りに「ちょっと買い物」ができるし、仕事と主婦の掛け持ちも可能になったことは確かだから、私的には『レジ袋は悪者』みたいに言うのは、ちょっとネ」と、いうところです。
散歩の時の犬のウンチ袋として、再利用しているし…。
でも、まあ、最近はゴミ捨てように再利用することもできなくなったし、もてあましている家庭が大勢なのだから、禁止は了解すべきことなのでしょうね。
上述のとおりのまったく個人的感傷から、私にとってのスーパーの袋は、「キッチュな主婦ですよ。まだまだ資格とって頑張るんです」と頑張っていた、若かった頃の思い出と結びついているんです。