日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

今日も連投。

2021-06-30 18:48:21 | 私の雑感あれこれ
懸案事項がひとつ解決。
我が家はFAX付き電話です。
問題なのは、最近役所や企業のカスタマーセンターに電話すると、ほぼ自動音声で、「該当する番号を押してください」のパターンに進む。〇〇の方は△、□の方は◎。該当する番号を押してください、と続く。
そこでストップ。押しているのに、相手からは信号が届かないので、もう一度、とくる。
なんど押しても同じ。嫌気がさしてしまう。
スマホでもOKの場合はスマホからかけて事なきを得ることもあるが、できたら家電から0120で始まる番号にかけたい。
先日FAX受信が途中で止まって、取扱い説明書をのぞき込みながら、予備のインクと交換したばかり。
今回も、「困ったとき」の事例として記載がないものか、と調べたがない。
カスタマーセンターの番号があるけれど、該当する番号が先方に伝わらないのだから、質問先にもアクセスできません。
FAX番号が書いてあったので、書面にしようとPCの前に座ったら、今時FAXよりもPCで検索すれば、、、と方針変更。
PCでググると、LINEの友達追加して、パナソニックの指定されたQRコードからアクセスして、チャット形態で問題解決を探る、という流れ。でも、私が不都合に思っているケースには行き当たらない。
で、結局はスマホから電話。
スマホだと、該当番号をタッチすると次に進むことができる。
ようやく、電話口の人と会話できて(混みあっている、が何度も繰り返されたけれど)、こちらの問題点を伝えた。
すると即理解してくださり、解決できました。
電話機に問題があるのではないこと。電話回線がプッシュホンではなくダイヤル式回線になっている場合は、そうなるのだと。
解決法としては、番号を押す前に「米」マークを押してから指定された番号を押すと信号は相手に伝わるという。
もしそれでも解決できないときは、契約している電話会社に連絡してください、と。
スッキリしました。

皆さんは、既にご存じでしたか。
勿論、電話機の形はプッシュホンです。外形がプッシュホンであっても回線がダイヤル式というケースもあるそうです。
これで、カスタマーセンターとの連絡もスッキリしました。


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フットワーク軽く、保険を解約。

2021-06-30 15:53:24 | 私の雑感あれこれ
夫は保険加入慎重派だけれど、ついつい私が掛け金を払うから、と言ってウン十年間、二人分の県民共済に加入し続けてきた。
なんだか年末調整の際に、控除枠がなんにもないのも知恵がないような気がして。
1年ごとに清算(20%程度の還付アリ)する掛け捨ての保険なので、解約返戻金というのはない。
6000円×12か月×30年=216万円。20%還付だったとしても172万8000円払ってきたことになる。
入院したのは7年前の白内障の2泊3日。数万円の保険金給付を受けた。
それでも165万円は支払額過多です。

もう必要ないだろう、というアドバイスに耳を貸さず、私、その程度のバカなんです。
先ほど読んでいた橘アキラさんの本で、正確には医療保険というのは国がやっている健康保険がそれにあたり、民間保険会社が名乗っている医療保険は正確には入院時の差額ベット代とか生活費保障をする保険です。なんとなくわかっていたけれど、極めて納得。健康保険料を支払っているから、医療についての自己負担は3割(年齢によっては2割とか1割)負担で済むのです。

たまたま月末だったので、書類手続きが7月になり7月分まで口座引落になる、とのことで了解しました。
もう収入も少なくなって、医療保険控除の恩恵を受けることもないし、今日の本の流し読みで一つ区切りがつきました。

まだ、こんな知らないからの不手際がありそうです。

最近外国株に関心を持っているのですが、為替取引手数料が1ドルあたり1円、というのが相場と思っていたら、企業努力している銀行も多々あり、某ネット銀行は1ドル4銭とのこと。まだ半可通ですが、しっかり理解しておいた方がいいですね。

難しいことを減らしてコンパクトにしないといけない世代なのに、逆行になっているみたいです。
頑張れ⇒ワタシ



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今の世代。

2021-06-30 12:47:13 | 私の雑感あれこれ
今日は歯医者さんだった。
前回に削って型どりして、今日は型どりした金属を入れて完。
出来上がってきた金属が私の歯の部分模型にちょこんと治まっている。
まぁ、分かりやすい。これを嵌めるのですね、というと、
写真撮りますか?
と訊かれた。なにもそこまでする必要はないので、とりはしなかったけれど、スマホで写す方もいらっしゃるのですか、と質問。
若い女医さんは、そうですよ、とすんなり。
「大学でも、教授がここは大切なのでノートして、というと、みんな一斉にスマホを出してシャッターを切るのです。その光景に、教授の方が唖然とする、といった感じです」と。

まぁ!

目的が達成出来たら、手間がかからない方が合理的ですからね~。

そういえば、先日、ドラックストアで、どの薬をチョイスすべきか、娘に画像を送ったのはワタシですけどね。

子どもの頃の歯医者さんは、1時間以上待って、椅子に座って治療時間5分ほどで、また次の予約、の繰り返しでした。
何回かかるのかわからない、イヤなイメージ。
昨今の歯医者さんは、待ち時間はほぼなしで、完成までのスケジュールも教えてくれる。合理的になりました。


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70年は長い。

2021-06-30 07:57:28 | 私の雑感あれこれ
弊ブログに足跡を残してくださっている方のブログを訪問したら、虹がかかっている一面のソバ畑の写真があった。
私には稲穂の田んぼはお馴染みだけれど、ソバの花が咲いている光景は幼いころの記憶につながる。
母の実家に行ったとき、自分の胸元あたりで赤いソバ花が一面に咲いていた。季節はいつ頃なのか、ぽかぽかとした日差しと一緒に思い出される。(もの知らずで、ソバの花が咲く季節も知らない)

24年生まれの私がまだ小学校入学前だとすると、20年代の終わりか。
そのころは既に母方の祖父母は亡くなっていて、写真でしか知らない。でも、私が誕生したときに作ってもらったという、着物(一つ身と四つ身の)を、私は今も持っている。絹地のそれらの幼子用の着物を長女(母)に産まれた孫(初めての女の子、私)のために作ってくれたのか、とこの歳になるとシミジミ具合が深まったりする。

24年に生まれた孫が小学校入学前に祖母は亡くなっている。ということは、私を連れて実家に帰ったころ、記憶にあるソバの花のころは母は30代半ば。
知ることもなかったけれど、まだ大変だったころなんだな~、と順序だてて思い出すと気持ちはしんみりする。
病に伏した母親(祖母)を実家を見舞うと、床に伏している姿を見たばかりの母に、「自分の見舞いはこれでいいから、早く(嫁ぎ先に)帰れ」というのだ、と。まだ土間に入っただけなのに、「帰れ、帰れ」っていう母親だったと。
どれだけ娘と語り合いたかっただろうに、お姑さんに「遅かった、なにをしていた」となじられる娘を気遣いつづけるのが癖で、晩年の床にあってもそうだったと。近所のお豆腐屋さんに豆腐を買いに行って、知り合いに会って立ち話をしていたら、「遅い」と怒られる厳しい姑(父の母)さんなのですから。
今は昔、隔世の感ですね。

もう母から聞いた話は、使っているのは同じ日本語であってもいまの世代には伝わらないきがします。苦笑
一つ身の着物は私が着ないままの新品で保管されていて、私の長女に着せてみたりしました。
そのうちに処分することになりますが、ちょっと画像に残しておこうかしら。

女の子が生まれた時は、実家から持たせてやるしきたりだったのでしょう。
ものがあふれる時代になって、すっかり変わったとつくづく思います。
あっランドセル(価格が祖父価格になっていると思います)を祖父母が買いそろえるという形でしきたりは残っているかな?

四つ身の着物。一つ身の着物と四つ身の羽織。母の野良着。
  

子どもの和服は私用に作られたもの。
母の野良着は、母が95歳で脳梗塞で半身まひの要介護生活をすることになり、暮らす場所が変わったときに私が貰ったもの。
昭和の時代の母で、よそゆきは和服の時代で、それなりの和服もあっただろうに、引っ越し荷物はいたってコンパクトにまとめられていました。
母用の荷物を弟が取りに行ったのですが、着ることがない和服は1枚も荷物に入っていませんでした。倒れる以前から自分で整理していたと思われます。ネックレスやいくつかの指輪もありました。母と二人で荷物整理しました。
これからお世話になる弟夫婦が使いやすいように、収納ケースに内容のメモ書きを張ったりしました。
指輪はひとつ(ダイヤだった。笑)はもらって、ほかは全部、これからお世話になる弟の奥さんに受取ってもらいました。
で、これは?と母が訊いたので「私が貰うね」と受け取りました。私は戦後生まれですが、戦争中、長く働き手が出征してしまい、生活費を稼がなくてはならず、お姑さんに赤子(兄)を預けて土木仕事をしたときのもの、とのこと。とすると私が生まれる前、20代にも着ていたものでしょうか。
苦労話は耳タコぐらいに聞いているので、その時はお互いに何も語りませんでしたが、荷物の殆どを諦めて処分に回したのに、回すに忍びなかった1枚だということが、ヒシヒシとわかるのは、ひとりしかいないでしょうから。

ああブラウスなどの半分以上は、私から母の日のプレゼントの品のようでした。褒められた娘ではないのですが、夫の母(おしゃれさん)のプレゼントを買う時に、一緒にちょっと地味目の1枚を選んでいたのです。長年のことでしたので、ちりも積もれば、といった感じです。苦笑










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