庭仕事を少しばかり。
雑草の伸びも遅くなった気がする。眺めれば、新規購入した花があるわけでなし、地味~に秋が深まっていく感じです。
シュウメイギクの隣で、ツワブキがつぼみをもたげてきました。
グランドカバーとして植わっている何種類かが繁茂しているわが庭です。
昨日など、映画を2本も観ました。
■1890年ころの
「エジソンズゲーム」。イントロで事実に着想を得た物語、とテロップが流れる。電球が発明された当時のウエストハウスとの直流か交流かのバトル。
夜空の灯りである星を瓶の中に詰めることができた、というセリフ! 蓄音機や電話機の発明時期でもあります。金融業のモルガンがいて、テスラがエジソン社に不満を抱いて、モーターの会社を立ち上げる。
会社運営で自分が立ち上げた会社からエジソンが排斥され、社名をエレクトリックモーター社(GM社)とする、と言われる。
現在でも経済市場で耳にする社名の源となる人物が登場しているから興味深い。
1983年開催のシカゴ万博に向けて、いかに目新しい発明品を展示するかに勢力を灌いている姿は、きっと今も同じことなのでしょうね。
■「
パリに見出されたピアニスト」。
貧困家庭に育っている青年がパリ北駅に置かれたピアノを弾いているところから始まる。パリ音楽院の教授が彼の天才的能力に惹かれて、晴れ舞台へと導く物語です。
この手のヒューマンドラマに癒されるのが好きです。
👆 という風に、時間を使えるのは至福です。
孫たちは遠方だから、気軽に顔を見ることはできない。
最近のダイレクトメールや折込チラシに、クリスマスケーキやピザ店、お歳暮品リストがあります。クリスマスケーキなどは美味しそうな写真です。ああ、こんなのを頭を寄せ合って切り分けて、じゃんけんで選んだりしたら楽しいだろうな~と思います。
我が家で注文しても、食べる人は私だけ。(辛党の夫は仕方なく、少し付き合うくらいで、嬉しがらない)
ああ、あの食べたくてキラキラした子供たちの視線、素敵だろうな~、と。
我が家の子育ての頃は手作りでコストを抑えていたものです。今だったら、笑顔が見られるのなら奮発するのに~~。
3人をピアノのレッスンに連れて行っていた頃、年に1度くらいピアノの先生の家の近くのピザ屋さんに注文しておいて、帰りに受取る、ということがありました。Lサイズ2枚とMサイズ1枚ぐらいだったかしら。帰路の車の中はピザの匂いが充満します。子供たちはもちろん大喜び。帰宅後の夕食はピザ。どれをいくつ食べたかと喧々諤々。今思えば、本当にあんな時があったのかと懐かしい限りです。ビザはご馳走でした。
今、ピザを購入しても食べきれないのじゃないかと、それが先に来てしまいます。トホホ
もし選ぶとするならばどれがいいか、素敵な写真を見ながら、叶わぬ望みを描いている。苦笑
注文すれば先方に届くのだから、送ってやろうかしら。
あの頃は、私はフルに仕事に出ていて(片道1時間)、ピアノのレッスンの日だけ早退して、遅れないように片道30分のピアノ教室まで送るというパターンでした。我が家が引っ越したのでピアノ教師宅までの距離が遠くなり、子どもだけで通えなくなっていた。体力的にはいっぱいいっぱい。
余談
あるとき、子どものピアノレッスンのために親が送り迎えしているなんて、、、(過保護っぽくない?)」とぼやいたら、子どもは言いました「おかあさん、ピアノを習い続けたいから送って行って欲しいという子供が3人もいる親の方も幸せなんだよ」と。
そして「技術家庭の時間にね、先生が工作物の作り方の説明をした後、さぁ作って、といったとたんに、ボクのところに、〇〇君、作って、ともってくる子がいるんで、イヤになってしまう」と。
ボクもこれから作り始めるところなのに。最初から自分でやる気がないんだ。学校で教えてもらうために、先生の給料って親が納めた税金で賄われているのに、教わりたくないって、もったいないよね~」と。
で、次に
「あっ、分かった、きっと、その親も自分が学校で勉強するのが好きではなかったのかもしれない」と。
きっと、我が家の子供たち、今も、あの幼いころの、少年少女期の、青年期の時代を経過して、かれら彼女らなりの時代を懸命に生きているのだと思う。
さて、70代になっている私は、今日なにをしようか。苦笑
もう、私には耳慣れているけれど、今朝も1時間強は我が家のピアノは練習中の音を響かせています。夫によって。
お正月に帰省する息子のピアノの方も楽しみです。
やっぱりおかあさん(わたし)は恵まれているのでしょうね。