山田兼士「すみよっさん」(「別冊 詩の発見」2017年03月22日発行)
山田兼士「すみよっさん」を読みながら、これはどういうことだろう、と何度も首をかしげた。「住吉大社」に「何度も行った」ことを書いている。
登場人物が何人かいる。「父」「弟」「男の子」「女の子」。二連目の「彼」は「弟」だろう。でも、そのあとの「結婚後」はだれの結婚後? 「われ(山田)」なのか、「弟」なのか。三連目の「男の子」「女の子」の親はだれ? 「われ(山田)」なのか、「弟」なのか。「四人」というのは「弟」と「弟のこども二人」と「われ(山田)」なのか、それとも「われ(山田)」と妻と、「われ(山田)」の「こども二人」か。
ここでも「娘」がだれの「娘」かわからない。ずーっと詩を読んでいく。
どうも「彼/弟」の「娘」が結婚式をしたらしい、と思うのだが。違うかもしれない。四連目の「娘の手を引いた」は「われ/私(山田)」であり、六連目では「彼/弟」かもしれない。「衣裳直しの時には」とことわっているのは、四連目のときとは違ってという意味かもしれない。「太鼓橋」が再び出てくるのは、四連目の「太鼓橋」で「娘」の手を引いた人間とは別である、ということを語っているのかもしれない。
最終連の「彼/弟」の描写も、「彼/弟」の「娘」の感謝のスピーチに「彼/弟」が感動した受け取るのがふつうなのかもしれないが、「われ/私(山田)」への感謝のことばを聞きながら「彼/弟」が感動したとも受け取れる。他人の話に感動するということもある。
なんだかよくわからないまま、繰り返される「手を引く」ということばが気になる。どうも「手を引く」という動詞が、この詩を「不透明」にしている。言い換えると、この「手を引く」がこの作品を詩にしている。
「父に手を引かれた」「弟の手を引いた」。「手を引く」という動詞が引き継がれている。これをキーワードにして読むと、その「手を引く」という動詞が三連目で「彼/弟」へと引き継がれていると想像できる。「父」から「われ/私(山田)」へ、「われ/私(山田)」から「彼/弟」へ。そして「彼/弟」から「青年」へ。で、そこまでいって、「彼/弟」には「手を引く」ひとがいなくなった。手を引いて、誰かを誰かにわたすということがなくなった、と気づく。「手を引く」という動詞が、完全に「彼/弟」から消えてしまった。「娘のスピーチ」を聞きながら、そういうことを思ったんだろうなあ、と想像はするのだが。
で、「彼/弟」が「手を引く」という動きを失ったとき、それが「われ/私(山田)」にまたかえってくる、というか。
「われ/私(山田)」が「彼/弟」の「手を引く」という世界がもう一度復活するということなんだろうなあ。その「前触れ」が「泣き崩れそうになる彼を支えた」ということなんだろうなあ。「支える」は「手で支える」だろうから。
そういうことの「象徴」が「住吉大社」を「すみよっさん」と呼ぶ、その呼び方となっている。他の相手に話すときは「住吉大社」と呼ぶ。けれど「「われ/私(山田)」と「彼/弟」のあいだでは「すみよっさん」と呼ぶ。それは「手を引く」の「手」のようなもの。「すみよっさん」と言うとき、「手」がつながるのだ。
そんなふうに読みながら、何度も首をかしげるのは、私にはこうした「兄弟感覚」がないからだ。手を引かれた記憶も、手を引いた記憶もない。そういうことをしたかもしれないが、記憶するようなものではないと感じているのかもしれない。
ふつうの兄弟というのは、こんなに「手を引く」ということをするのだろうか。「手をつなぐ」ということをするのだろうか。
山田が何人兄弟なのかわからないが、山田はほかの兄弟、あるいは家族とは「手を引く/手をつなぐ」ということを日常的にしているのか。
そんなことが、詩全体の「形」、最初はことばが少しずつ増えて、進むに連れて一行が長くなるのが、最後の二連では反対に行が進むに連れて短くなる。一種の「対称構造」になっていることとも関係して、みょうに「もやもや」とした感じが残ってしまう。「山田(われ/私)」は「父」になって「弟/彼」をこどものように「手を引いている」?
これって、何?
何が書いてある?
山田兼士「すみよっさん」を読みながら、これはどういうことだろう、と何度も首をかしげた。「住吉大社」に「何度も行った」ことを書いている。
住吉大社には何度も行った
七五三には父に手を引かれて
数年後には幼い弟の手を引いた
人混みのなか太鼓橋をこわごわ渡った
彼と初詣に行ったのは
結婚後間もない頃だった
不安と期待が入り混じるなか
われ知らず心から祈ったりした
男の子が生まれ女の子が生まれた
子育てのさなか住吉大社に何度も行った
人混みの中こわがる子供たちの手を引いた
朱塗りの太鼓橋をゆっくりそっと四人で渡った
登場人物が何人かいる。「父」「弟」「男の子」「女の子」。二連目の「彼」は「弟」だろう。でも、そのあとの「結婚後」はだれの結婚後? 「われ(山田)」なのか、「弟」なのか。三連目の「男の子」「女の子」の親はだれ? 「われ(山田)」なのか、「弟」なのか。「四人」というのは「弟」と「弟のこども二人」と「われ(山田)」なのか、それとも「われ(山田)」と妻と、「われ(山田)」の「こども二人」か。
それから長い歳月が流れて
きのう花嫁姿の娘の手を引いて
太鼓橋を渡った こわがりもせず
橋のたもとで青年の笑顔がむかえる
ここでも「娘」がだれの「娘」かわからない。ずーっと詩を読んでいく。
結婚式は国宝の第一本殿
披露宴は国の有形文化財の神館
どちらも普段は立ち入れない場所だ
樹齢千年以上という大楠が見守っていた
衣裳直し後の入場の時には彼が
娘の手を引いた その手は
青年の手に委ねられた
太鼓橋がふと見えた
娘のスピーチに驚きながら私は
泣きくずれそうな彼を支えた
その日から私たちの大社は
すみよっさんになった
どうも「彼/弟」の「娘」が結婚式をしたらしい、と思うのだが。違うかもしれない。四連目の「娘の手を引いた」は「われ/私(山田)」であり、六連目では「彼/弟」かもしれない。「衣裳直しの時には」とことわっているのは、四連目のときとは違ってという意味かもしれない。「太鼓橋」が再び出てくるのは、四連目の「太鼓橋」で「娘」の手を引いた人間とは別である、ということを語っているのかもしれない。
最終連の「彼/弟」の描写も、「彼/弟」の「娘」の感謝のスピーチに「彼/弟」が感動した受け取るのがふつうなのかもしれないが、「われ/私(山田)」への感謝のことばを聞きながら「彼/弟」が感動したとも受け取れる。他人の話に感動するということもある。
なんだかよくわからないまま、繰り返される「手を引く」ということばが気になる。どうも「手を引く」という動詞が、この詩を「不透明」にしている。言い換えると、この「手を引く」がこの作品を詩にしている。
「父に手を引かれた」「弟の手を引いた」。「手を引く」という動詞が引き継がれている。これをキーワードにして読むと、その「手を引く」という動詞が三連目で「彼/弟」へと引き継がれていると想像できる。「父」から「われ/私(山田)」へ、「われ/私(山田)」から「彼/弟」へ。そして「彼/弟」から「青年」へ。で、そこまでいって、「彼/弟」には「手を引く」ひとがいなくなった。手を引いて、誰かを誰かにわたすということがなくなった、と気づく。「手を引く」という動詞が、完全に「彼/弟」から消えてしまった。「娘のスピーチ」を聞きながら、そういうことを思ったんだろうなあ、と想像はするのだが。
で、「彼/弟」が「手を引く」という動きを失ったとき、それが「われ/私(山田)」にまたかえってくる、というか。
「われ/私(山田)」が「彼/弟」の「手を引く」という世界がもう一度復活するということなんだろうなあ。その「前触れ」が「泣き崩れそうになる彼を支えた」ということなんだろうなあ。「支える」は「手で支える」だろうから。
そういうことの「象徴」が「住吉大社」を「すみよっさん」と呼ぶ、その呼び方となっている。他の相手に話すときは「住吉大社」と呼ぶ。けれど「「われ/私(山田)」と「彼/弟」のあいだでは「すみよっさん」と呼ぶ。それは「手を引く」の「手」のようなもの。「すみよっさん」と言うとき、「手」がつながるのだ。
そんなふうに読みながら、何度も首をかしげるのは、私にはこうした「兄弟感覚」がないからだ。手を引かれた記憶も、手を引いた記憶もない。そういうことをしたかもしれないが、記憶するようなものではないと感じているのかもしれない。
ふつうの兄弟というのは、こんなに「手を引く」ということをするのだろうか。「手をつなぐ」ということをするのだろうか。
山田が何人兄弟なのかわからないが、山田はほかの兄弟、あるいは家族とは「手を引く/手をつなぐ」ということを日常的にしているのか。
そんなことが、詩全体の「形」、最初はことばが少しずつ増えて、進むに連れて一行が長くなるのが、最後の二連では反対に行が進むに連れて短くなる。一種の「対称構造」になっていることとも関係して、みょうに「もやもや」とした感じが残ってしまう。「山田(われ/私)」は「父」になって「弟/彼」をこどものように「手を引いている」?
これって、何?
何が書いてある?
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