詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

季村敏夫「今できることから」

2011-06-28 22:17:03 | 詩(雑誌・同人誌)
季村敏夫「今できることから」(「やまかわうみ」創刊号、2011年06月15日発行)

 季村敏夫「今できることから」には「神戸の震災から学んだこと」というサブタイトルがついている。東日本大震災後に書かれたものである。
 季村は阪神大震災の後『日々の、すみか』(書肆山田)というすばらしい詩集を書いた。季村の、その詩集のすごさは、「祝福」という詩のなかに、

出来事は遅れてあらわれた。

 と、正確に書き記したことである。
 阪神大震災が遅れてあらわれた? 冗談じゃない。早すぎた。つまり、予想もしないときに、阪神を襲ったのではないのか。
 だが、季村は「遅れてあらわれた」と書いたのだ。

出来事は遅れてあらわれた。月夜に笑いがまき起こり、その横で顔を覆っている人影が在った。思いもよらぬ放心、悲嘆などが入り混じり、その後、私達のなかで出来事は生起した。

 阪神大震災は、起きた直後には何が起きたかのか誰にもわからなかった。しばらくは、それを語ることばがなかった。ずーっと遅れて、人と寄り添い、語り合い、ことばをかわしているうちに、いろんな感情がゆっくりと共有され、それから「私達のなかで」阪神大震災というものがはじめて起きた。ことばはいつでも遅れてやってくるのである。
 和合亮一は「詩の礫」のなかで

ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味はあるのか。

と書いたが「事象」を「出来事」と読み直し、「意味」を「私達のなかで生起した・出来事」と読み直すなら、すでに、季村は和合の問いへの答えを書いている。「意味」はある。「意味」とは「笑い」「放心」「悲嘆」がいりまじりながら、それでも「人(人影)」が「在る」ということである。
 この温かく、深く、静かで、強靱な哲学はどうやって季村のものになったのか。季村は、どうやって、それを掴んだのか。
 「今できることから」は、それを、とても静かに語ってる。

 転げまわった。わたしは素っ頓狂だった。どこで、何を、どのようにしていたのか、思い出せないところも少なくない。もうなにも見たくはない。なにも読めない。書きたくもない。どうなったんだオレタチは、どうかゆるして欲しい、突如うずくまってむせび泣く、自分が普通ではなかった。
 ところが妻は、自宅が一部損壊程度ですんだからか、さっさと家を出て避難所に向かっていた。なんと能天気な、いきなり、身のほど知らずの借財を抱えたので、明日の資金繰りや先への不安におびえるわたしには、最初は理解不能であった。
 そんなある日、「お父さん、一度、わたしと出かけてみない」、こう誘われ、妻に従った。長田区と須磨区の境い目の高取中学校の校庭に突っ立つわたしの脳天からつま先まで、激しい電流が走った。電流に刺し貫かれ、がたがたふるえた。ぼろぼろになってもけなげでつましい、じいちゃんばあちゃんの姿に、こちらの方が教えられたからだ。
 こんなことはこれまで、予測もつかないことだった。自分のなかにあるあざとさが砕かれたこと、いうまでもない。校庭にたたずむ姿そのものに、つましさを感じ、なぜこのことをこれまで忘れていたのか。ひとは、こういう姿から何度も立ち上がってきたのだ、そう教えられたのだった。

 季村は、「教えられた」と書いている。「予測もつかなかった」とも書いてる。「なぜ、忘れていたのか」とも書いている。
 ひとは、自分の忘れていたことを、ひとから教えてもらって気がつく。
 ここで季村が書いているのは「つましさ」ということを「教えられた」ということだが、それは「つましさ」だけに終わる「概念」ではない。「つましさ」から始まる人間の力であり、また阪神大震災から立ち上がる力であり、それこそが「遅れてあらわれた出来事」(事象の後、事後の「意味」)である。

 季村は、それを自分で掴んだ、自分でみつけたとは書かない。ここに、季村の哲学の強さがある。「教えられた」とは、その「教えるもの」が季村以外のひと(誰か)のなかにある。「教えられた」と書くとき、季村は、たとえば「つましさ(つましく生きながら立ち上がる生き方)」を、その誰かと「共有」するのである。「教えられたもの」が季村の「忘れていたもの」であるということは、その「つましさ」はかつて誰かと「共有」していたということでもある。この「共有」の「歴史」、「共有」の「時間」--それが人間をさらに強く結びつける。「教えられたもの」の重要さを、「時間」のなかで押し広げるのだ。

 きっかけは、いつも向こう側から訪れる。外部である。わたしの場合、妻であり、妻の友人であり、避難所で出会ったひとびとである。何気ない風の香りや草のそよぎもきっかけになるだろう。映画のあるシーンや絵画からの感動なども。

 「きっかけは、いつも向こう側から訪れる。外部である。」この文章の「向こう側」と「外部」は同じものである。つまり、自分以外から。自分以外のものが自分のなかにあるもの(忘れていたもの)を教えてくれる。それは、かつて人間が「共有」していたもの。そして、これから「共有」していくもの。
 自分で発見したのではなく、教えてもらったと書くとき、季村は「ひとり」ではない。季村の書いている「哲学」は、それが誕生したときから「共有」されている。
 出来事が遅れてあらわれるのはなぜか。
 出来事が「共有」されるのに「時間」がかかるからだ。「共有」されて、はじめて「出来事」になる。
 だからこそ、季村は、次のように書く。

 とにかく外へ、清水の舞台から飛び降りるように飛び出すことだ。顔と顔をつきあわせる場へ。すると身体に訪れるものがある。出会いという波動である。上段に構え、大きなことをおもわない方がいい。自分にできる場所から、おもむろに外へ出る一歩を。いつもの通りに淡々と、いつもより少し慎ましく。これが、神戸の地震から学んだことである。

 「共有」には「出会い」が必要なのだ。「身体」が必要なのだ。--このことばを、深くこころに抱えていたい。





日々の、すみか
季村 敏夫
書肆山田

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1 コメント

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共感します! (ヤドリギ金子)
2011-08-09 16:54:37
 現在、季村さんの言葉の中に毎日のようにいます。だらしなさを叱咤され、勇気を与えられ続けています。
 谷内さんのおっしゃる通りだと思います。季村さんの言葉を何度も咀嚼・反芻しつつ、たとえささやかでも「身体」による「出会い」を被災地において求めて行きたいと、改めて思います。
 
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