高橋睦郎『深きより』(14)(思潮社、2020年10月31日発行)
「十四 もう一つの修羅」は「西行法師」。
今や武者の世 東に名告りを挙げれば 西に応える鬨のこゑ
その修羅を逃がれ歌に生きよと 教へてくれたのは 月の光
けれども 歌もまた別なる修羅 妄執ではなかつたらうか
他に卓れて秀歌を詠み 後の世に残さうと 骨身を削ることは?
「修羅」ということばがくりかえされている。
「生死をかけた戦いの場」という意味だろうか。「生死」をかけるとは「後の世に残る(生き残る)」かどうかという意味であり、「戦い」は「骨身を削る」と言い直されている。ただし、その「骨身を削る」はあくまで自分自身の骨身であって、「敵」の骨身ではない。
だから、ここでは「武者」の戦いが敵(自分以外のもの)を傷つけることで勝利をおさめるのに対して、歌人は自分自身を傷つけることで勝利をおさめると言っていることになる。「武者」と「歌人」は生き方(思想/肉体の動かし方)が逆なのだ。だからこそ、
けれども
ということばが「武者」と「歌人」をつなぐのである。
高橋は、あるときは男と女をつなぎ、つなぐことで入れ換える。入れ替わる。それは、「先人」を書く、書くことで「先人」と高橋をつなぎ、つなぐと同時に入れ替わる。高橋が高橋ではなくなることが、新しい高橋を産み出す。
この矛盾したような二重構造の運動を支えるのが「けれども」ということばなのだ。「けれども」のなかには、いま生きている次元を突き破って別の次元へと接続し、接続した瞬間起きるスパークを利用して、別の次元さえもまた新しく作り替えていこうとする「欲望」のようなものが動いている。
「けれども」というのは「論理」を動かすことばだが、高橋の詩は、こういう論理のことばをつかんで押さえつけたとき、強靱な輝きを繰り広げる。
「論理」とは「ことばの肉体そのもの」である。「論理」をつかみきることで、高橋はことばを「肉体」そのものになる。
過褒なされな 歌の亡者の罪の深さは 武者のに劣らず
死後の旅路に散り止まぬ花吹雪の 血腥さは未来永劫
「血腥さ」ということばが最後に必要になるのは、「ことばの肉体」もまた「血」を内部にもっているからである。鮮血も流れてしまえば耐えがたいにおいを発する。いや、「ことばの外」にあるものによって変質してしまうということか。
この詩を緊張させているもうひとつの要素に「月の光」がある。最初に引用した四行にも「月の光」は登場するが、書き出しの一行は、こうである。
それは月の所為 月の光のしわざとでも 答へるほかない
「月の光」は不思議である。月そのものが光を発しているわけではない。太陽や星とは違う。あくまでも「反射」である。それは、たとえていえば「ことば」である。肉体があって、肉体が引き起こすさまざまなことがある。「ことば」は、現実を反映したもの(反射させたもの)なのである。そして、この「反射」は月がそうであるように、「ことば」が存在しないかぎり起きない。
矛盾というか、絶対に切り離せない何事かがある。そして、その「切り離せない」ということを成立させているのが「論理」である。「論理」がすべてを産み出しているのだ。
高橋のことばは、いつでも「論理」を探して動いている。その論理探しの欲望の強さには、そして、いつも「死の匂い」がする、と私は感じてしまう。否定された生の匂い、と言い直してもいいかもしれない。
詩の最終行にあらわれた「血腥さ」ということばのなかには、死と生が、まさに「修羅」として動いている。
私は、この詩が好きであるというしかないほど嫌いである。そして嫌いというしかないほど好きである。女になることをこころみた作品よりも、男のまま、「武者(男)」と向き合い、敗北する(武者として勝つのではなく、僧になることで戦いを放棄するという敗北)ことで、逆に死なないという生き方をする。ここには高橋の「ことばの肉体」と同時に、高橋の「生身の肉体」が「反射」という形で噴出してきていると感じる。
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