平岡敏夫『蒼空』(思潮社、2009年08月01日発行)
「あとがき」に「十四歳になって間もなく陸軍に入り、十五歳の夏の敗戦まで一年半ほど軍隊生活を体験した。」とある。そのときの体験を描いた詩集。
「そら」という作品が一番こころに残った。
3行目の「つながり」ということば。これが、たぶん平岡の「思想」である。平岡は何とつながっているのか。何につながりを見出すのか。
特攻機が消えていく。その特攻機を操縦していた人も消えていく。「たましい」も消えていく。そして、それはひとつではない。いくつものたましい。同時に、そのたましいには「つながり」がある。「つながり」が「つながり」として、空をのぼってゆく。
平岡の魂は、いま、ここに、地上にあるけれど、それはつながっているのである。
見上げれば、空には、その「つながり」の糸が切れた状態でぶら下がっている。「きれたいとがきらきらぶらさがっているそら/とっこうきがゆっくりすいこまれていったあおぞら」。平岡は、いつでも、その空とつながっている。
この「つながり」とは別に、平岡の「肉体」は、現実にあっては、また別のものと「つながり」を持っている。
平岡の健康な肉体は嗅覚を持っている。嗅覚が、軍隊の生活から日常の生活へ引き戻す。平岡の肉体は嗅覚で日常、平和とつながっている。
「たましい」ではなく、ずっーと「匂い」とつながったまま生きる方がいい。
健康な肉体と日常の平和とをつなぐ嗅覚--そのつながりを断ち切ってしまうのが「軍隊」(戦争)ということだろう。
多くの「たましい」は嗅覚とは別の、平岡の知らない何かで「日常」とつながっていたかもしれない。そのつながりを断ち切られた無念さを思わずにはいられない。
「あとがき」に「十四歳になって間もなく陸軍に入り、十五歳の夏の敗戦まで一年半ほど軍隊生活を体験した。」とある。そのときの体験を描いた詩集。
「そら」という作品が一番こころに残った。
くろいほどのあおいそら
どこまでもひきこまれてしまうあおぞら
たましいのつながりがのぼってゆくそら
おんなのめのようにすみきったあおぞら
おんなのあしのようになめらかなそら
おんなのはだのようにあたたかいそら
たなびくしろいひげがみおろしているそら
くろいくろいまっくろなおくのおくのそら
あおぞらをかみがしずかにおりてくるそら
おれたはしごがうっすらうかんでいるそら
きれたいとがきらきらぶらさがっているそら
とっこうきがゆっくりすいこまれていったあおぞら
3行目の「つながり」ということば。これが、たぶん平岡の「思想」である。平岡は何とつながっているのか。何につながりを見出すのか。
特攻機が消えていく。その特攻機を操縦していた人も消えていく。「たましい」も消えていく。そして、それはひとつではない。いくつものたましい。同時に、そのたましいには「つながり」がある。「つながり」が「つながり」として、空をのぼってゆく。
平岡の魂は、いま、ここに、地上にあるけれど、それはつながっているのである。
見上げれば、空には、その「つながり」の糸が切れた状態でぶら下がっている。「きれたいとがきらきらぶらさがっているそら/とっこうきがゆっくりすいこまれていったあおぞら」。平岡は、いつでも、その空とつながっている。
この「つながり」とは別に、平岡の「肉体」は、現実にあっては、また別のものと「つながり」を持っている。
浜町の飲食街の裏側からうどんの出し汁の匂いが、と思う間もなく、
重いブレーキ音とともに汽車は停車した。
(丸亀駅)
日朝点呼、五時四十五分。
ああ、木犀はにおっていたよ。 (木犀)
道路ひとつ隔てた民家の奥から芋焼きの匂いが迫ってくる
(迫ってくる)
平岡の健康な肉体は嗅覚を持っている。嗅覚が、軍隊の生活から日常の生活へ引き戻す。平岡の肉体は嗅覚で日常、平和とつながっている。
「たましい」ではなく、ずっーと「匂い」とつながったまま生きる方がいい。
健康な肉体と日常の平和とをつなぐ嗅覚--そのつながりを断ち切ってしまうのが「軍隊」(戦争)ということだろう。
多くの「たましい」は嗅覚とは別の、平岡の知らない何かで「日常」とつながっていたかもしれない。そのつながりを断ち切られた無念さを思わずにはいられない。
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