希望を、人生(生きること、いのち)、偶然と必然と関連づけながら、三木清は考えを進めていく。人間存在とはどんなものなのか、考えていく。「哲学」だから、ふつうのことばとは違う、というか、ふつうの「定義」ではないところへ踏み込んで行く。
一読したあと、一段落ずつ読んでいくのだが、最初に出てくる「偶然」「必然」のほかに、私たちが日常的につかうことばで「然」を含むことばがある。
それは何? 私は18歳のイタリア人に聞く。
「自然」。
その「自然」とは、どんなものだろう。そんなふうに話を向けると、
途中に「間」ということばがあった、
と三木清が問題にしている「核心」に切り込んで行く。「間」では、「間」にはなかったものが形成されていく。
何が書かれているか、一読して、頭に入っている。これは、すごいことだと思う。
さらに、希望を、欲望、目的、期待と三つのことばで言い直し(見つめなおす)部分では、目的は計画と関係する。目的を達成するためには計画が必要と言う。計画ということばは三木清の文章には出てこない。
これも、すごいことである。
ちょっと感心しすぎて、質問しなければならないことを忘れてしまった。
339ページに、「間」を「根源的」と三木清は呼んでいるのだが、その理由は何か。宿題として、質問してみることにする。