福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

東経127.5度

2007年03月22日 |  〇文化・歴史

韓国では一時期、東経127.5度を基準にした標準時間が
使われていたという。日本とは30分の時差が生じる標準時間だ。

「ヲタク」的には、日本と韓国の間には時差があった方が断然いい
と思っている。

理由は簡単だ。外国なのだし、その方が「おもしろい」。

当面、日韓の間に時差が生じることはなさそうだが、この問題に
ついては、韓国の民族主義の奮起を期待したい。

是非、がんばって日本との間に時差を設けてほしいものだ。

韓国雑学ネタとして関連記事を記録しておく。

なお、紙面の都合で韓国語の原文の引用は省いた。

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■ [歴史の中の今日]
1954年、標準子午線を東経127.5度に変更
(東亜日報 3月21日)



「今日は春分、時間も光復」

1954年3月21日、東亜日報の天気欄には一風変わった見出しが
付けられた。夜と昼の長さが同じになる春分を迎え、標準時の
基準を植民地時代、日本が強制した基準から大韓帝国末に定め
られた基準へと変更したことを伝える記事だった。そこで「時間も
光復」という表現が使われたのだ。

朝鮮王朝時代、世宗大王は日時計を作りソウルの真南の方向を
基準に標準時を定めた。これは、現在の東経127.5度(咸興-
元山-加平-楊州-利川-清州-大田-順天を結ぶ子午線)にあたり、
大韓帝国は1908年4月1日、これを標準子午線に定め公布した。

しかし、日本は朝鮮を侵略した後、朝鮮の標準子午線を日本の
使う東経135度に変更した。このため、朝鮮の時間は以前より
30分早まり、日本の時間に合わせて生活しなければならなく
なった。韓国の標準時は1945年の解放から10年近くたった
1954年3月21日午前9時を期して旧大韓帝国時代の標準時に
戻ったのだ。

当時、国立中央観象台(現気象庁)長官を務めていたイ・ウォン
チョル博士は、「標準時の変更は日本に対する感情問題の次元から
出たものではなく、太陽の運行を基準に合理的な時間を採用しよう
としたものだった。朝鮮半島の中央を通る子午線を基準にして
標準時を定めるのが妥当だと考えたのだ」と語った。

この日、ソウル鐘路の普信閣をはじめ全国の学校や教会、寺院は
一斉に鐘やサイレンを鳴らしながら「時間の光復」を祝った。しかし、
1961年8月10日、朴正熙政権は、再び、日本と同じ東経135度を
標準子午線として使用する法律を制定し、その後、現在まで
使用され続けている。

標準時をめぐっては、その後も問題が表面化したことがある。
2000年8月、チョ・スンヒョン議員をはじめとする議員有志が
現行の標準時を韓国人の生体リズムに合った標準時(東経
127.5度基準)に変更する法案を国会に提出したのだ。しかし、
政府側はこれに反対した。「現在、ほとんどの国家がグリニッジ
標準時(GMT)を基準に1時間単位の時差を置いた時間を使用して
いる状況の中で、30分単位の時差を設けることはグローバル化
時代にそぐわない。北朝鮮も東経135度を基準に使っているので、
統一後にでも変更を考慮すべきだ」というのが、その理由であった。

いずれにしろ、韓国人は不本意にも30分早く起きる「朝型人間」
として生活している。小学校の理科の教科書には1日のうちで
太陽が最も高くなる時間が12時だと出ているが、厳密には
12時30分ということになる。

(終わり)

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