現在、対馬海峡の対岸地域を往来する旅客船の日韓航路には、
山口県の下関港とプサン港を結ぶ航路と、福岡市の博多港とプサン港を
結ぶ二つの航路がある。
歴史が古いのは、下関-釜山航路だ。日韓国交正常化(1965年)
から5年後の1970年6月に、戦前の「関釜連絡船」の歴史を
引き継ぐような形で「関釜フェリー」(現在2隻)が就航した。
一方の博多港では、下関に遅れること20年、1990年の12月に
フェリー「かめりあ」(現在1隻)が就航し、翌91年にJR九州が
高速船「ビートル」(現在4隻)を就航させた。
また、2002年の2月には、韓国の船会社も同航路に参入し、
独自に高速船「コビー」(現在3隻)を就航させた。
これ以外にも実は、下関と博多に挟まれた北九州の小倉港に、
一時期、プサンやウルサン行きの高速船が就航していた時期が
ある。
北九州市近郊に住む「オタク」としては、個人的には小倉を
出港する高速船の復活を強く望んでいる。
幻(?)の小倉-プサン航路の歴史を簡単に紹介すると、
以下の通り。
△下関・小倉-プサンを走っていた高速船「ジェットライナー」
1990年、下関港を発着する高速船「ジェットライナー」が
就航したが、ほどなくして小倉港を経由するようになった。
「オタク」は、この高速船を結婚前後に2、3度、利用している。
新婚ホヤホヤの時期、夫婦で乗った記憶もある。
しかし、この高速船は1992年には運行中止に追い込まれ、
運航会社も倒産してしまった。
△幻の「ドルフィン号」の雄姿
その後、約10年後の2002年4月、北九州国際会議場を
発着ターミナルとする高速船「ドルフィン号」が就航した。
△韓国ウルサン港に係留中のドルフィン号
オーストラリア製のかっこいい大型高速船だった。何でも、
世界初の三胴式の高速旅客船だったのだそうだ。
ただ、この船はかっこうのいい外見とは裏腹に、深刻な欠陥を
抱えた問題船だった。故障が多い上に、とにかく揺れがひどかった。
それでも、回数券を利用すれば往復1,2000円で対馬海峡を
往復できるという大きな利点があり、「オタク」家族はこの船を
4,5回は利用した。
結局、快適で安定的な運航とは程遠い実態が改善されることはなく、
この船も2004年9月、韓国側の共同運航会社が倒産し姿を消した。
就航を実現させた日本側会社関係者の苦労話を、一度、ある小さな
勉強会で聞いたことがあるが、そうした日韓双方の努力も報われ
ないまま、問題船(欠陥船?)ともども、小倉-プサン航路まで
消えてしまうことになった。
(終わり)
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