幼なじみの30代男性2人が繰り広げるドタバタコメディ
「里長と郡守 」(鑑賞番号522)を、久しぶりに再鑑賞した。
この映画にも、街中華を舞台にブログ主こだわりのチャジャン麺
(韓国式ジャージャー麺)らしき料理が登場した。
△町の中華料理店で約20年ぶりに郡守(左)と里長として再開した2人
ここで、あえて「らしき」と付け加えたのは、映画には食後の
どんぶり風食器しか登場しなかったからだ。
△映画に登場したのは郡守が食べ終えた料理のどんぶり風食器のみ
時折、こうしたシーンを目にするが、チャジャン麺ウォッチャーの
ブログ主としては、何とも恨めしく、実に意地悪な演出である。
それにしても、せっかく食事シーン(正確には食後シーン)を
見せながら、何を食べたのかを一切、明かさないまま、次の
シーンに移って行くなんて。
これも映画表現上の一つの技法なのだろうか?
それでも、満たされないブログ主の気持ちを少しだけ救って
くれるシーンが、その後の展開で待っていた。郡守の男が
チャジャン麺好きであることを仄(ほの)めかすような
シーンがあったのだ。
△里長からの無礼な電話を無関係なチャジャン麺の話題で撃退した郡守
ある日、夜勤中の郡守に里長がかけてきた無礼な電話に対し、
郡守が、わざと全く無関係な夜食の話題を持ち出し、煙に
巻くシーンだった。この時、郡守は一旦、チャジャン麺を
注文するが、チャジャン麺は無理と言われ、あきらめる
(全ては里長の迷惑電話を撃退するための1人芝居)。
時間を過去に戻し、この会話により、郡守と里長の再会の
場面で郡守が食べた料理が、チャンポンではなくチャジャン麺で
あった推定確率(ブログ主独自)が、100%近くにまで
跳ね上がったのである。
控えめに言って95%、と言ったところか。
本当にどうでもいい話ではあるが、この推定結果は、けっこう
心地よい自己満足をブログ主に与えてくれた。
何とも陰気な自己満足である。
(終わり)
「里長と郡守 」(鑑賞番号522)を、久しぶりに再鑑賞した。
この映画にも、街中華を舞台にブログ主こだわりのチャジャン麺
(韓国式ジャージャー麺)らしき料理が登場した。
△町の中華料理店で約20年ぶりに郡守(左)と里長として再開した2人
ここで、あえて「らしき」と付け加えたのは、映画には食後の
どんぶり風食器しか登場しなかったからだ。
△映画に登場したのは郡守が食べ終えた料理のどんぶり風食器のみ
時折、こうしたシーンを目にするが、チャジャン麺ウォッチャーの
ブログ主としては、何とも恨めしく、実に意地悪な演出である。
それにしても、せっかく食事シーン(正確には食後シーン)を
見せながら、何を食べたのかを一切、明かさないまま、次の
シーンに移って行くなんて。
これも映画表現上の一つの技法なのだろうか?
それでも、満たされないブログ主の気持ちを少しだけ救って
くれるシーンが、その後の展開で待っていた。郡守の男が
チャジャン麺好きであることを仄(ほの)めかすような
シーンがあったのだ。
△里長からの無礼な電話を無関係なチャジャン麺の話題で撃退した郡守
ある日、夜勤中の郡守に里長がかけてきた無礼な電話に対し、
郡守が、わざと全く無関係な夜食の話題を持ち出し、煙に
巻くシーンだった。この時、郡守は一旦、チャジャン麺を
注文するが、チャジャン麺は無理と言われ、あきらめる
(全ては里長の迷惑電話を撃退するための1人芝居)。
時間を過去に戻し、この会話により、郡守と里長の再会の
場面で郡守が食べた料理が、チャンポンではなくチャジャン麺で
あった推定確率(ブログ主独自)が、100%近くにまで
跳ね上がったのである。
控えめに言って95%、と言ったところか。
本当にどうでもいい話ではあるが、この推定結果は、けっこう
心地よい自己満足をブログ主に与えてくれた。
何とも陰気な自己満足である。
(終わり)