福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

月を撮る韓国人カップル

2024年01月02日 |   ┣ニューかめりあ

△夜明け前の博多港国際ターミナル

2023年12月末のプサン訪問は、プサンに4泊5日の旅程だった。


△写真趣味を持つ韓国人青年が博多港で夜明け前の月を撮影

帰国便のフェリーで1泊した翌日(合計で5泊6日目)の早朝、福岡市の
博多港に到着。


△未明の博多湾を飛ぶ猛禽

入国審査が始まるまでの短い時間を、船内で過ごす。


△ブログ主のPCのデスクトップの背景になった写真

ブログ主は起床後、必要最小限度の身だしなみを整え、カップ麺(韓国式
うどん)を食べた後、甲板に出て写真撮影を楽しんだ。

なお、2023年12月末のプサン訪問にかかわる記録は、この記事を持って
完全に終了する。


(終わり)

最後のプサン夜景

2024年01月02日 |   ┣ニューかめりあ

△ツインタワーは複合型レンジデンスホテル「マリナG7」

2023年12月の暮れ、プサンからの帰国便。


△南浦洞方面に小さく釜山タワーが見える

出港を待つ日韓国際フェリー・ニューかめりあの甲板から、今回のプサン
訪問で最後になる夜景を、しみじみ眺めた。


△写真中央部に小さく釜山タワーが見える

次回の訪韓は、来年の夏くらいになるだろうか?

その時まで、健康に気をつけながら、しっかり働き、小遣いを貯めたい
ものだ。


(終わり)

船室は操舵室の真下

2024年01月02日 |   ┣ニューかめりあ

△操舵室真下の特等室シングル

2023年冬のプサン訪問からの帰国便。船は、日韓国際フェリーのニュー
かめりあ。

ブログ主にあてがわれた船室は、操舵室の真下中央、左右両サイドの
特別室に挟まれた特等室シングルだった。


△船長とほぼ同じ目線で船の前方を見る

船窓の向こうには、上階の操舵室から見える光景とほぼ同じ光景が
広がっていた。


△船室から見た釜山港大橋

返す返すも、いい光景を見せてもらえた。


△船室から見た釜山港大橋

ブログ主に、こうした機会を与えてくれた長女、そしてカメリアラインには、
心からの感謝である。


(終わり)

釜山港夜景とかめりあ

2024年01月02日 |   ┣ニューかめりあ

△プサン港大橋とニューかめりあ

2023年冬のプサン訪問でも、ブログ主は福岡の博多港と韓国のプサン港を
往来する日韓フェリー・ニューかめりあを利用した。


△ニューかめりあ

帰国便に乗る夜、国際旅客ターミナルの3階デッキから、自分が乗船する
予定の船を確認。


△関釜フェリーの後ろにニューかめりあ

その夜は、ニューかめりあの前に関釜フェリー・はまゆうが停泊していた。

なお、この写真を撮った時点では、その日、自分が操舵室の真下中央の
特等室(両サイドは最高級の特別室)を使うことになろうとは、全く
思いもしていなかった。


(終わり)

水晶洞と海の間

2024年01月02日 |  ┣東区・中区界隈


2023年冬のプサン訪問でも、水晶洞と海の間に林立する高層マンション群の
写真を撮った。



まさに、海と町とを隔てる巨大な「壁」である。

次回のプサン訪問では、最近、草梁洞に出現した、こうした高層ビルの
1棟に足を踏み入れる計画である。


(終わり)

23年暮れの水晶洞

2024年01月02日 |  ┣東区・中区界隈


2023年冬のプサン訪問でも、草梁洞の東隣、水晶洞に足を運んだ。



高台にはランドマークのようにそびえ立つ高層マンション団地と、その
右手(南側)に佐川洞の釜山倭城跡地(チュンサン公園)が見える。



水晶洞については、これまで、草梁洞側の傾斜地を中心に何度か散策した
ことがあるが、まだまだ足を踏み入れていない地区が多い。


△草梁168階段にも似た水晶洞の急階段

今回、初めて写真に収めてきた名前も知らない急階段もしかり、だ。

さっそく、次回のプサン訪問時にでも、この階段を下ってみたいと
考えている。新しい発見があるかもしれない・・。


(終わり)

逆光の草梁2洞

2024年01月02日 |   ┣山腹道路


2023年冬のプサン訪問でも、草梁6洞の高台(山腹道路)を散策した。
その時、目にした草梁2洞の住宅街の様子を、逆光(太陽が正面)の
状態で撮影してみた。



逆光の状態では綺麗な写真は撮れないが、これも一つの記念にはなる
だろうと思いながらシャッターを押した。


(終わり)

イバグ工作所の展望台

2024年01月02日 |   ┣山腹道路


2023年冬もプサン草梁洞のイバグ工作所展望台に足を運んだ。
例によって定点観測の一環である。



写真中央にはプサン高校。



急激に数を増やした超高層マンション群にさえぎられて、水晶洞の
街並みが見えなくなっている。

(終わり)

窓越しにニコンで

2024年01月02日 |   ┣釜山駅・草梁駅

△釜山駅前広場

2023年冬のプサン訪問では、ホテル東横イン釜山駅の20階の部屋に4連泊した。
非常に眺望のよい部屋だった。


△遠くに荒嶺山が見える

ここでは、ガラス越しにではあるが、自慢のニコンの愛機で撮影した
光景を5枚公開しておく。



プサン滞在最終日、ホテルをチェックアウトする前に撮影した写真だ。


△駅前に広がる草梁(チョリャン)の町

天気は快晴。


△高層マンションの壁の向こうは水晶洞

おかげで街の色も、よく写真に映っている。


(終わり)

168階段展望台

2024年01月02日 |   ┣山腹道路

△高層マンションに遮られ、荒嶺山はほとんど見えない

2023年12月、プサン草梁洞の168階段エレベーターは、敷設工事の
真っ最中だった。


△正面にプサン駅は見えるが、プサン港国際ターミナルは見えない

ここでは、展望台から見た草梁洞の景色を2枚、公開しておく。

(終わり)

プサン駅前バス停

2024年01月02日 |   ┣釜山駅・草梁駅

△プサン駅前の大通り

ブログ主が韓国体験の基点にしているのが、プサン市東区のチョリャン
(草梁)洞。大雑把に言えば、プサン駅周辺から山手に広がる町だ。


△プサン駅前広場

2023年冬のプサン訪問では、プサン駅横の東横インホテルに4連泊した。


△まるで道路の中の中洲のような駅前バス停

20階の部屋だったので、窓から街の景色がよく見えた。

ここでは、駅前の2か所のバス停の様子がよくわかる写真を公開しておく。
左手のバス停が西面方面行、右手のバス停が南浦方面行になる。

(終わり)

アンチャン追想

2024年01月01日 |  ┣東区・中区界隈


2023年冬のプサン訪問では、プサン市東区凡一洞のアンチャンマウルを
初めて訪ねた。



過去、このアンチャン・マウルで長らく奉仕活動を行ったカトリックの
修道女、マザー・ルミネの記念館を見学することが目的だった。



結局、現状、記念館は空っぽで見学するような資料や写真は全くなかった。



それでも、このマウルをいろいろと散策できたことは収穫だった。



廃屋の目立つ、寂しいマウルだった。



今後、この街がどういう風に変化していくのか?



ブログ主が韓国経験の基点にしている草梁洞とは同じプサン市の東区に
あるマウルで、一時期、妻の次兄家族が凡一洞に住んでいたこともある。



このマウルについて、関心だけは持ち続けて行きたいものだ。


(終わり)

記憶に残るワンちゃん

2024年01月01日 |  〇犬と猫


2023年冬のプサン、アンチャン洞では、非常に印象的な一匹のワンちゃんに
出会った。



そのワンちゃんが繋がれていないことがわかったので、正直、ブログ主は
少しビビった。



しかし、コンクリートの影に身を隠し、不安げな眼でブログ主をのぞき見る
ワンちゃんに気づいた時、ブログ主の頬は緩んだ。

全く、凶暴な犬ではなかった。



結局、ワンちゃんは静かにブログ主を見送ってくれた。



そして、ブログ主との距離が十分に離れるのを待って、「逃げて行く」
ブログ主の背中に対して、勇ましく吠え始めた。



帰国後、数枚撮った写真を確認してみると、そこにはしっかり尻尾を上げ、
よそ者を追い払い安堵したかのようにはしゃぐワンちゃんの姿が写っていた。

何ともお茶目な番犬ではないか。

長く記憶に残りそうなワンちゃんである。


(終わり)

アンチャンのキジネコ

2024年01月01日 |  〇犬と猫


2023年冬のプサン、アンチャン洞訪問では、ニコンのミラーレスカメラ
でも、ネコを撮影する機会があった。



こちらは1匹のキジネコだった。

(終わり)

甘川マウルの生みの親

2024年01月01日 |   ┗文化マウル

△写真中央部に瓦葺の本殿、遠くに甘川湾が見える

2023年冬のプサン訪問では、財団法人・太極道の関連施設も見学させて
もらった。


△甘川文化マウルにある総本山

太極道とは、ブログ主の理解では、韓国人の開祖が伝えた太極(宇宙の
真理)の教えに則り、心身の修養に励む新宗教の一派。


△正門とも言える一番大きな南門

同教団は、「プサンのマチュピチュ」として人気の観光地へと発展を遂げた
甘川文化マウルの生みの親とも呼べる団体だ。


△東門の脇に商店街の入り口

総本山の周囲は高い壁で囲まれており、東西南北に立派な門がある。



なお、一般に公開されている「甘川太極文化広報館」は、今回、あいにく
閉館中だった。


△広報館横のステージとパネル

それでも、広報館の壁一面に貼ってある、マウルの歴史を伝えるマウル
建設時の写真パネルを見ることはできた。


△甘川文化マウルは、その成立の歴史から「太極マウル」とも呼ばれている

このパネルを見るだけでも、宅地造成から住宅建築、そして集団移住に
至るまで、信者らがこのマウル建設に傾けた熱いエネルギーと多大なる
労苦がしのばれた。


(終わり)