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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

西尾維新 『終物語(下)』 感想

2014-04-02 15:51:17 | 西尾維新
いやー、びっくり!
ファイナルシーズンのフィナーレにふさわしい大団円で超・満足。
というか、西尾維新、凄いなー。

多分、何をかいてもネタバレになってしまいそうなので、まずはスペース、空けときます。
















































とにかく、何が凄いかって、ファイナル・シーズン、というか、セカンド・シーズン以後の伏線や謎の全てを回収する着地点を見出した西尾維新の語りの妙。

これならば、セカンド・シーズンのアニメ化が『花物語』だけ外された理由もわかるし、逆に、この『終物語(下)』が出てからおもむろにアニメ化されるのもわかる。なぜなら、時系列的にそれが一番整合的だから。

裏返すと、『花物語』が、『傾物語』にあとに来たのは、あそこで一回、阿良々木くんたちが卒業した世界を描いておくことで物語構成上の保険をかけておかないと、その後の悪魔のような展開、つまり、八九寺の成仏や、千石の蛇神化、貝木の殺害、影縫の失踪、あたりがあまりに重くなってしまうから、ってことだったんだろうな、と。

それにしても、セカンドからここまでの時系列が込み入った展開には驚いたし、それらの入り組んだ構成がなるべくしてなっていた、というのが凄いなー、と。

・・・と、こんな感じで書いていると、周縁的なことばかり書き続けて本筋に入れそうにないから、いきなり、本質的なネタバレをすると、

忍野扇は、阿良々木暦が生み出した怪異だった!

ということに尽きる。

つまり、ある意味で、セカンドシーズンに入ってから、というか、正確には、『鬼物語』以後の展開は、基本的に、阿良々木くんの、いわば自作自演だった、ってことになる。

普通ならなんだそれ?、ってことになるのだが、そう感じさせないで納得させてしまうところが西尾維新のすごいところ。

というか、こんなオチがついても、ああ、それはそうかもな、と思わせられるところが凄い。

まぁ、そんな展開は何重にも伏線を張っておかないと難しいわけだし、その多くは、実は、『終物語』の上巻や中巻で示されていた、という点では、大分後出しジャンケンのようなところもあるのだけど。

けれども、たとえば、個人の自意識が怪異を生み出してしまう、というのは、セカンドの第一作である『猫物語(白)』で、羽川を例にして既に示されていた。あるいは、後出しジャンケン、という構成については、そもそも、セカンド以降は時系列がもともとメチャクチャな構成にされているから、『終物語』になってから過去編に戻っても大して違和感はなかった。なにせ、忍がタイムトラベルを実現させてしまうようなことまで既にやってしまっているのだから。

裏返すと、『終物語』の上巻で、どうして今更、阿良々木くんの過去話をしなくちゃいけないのか、とか、中巻で、どうして(というか、実は満を持して?)猫白の裏側で起こっていた話を語ったのか、というのも、全ては、扇=阿良々木くんが全ての元凶であったからなんだよね。

唐突にみえた阿良々木くんの両親が警察官という設定も、これならば納得がいく。警察官の家庭ゆえ、阿良々木家では「正義」を子供の頃から考えないではいられない環境であり、その結果、「正義」を巡る自問自答や自責の念が自ずから阿良々木くんの中で累積し、結果として、忍野扇という怪異を生み出してしまったわけで。

そういう、あー、あそこの記述は、ここで生きてくるのか、というものが、今回の『終物語(下)』ではてんこ盛り。

いわば、セカンドシーズン以後の「正解」が示されたものだった。

その上、大ホームランwなのは、八九寺を地獄から救い出して、あまつさえ北白蛇神社の神様に据えてしまったこと。

いやー、これは、まいったw

やっぱり八九寺が登場すると、この作品は締まるw

それにしても、八九寺のメタ発言属性が、まさか、死後の世界での道案内役として生きてくるとは思わなかったなぁ。。。

まぁ、怪異も、タイムトラベルも、あるいは、多分、ブラックホール、ダークマター、もありの世界なのだから、そりゃ、死後の世界ぐらい出ても、もう驚かないよね。というか、感覚が麻痺にされていたのには素朴に驚かされたw

まぁ、あとは、忍野メメのことや、臥煙さんのことや、忍のことや、羽川のことや、月火のことや、斧乃木ちゃんのこととか、いろいろと書きたいことはあるのだけど、とりあえず、一旦ここで終えておく。

多分、もうちょっと落ち着いたらまた書くと思うけど。

しかし、突き詰めると、この『終物語(下)』はファイナル・シーズン最初の『憑物語』からの直繋がりなんだよね。間に3冊も挟まってしまったから、すっかり忘れていたけどw

そして、ポスト八九寺が斧乃木ちゃんだったってことを思うと、『憑物語』も良く出来ていたんだよねー。

ということで、とりあえず一旦終了。

いやー、面白かった。
大満足!

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西尾維新 『終物語(中)』 感想

2014-02-01 21:16:00 | 西尾維新
出版物としては想定外の中巻だったわけだけど、中身はいたってまともな、今まで語らずじまいでやり過ごしてきた、『猫物語(白)』の時の阿良々木くんの話。

何で燃えたんだっけ?、学習塾跡は、ってところから始まる話?
いや、表向きは、あれは、虎が燃やしたことになってるんだけどさ。
でも、何で燃やしたんだろうね?ってことで。

その一方で、『暦物語』の冬の物語とも繋がる内容だった気がする。。。。

というか、『終物語(上)』が、何となく、戯言シリーズ初期の、探偵物に近い感じだったとすると、今回の中巻は、戯言シリーズ終盤の、西東天が登場してきて以後の展開に似ているな、というのが、読み始めて最初感じた印象だった。

・・・ということで、ネタバレありなので、間を空けときます。







































ざっくり言えば、今回のお話は、「化物語シリーズ」の収束に向けて、今までの伏線の多くを回収しようとした回。

したがって、説明回。

で、話の大筋だけかいつまんでおくと、

『猫物語(白)』の時に神原を動員して阿良々木くんが行っていた裏の物語というのは、400年前に忍が眷属にし、自殺した怪異殺しの専門家である生死郎の復活とその退治だった。

で、シリーズ的に大事なことは、

まず、この生死郎こそが、阿良々木くんが対峙した「怪異」の大元の原因を作った存在であったこと。忍、というか、キスショットが阿良々木くんの街にやってくることを含めて、蟹(戦場ヶ原)、蝸牛(八九寺)、猿(神原)、蛇(千石)、猫・虎(羽川)、蜂(火憐)、不死鳥(月火)、・・・、といった怪異の物語=事件が起こった原因は、復活を求めてやってきた生死郎が招いたことだった。

第二に、生死郎と阿良々木くんと忍の三者の関係を通じて、というか、ぶっちゃけ、生死郎を当て馬にすることで、阿良々木くんと忍との関係を再度見なおした、ということ。恋仲に発展しない、愛憎半ばするバディの関係として、忍と阿良々木くんの関係があることを再確認した。

で、この関係性を、こんなラス1の段階で確認してきたってことは、多分、次巻の物語完結の際に重要な役割を果たすのだろうな、という気がした。

まぁ、今回の表現に従えば、万人にとって「特別」な存在ではなく、忍、戦場ヶ原、羽川、八九寺、神原、千石、・・・、のそれぞれにとって「特別」な存在であることが、阿良々木くんの特性として重視される結末なのだろうね。

裏返すと、そのような阿良々木くんの特性自体が、おそらくは臥煙伊豆湖にとってはイレギュラー極まりない存在であり、何をしでかすか分からない不確定要因=ノイズになってしまったからこそ、『暦物語』の最後で、臥煙さんは阿良々木くんを殺害することになったのだろうな、と。なにせ、臥煙さんは「予防」を重んじる人なので。

ちなみに、今回のラストで生死郎が放置した甲冑がもとになって、小太刀・夢渡がつくられったっぽい。

後は、どうやら、今回の物語の後始末としてみすごされたところを上手く利用したのが、おそらくは扇ちゃんで、そこから千石が蛇神になる、という二学期の話が進んでいったみたい。

ということは、やっぱり、臥煙さんと扇ちゃん(くらやみ?)は、何らかの意味で対立しているのだろうね。

で、第三に指摘すべきは、今回、さらに悪目立ち?した、斧乃木ちゃん。
てか、もはやファイナルシーズンの超・便利屋。
しかも、キャラが不安定、というのが唯一のキャラ付けになってしまったので、もう、非常に便利に使われる、オールラウンダー的存在になってしまったw

とはいえ、斧乃木ちゃんのマスターとして登場した影縫さんが、どうやら臥煙さんに煙たがられていたことを考えると、斧乃木ちゃんの立ち位置も結構ビミョーで。最終コーナーでは、阿良々木ハーレムの一員として、臥煙さんをもだますように見えるよね。

まぁ、物語の中での機能としては、斧乃木ちゃんは八九寺の代替なんだけどね。

そういう意味でも、最後は阿良々木くんサイドで動くように思える。



・・・ということで、以上が、今回のお話で際立ったところかな。

で、じゃあ、物語として盛り上がったのか?というと、ちょっとビミョーだなと思ったのが、読後の第一声。

いや、西尾維新基準で言えば普通に面白いのだけれど、とはいえ、『猫物語(白)』の裏の進行していた話を今頃しますか?というのが正直なところかな。

単純にいうと、シリーズ構成の問題ね。

なので、作者自身は、想定外の中巻の発表!ってことになっているけど、でも、読者からすると、この話をすっ飛ばしたままでシリーズ完結はないだろう?ってのが本音だから、書かれるべくし書かれたものと思わないといけない。

裏返すと、当初予定されていなかった『暦物語』の発刊を含めて、ちょっと巻数を水増ししちゃったかなー、って感じがする。

あとがきで西尾維新自身が書いているように、これは、『傾物語』、『鬼物語』の後に、素直に続くべき話だよね。それを、ここまで引っ張ったのは、ちょっとどうかなー、と。

しかも、前作の『終物語(上)』で老倉育、というような新キャラまで出して、扇ちゃんの怪しさを記した後での物語なので。

最終的に、シリーズが完結したところで、時系列で読み直したら、いろいろと発見があるのかもしれないのだけれど。それくらい、シリーズの構成が見えにくい。

もっとも、だから、時系列の整理のために年表としての『暦物語』が書かれたわけなのだが。

だから、今回の内容は普通に面白かったけど、でも、それは『終物語』の中巻で書くことだったのかなー、というのが一番の疑問であり、手放しに面白かったといいにくいところ。

ちょっとパズルに過ぎるよね―。

たとえば、今回の阿良々木くんと神原の関係を読んだ後で、『花物語』の位置づけも変わるのかどうか?とかね。大方忘れているから、再読しないとだめだろうけどw


とはいえ、下巻は楽しみだし、もちろん、ここまで来たら『続・終物語』まで読むつもりだけどw


で、次巻だけど、今回、今までひっぱてきた空白タイムが補完されたので、素直に考えると、『暦物語』の最後の、阿良々木くんと八九寺が再会した場面から始まる、ということになるのだろうな。

これも、最終巻一つ前の冒頭を、阿良々木くんと八九寺のバカ話から始めるための工夫なのかもしれないけれどね。

で、とにかく気になるのは、臥煙さんの真意と、扇ちゃんの正体。

それから、ここまで音信不通だったメメが再登場するのかどうか。
・・・って再登場してくれないと、超肩透かしだけどねw
ついでに言えば、影縫さんと貝木もねw

ていうかさ、あれだけもったいぶった「臥煙の血筋」って何だったの?

あ、そうそう、羽川や戦場ヶ原も活躍するんだよね?、とか。

まぁ、阿良々木くんが、受験当日に失踪してしまっているのだから、彼女らが奔走しないはずがないよね。


・・・とか、気になるところはメチャクチャ多い。


予定通り、下巻、4月とか5月くらいには出てほしいな。

で、フィナーレとしての続・終。

ものすごく長いシリーズになった分、最後の大団円を目撃するのが今から楽しみでなならない。その気持ちはこの先、変わらないだろうなw

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西尾維新 『悲報伝』 感想

2013-11-27 18:23:16 | 西尾維新
空々空が主人公?の伝説シリーズ第四弾。
二ヶ月遅れの刊行だったけど、恒例となったこの厚さを維持してるのだから、まぁ、仕方ないかな―。
で、肝心の内容は・・・

というところで、いつもどおりスペースを開けます。
部分的にはネタバレになるところもあるだろうから、未読の人はそのつもりで。










































で、肝心の内容だけど、まぁ、いつもどおり。
これもこのシリーズでは恒例となった、冗長な説明の連続。
とはいえ、その冗長さをもはや期待してしまっているところもあって(苦笑

もっとも、今回は、四国巡りという物語の縛りwに対して、高知と愛媛を一気に済ませようとした結果、全編に亘って、チームスプリングとチームオータムの抗争が主題になってしまったので、読後感からすると、むしろ、伝説シリーズからすると「外伝」っぽい感じがしたかな。

空々くんのマイペースっぷりはいつもどおりで、全然ブレない。
それに対して、パンプキンが、相手チームで空々くんポジションの参謀役を務めていて、むしろ、彼女が空々くん化していてw、苦笑せざるを得ない。

今回、大きな変化といえば「悲恋」の登場だけど、まさか「悲惨伝」の感想で記したように、あっさり空々くんの仲間、というか、部下になるとは思わなかったw
前巻までの緊張感は何だったんだよ―、というのが、悲恋については正直なところ。

・・・なので、実は、本作は次の「非業伝」に向けた「繋ぎ回」って感じがとてもするんだよね。

正直、チームスプリングにしてもオータムにしても、全然愛着がわかないし。
というか、どうせ、空々くんに絡まない魔法少女は即退場でしょ?ってのが前作までのデフォルトなので、そういう構えで読むと、ホント、「悲報伝」一冊を通じて起こったことは、パンプキンが空々組wに再合流した、ってことだけなんだよね。
物語的には、それだけ。

あ、悲恋、という、一応の不確定要素はあるのだけど、悲恋のヤバさが仮にあるとしても、その話は次巻ってことなのだろう。

なので、ホント、パンプキンの帰還だけが今回の成果。

しかも、死んだパンプキンをジャイアントインパクトの「不死」で蘇らせるのも、何となく、真ん中ぐらいまで読んだところで予想がついたし。

そういう意味では、中継ぎの消化回。

まぁ、それでつまらないか、というと、普通には面白くて、頁を繰らせてしまうところは、さすが西尾維新、って感じ。

そういう意味では、チームの抗争、という組み立ては、両軍の様子を順次描写していく、という展開が予想出来るだけに、読みやすかったのだろうな。

あとは、西尾維新がわりとよく使う「双子」というモチーフね。

それも、一組先に双子を出しておいて、さらに・・・、という展開は、軽くミスディレクションなわけで。

最近、またちょっと、ミステリー的な方向に戻ってきているのかね、西尾さんは。
『暦物語』も『終物語(上)』もそんなだったし。

ミステリー的モチーフで全体の物語の背骨を作りながら、キャラの独白や会話で間を埋めるというのが基本的な構成。

しかしなー。
非業伝がでるとわかっていると、こういう展開になるかな、という典型のような、繋ぎ回。

なんていうか、野球は9回まであって、まさに、6回とか7回のあたりの話って感じ。

そろそろ終わるけど、まだ終わらない、という読みがあるからこそできる「中継ぎ回」。

こうなると、次の非業伝でちゃんと終わるかどうかが、肝心だな。

そう思うと、今回、やたらと、本来の敵であるはずの「地球」との再戦について、やたらと強調されていたので、むしろ、ここから先の話は、この、無駄に長いw四国編を経た後、第一作である「悲鳴伝」で強調されていた「地球陣」との争いへと、どう繋がっていくかだよね、次作である非業伝の見どころは。

そういう意味では、今回は、地球撲滅軍側の描写、不明室の描写が一切なかったので、彼らがこの四国の騒動をどう捉えているのか、が気になるし、それもまた非業伝で記されるのだろうな。「焚き火」はなにしてるだろう、とかね。

あるいは、絶和リーグも、この四国ゲームの果てに得られるであろう究極魔法をどうしようとしているのか。そのことも説明もほとんどないわけで。四国ゲーム監督者のチーム「白夜」の動きが、一応、絶和の考えの一部でもあるようだけど。それもねー。

ていうか、白夜の面々は、ホント、何、考えてるのだろう。
あまり、不明室とやってることは変わらない気がするし。

そういう意味では、パンプキンと魔女であるかんづめとの「再会」の意味も気になる。
「この姿では初めて」というかんづめの発言からすれば、以前は異なる姿をしていた、ということになるし。

まぁ、要するに、かんづめは、いわゆるロリババァってことになるのだろうけどね。

このかんづめとの再会も含めて、ここに来てパンプキンの位置づけが急速に浮上してきている、というか、四国編の物語の鍵となってきているのもに気になる。

こうなると、パンプキンには死んでほしくないな―、とかね。

あー、でも、相変わらず潜伏中のストロークがいるんだよね―。
最後の最後で、彼女が狂言回しを思想だよな~。次巻あたりで。
さすがに、皆、その存在を忘れてきてるしね。

それにしても、魔法、なんでもありだな。
もはやジョジョのスタンド並みに何でもあり。
最弱と最強が円環をなすあたりもね。
その、最弱対最強、という意味でも、パンプキンとストロークの因縁は気になるんだよねー。

ということで、繋ぎ回だった「悲報伝」だけど、よくよく見直すと、今までの伏線を回収しつつ、その上で、より大きな伏線をちまちまと張ってるんだよな。

なので、当然、非業伝は楽しみ。

悲恋はきっと何かやらかすでしょ―。

いや、あの「通信」装置が気になるんだよね。
あれはさ、きっと、絶和の本拠地、ないし、魔法研究部門の本拠地を、自律的に探索するためのロボだと思うんだよね。
なので、悲恋の通信装置は、やっぱり、爆撃用のターゲット設定をするためにあると思うのだよね。そのための異常なまでの白兵戦能力だと思うのだよね。
敵の本拠地に悲恋が到着した時点で、そこに向けてピンポイントでミサイルなりビームなりが撃たれるという仕組み。

ロックオンのための装置。

仮に対象が動く標的になっても、悲恋がその反応速度で随伴すれば、絶対に的を外さないわけだから。

逆に、パンプキンの「自然体」は、一種の隠形術でもあって、そのロックオンを無効化する手段なのかもしれない。

まぁ、そのレベルで、裏テーマである、科学対魔法、の対決が実際になされる、というのが、次巻以降じゃないのかな。

で、そういうわかりやすい、

地撲vs絶和
科学vs魔法
悲恋vsパンプキン

という構図の中で、生存本能だけで、それこそ「自由」に動いてしまう空々くんが、文字通りのジョーカーとして活躍することになるというか。

てかさ、そういう展開になって、それなりに、空々くん側の陣容が強化されないと、さすがに、地球陣との最終?決戦に対処するのは不可能だよね。

それに、今更、地撲側で新たな同僚キャラに出てこられても興ざめだしね。

そういう意味では、

究極の回復魔法(=不死再生)の術者  ジャイアントインパクト
魔女で、それ故多分ロリババア  かんづめ
超自然体  パンプキン
不明室の究極兵器  悲恋

という空々チームは、できればそのまま地球陣と対決して欲しいかな。

そういう意味では、チーム白夜から一人くらい空々くん側についてもいいよね。

まあ、なんというか、戯言シリーズ的にいうとそういうことだよね。
何だかんだ言って、心のない主人公の周りに、彼を気に病むキャラが参集する、ってことで。


ということで、非業伝、楽しみだな。

といっても、また半年後かなー。

その間に、『終物語(下)』や『続終物語』もあるしねー。
あ、『りぽぐら』もか。
しかし、そうなると、確かに「りすか」の最終巻もいい加減出して欲しいし、
人類最強のスピンオフや、病院坂黒猫の話も、ぼちぼち出して欲しいかな。

それにしても、西尾維新、多産だな―。驚くよ。

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西尾維新 『終物語(上)』 感想

2013-11-04 11:47:09 | 西尾維新
うーん、これは、賛否両論別れるかなー。
いつもなら、阿良々木くんの出る物語シリーズは購入後、最長でも3日ぐらいで読み切れるのだけど、今回は、どうもいつもと違って物語に乗りきれず、えらく時間がかかってしまった。
そういう意味で、今回は、微妙・・・な感じ。
もっとも、最近読むものに対して、総じて同種の「ビミョーな感じ」を受けているので、どちらかというと、単純に読み手の側のコンディションの問題なのかもしれない。
要するに、こういう話に飽きてきたのかもしれない。

ということで、以下、感想を記そうと思うけど、部分的にはネタバレもあるので、スペースを開けておきます。読む人は一応了解の上でよろしく。





































既にネットの上では多くの人が指摘しているように思うけど、今回の『終物語』は、大分、今までの物語シーズンの印象と異なる。もっとも、前作の『暦物語』も似たようなところがあったので、これはファイナルシーズンに特有の雰囲気なのかもしれない。

簡単にいうと、ミステリー色が濃くなった。
それも「無駄に」、ね。
無駄に、というのは、どうも、このミステリー展開は、今までの流れからすると、シリーズの引き伸ばし工作にも見えるんだよね。

今回、どうも読むのが遅くなったってのは、全編に亘って登場した忍野扇の存在がどうにも「ダーク」だったってこともあるのだけど(←これは結構マジでそう思ってる)、そもそも、第一話である「おうぎフォーミュラ」が、ミステリー色ってことだけでなく、そもそも題材にしている、紛糾した(阿良々木くんが議長を務めた)学級会の様子が、どうにも退屈だったから。

まぁ、西尾維新ワールドにおける「学級会」というのが、あるいは学校の「クラス」というのが、どうにも偽善的で、そこに居合わせるだけで鬱になるような魔窟空間であることはわかっているのだけど、それにしても、今回の、紛糾する学級会は気持ち悪かった。

皆で議論するってことを、これほどまでに2ちゃんの書き込み合戦、というか、炎上のように記さなくてもいいんじゃないの?、とまずは素朴に嫌悪感を持ったかな。

で、西尾維新らしい後味の悪さを示すのが、真犯人が担任の教諭だった、っていう事実のところね。

まぁ、扇ちゃんが扇動役ってこともあって、なおのこと、気味悪いわけだが。

で、面倒なのは、この胸糞悪い話が、『終物語(上)』全体としては、老倉育が登場するためのイントロでしかなかった、のがね。

いやー、さすがは西尾維新。迂遠過ぎる。

で、そこから先の「そだちリドル」にしても、「そだちロスト」にしても、老倉育はあくまでも話を進めるためのネタでしかなくて、やりたかったことは、阿良々木くんの過去話だけだった、ってことで。

それもエラく迂遠に感じたところ。

いやー、ホント、マジで、第三話で羽川が登場してくれなかったら、何なの?この話?ってキレるところだったな。

もっとも、その羽川にしても、どちらかというと、扇ちゃんの「悪のスペック」がどれだけのものか、強調するためのものでしかなかった、って気もするけど。

あー、でも、裏返すと、羽川の「善のスペック」もそれくらい高くて、傍目にはやはり「気持ち悪い」って範疇に入ってしまうのかもしれないが。

いやいや。それくらい、気持ち悪い。

もともと『終物語』が「おうぎダーク」として予告されていたことを考えると、やっぱり「扇=ダーク=くらやみ」ってのが「正解=真相」なんだろうけどね。

迷子探し → 八九寺の成敗、成仏
千石の下駄箱確認 → クチナワの仕込み
羽川の海外ロケハン → (多分)羽川を阿良々木くんから遠ざけるための催眠
戦場ヶ原のメール → (多分)扇による、なりすまし

前にも物語シリーズの感想で書いたと思うけど、多分、忍野扇は、一種のメタフィクション的作家のポジションで、その意味では、八九寺に近いポジション。
で、だからこそ、八九寺を早期に始末した。

忍野扇が関わることで、物語シリーズの「物語時空」そのものが歪められてしまって、どうも正規のルートから外れてしまっている感じがする。今回の阿良々木くんの、ありえなくらいの健忘症も、そうした扇の「物語改変力」の現れだろうし、簡単に阿良々木くんが言い含められてしまうのも、扇が作家ポジションの、というか、今風にいうなら、ゲームマスターのポジションを握っているからでしょ、きっと。

そういう意味では、忍野扇はラスボスの立ち位置にいる。

ゲーマスだからこそ、物語を容易にハックする。

ファイナルシーズンになって、妙にミステリー臭が強くなったのも、この扇が探偵=メタ作家=ゲーマス、として振る舞うことの必然といえる。

だから、多分、何の予告もなく突然ファイナルシーズンに前作の『暦物語』が書かれたのも、シリーズ全体の構成として、扇によるメタミステリーの導入を不自然に感じさせないための工夫、仕掛け、といえるのだろう。

前作で、米澤穂信的な、針小棒大な日常ミステリーを『暦物語』で導入しておけば、本作の忍野扇探偵の登場もそれほど唐突には見えないしね。

で、そうなってくると、やっぱり気になるのは、次作の『終物語(下)』への続きよりも、『暦物語』の最後に起こった事件、つまり、臥煙伊豆湖による阿良々木くんの殺害の意味、だよね。それと、八九寺の再登場。

やっぱり、臥煙伊豆湖vs忍野扇、という大きな対立があるのかなー。

それにしても、どうして「忍野扇」と名乗っているのか。
これ、普通に考えると、忍野メメないし忍野一族が、忍同様、名前で怪異としての存在を縛ったってことだよね。

つまり、阿良々木くんたちの命名による「くらやみ(仮称)」に対して名を与えることで縛った。

そういえば、『鬼物語』の中で、忍、というか、キスショットが昔、くらやみに襲われて身体の半分だか3分の2だか、を食われた、って話があったけど、そこから考えると、忍野扇の正体は、くらやみそのもの、というよりも、くらやみに食われたキスショット=忍の半身の成れの果て、なのかもしれない。あるいは、同様にくらやみに食われたキスショットの最初の眷属の成れの果てなのかも。さらには、その両者が混合し融合して発生した怪異なのかもしれない。

つまりは、忍のダークサイドが扇、ということ。

でないと、『傾物語』でわざわざパラレルワールドの自己崩壊した忍が登場する意味とかないのではないかな、と。

だから、阿良々木くんと仲のいい、幼女枠wの、八九寺や斧乃木ちゃんの存在を亡き者にするように画策したり、

千石を蛇神化させることで、羽川や戦場ヶ原との阿良々木君の関係を破綻させようとしたりしたんじゃないのかなーと。

そして、だから、そうした忍のダークサイドである扇の動機を解消ないし緩和するために、忍と阿良々木君のリンケージが一時的にはずされたのではないかな、とか。

もしかしたら、臥煙伊豆湖さんがアララギ君の存在を抹消させたのも、くらやみ=扇=忍のダークサイドを孤立させて、文字通り、成敗するためだっからではないかな?とかね。

となると、もちろん、扇の道連れに、忍も臥煙伊豆湖たちに消されてしまって、阿良々木くんは、めでたく吸血鬼属性を失い、人間に戻ることができる、ということではないのかな。

どうも、物語的には、こうした感じで、最終的には因果が回りそうな気がするのだよね。
てか、そうでもしないと、セカンドシリーズ以後の物語が余りにも破綻したものになってしまうから。

要するに、ファイナルシーズンとは、阿良々木くんと忍との関係、怪異としての、吸血鬼としての関係を破談に持ちこみ、晴れて人間となった阿良々木君が戦場ヶ原たちとともに生きていくところで、終わるのではないから。

それが、直江津高校を卒業する意味ではないのかとl

でないと、延々、阿良々木君の高校三年生の一年間を根掘り葉掘りしていかないだろうし、そのための俯瞰視点を得るための『暦物語』なんて書かれなかったと思うのだよね。

少なくとも、物語の「語り」上は、物語シリーズ全体を、一種のメタミステリーとして読んでくださいね、というのが、ファイナルシーズンになってからの大きなメッセージなのだろう。

となると、ホントに『終物語(中)』が出るかもねw
だって、そうじゃないと、今書いたような、メタミステリー的見方のための素材を提供することが難しくなるだろうから。

それに、『続・終物語』とは、シリーズ全体の後日譚になるだろうと思っているから。

でないと、「暦ブック」なんて副題をつけないでしょ。
「第本話」だしw

メタミステリー的に、これは、阿良々木暦が「語った」本であった、その「語り」はいくらでも変えていくことができる・・・、という具合のエンディング。


まぁ、以上は一種の妄想なわけだがw
しかし、『終物語(上)』を読むと、あながち外れてないんじゃないかな―、って思う。

ということで、ちょっとだれてきてるところもあるのだけど、あと2冊か3冊で示されるフィナーレを楽しみにしたいと思う。

要するに、阿良々木君が先延ばしにしてきた、
吸血鬼としての「永遠の楽園」を選択するのか、
それとも、
人間としての「有限な幸福」を選択するのか。

その選択が行われるのだと思う、最後にはね。

それはつまり、忍/八九寺/斧乃木 を選ぶのか、
戦場ヶ原/羽川/神原 を選ぶのか。

もっといえば、忍をとるのか、戦場ヶ原をとるのか、という二択になるのだと思う。

そして、そういう「苦い選択」を主人公に迫ってこそ、西尾維新なはずだから。


ということで、続きを早く!

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〈物語〉シリーズ セカンドシーズン 第4話 『つばさタイガー 其ノ肆』

2013-07-28 15:39:34 | 西尾維新
おお!
とうとう、臥煙伊豆湖、登場!
ついでに、阿良々木母にエピソードも!
いや、原作は既読だけど、発売時に読んだからもう3年近く前のことなので、さすがに、彼らが登場するのを忘れてたw

臥煙さんはとにかくセカンドシーズン以後の、超重要人物。
というか、どう考えてもラスボス候補の筆頭。
なので彼女が登場すると、この化物語というお話もずいぶん遠くに旋回してきたな、と思う。

そして、ガハラさんが言ってたとおり、神原駿河の係累だからね。

にしても、エピソードと阿良々木母の登場はホント、すっかり忘れてた。
エピソードとか『傷物語』を読んでないと、まぁ、ポカンだろうけど、映像にするとそれなりに見れてしまうから面白い。

それに吸血鬼って金髪なのね、とかね。

あるいは、阿良々木母は、圧倒的にバリキャラのイメージとかね。
あれ、警察に務めてるって言っても、どう考えてもキャリアの吐くセリフだよね。

阿良々木母が登場するのって今回だけだったように記憶してるけど、もしかして、阿良々木家は阿良々木家で、実は臥煙家とは違う意味で、先祖伝来、怪異との関わりを保ってきた家のように思えてきたりして。

というか、月火が不死鳥として生まれてきたのも、あの母なら、実はわかってやっていたことなのでは?とか思ってしまうよね。

もしかしたら、『終物語』や『続終物語』では、臥煙家だけでなく、阿良々木家の秘密まで開陳されるのかもしれない。それくらい、何というか、家族の属性を感じさせるような母の登場だった。

しかし、こう見てくると、ホント、この『猫物語<白>』は、セカンドシーズン以後の物語の設定や方向性を記すための序章だったのだな、と思う。正直なところ、その後のシリーズ続刊を『暦物語』まで読んでも、この序章で示された謎のほとんどは解明されていないのだけど。

むしろ、『終物語』は、『猫物語<白>』のストーリーをこうやってアニメでダイジェストで伝えることを受けた形でスタートするのかもしれない。

次回で、『猫物語<白>』は終了するはずだけど、しかし、ホント、よく出来てるなぁ。

こうなってくると、果たして忍野扇がどんなキャラとして画面上に現れるのか、とても楽しみだ。

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〈物語〉シリーズ セカンドシーズン 第3話 『つばさタイガー 其ノ參』

2013-07-25 16:43:38 | 西尾維新
なんだか、タイトルがもの凄く長いなー、
素直に『猫物語(白)』でイイじゃニャイかw

いやー、いいね、ブラック羽川w
まぁ、本作では、むしろ、ホワイト羽川、って方があってるんだけどね。
でも、ブラックの方の命名者の忍野メメがいないからしょうがないよね。

原作読んだ時も、笑ってしまったけど、
忍云うところの、

「ターミネーターとターミネーター2との違いじゃなw」

というのは、マジメに言い得て妙なところでw

結局、原作でも、この学習塾跡炎上事件の顛末はまだわからずじまいなわけだが、しかし、忍とホワイト羽川の組み合わせは、なんかこう、以前の仇敵どうしが手を組む・・・というような展開で、何気に胸熱だったりするw

にしても。

原作は全部、読んでるほどの、多分、普通にいえばかなりの西尾フリークではあるのだけど、しかし、この〈物語〉シリーズ セカンドシーズン(←やっぱ、なげ―よ!)を見ていると、このシリーズは、ホント、西尾維新が、ファーストシーズンの成功、もっといえば、シャフトによるファーストシーズンの映像化を受けて、というか、それに触発されて、続きを書いた、ということがよーくわかる。

だって、セカンドシーズンの原作が、ファーストと比べて、シナリオのような、会話とト書きの連続のような構成だったのは、もう、この映像化を端から前提にしていたからでしょ?というようにしか思えないから。
(で、その反動が、『悲鳴伝』から始まる空々くんの、延々内面描写が続く作風だよね)。

つまり、セカンドシーズンは、シャフト解釈の『化物語』に基づいた、西尾維新自身による二次創作なんだよ。

だから、羽川がガハラさんの髪型や容姿が、全く変わってしまいもするわけで。

そして、どう考えても、映像で見ると、セカンドの方の羽川の方が百倍いいよね。
行動的にみえて。

(まぁ、神原のおさげ・・・はどうかと思うがw)

あと、微妙にガハラさんとの間で、阿良々木くんを巡るナンバーワン、ナンバーツーのポジションを取り合っているところも。

というかさ、ホワイト羽川が実際に動くのを見て思ったけど、ガハラさんと違って、依然として怪異を身に宿している羽川の場合、実は、怪異の側になることによって、直接的に阿良々木くんの増援として、前線に立てるんだよね。

これは、おもし蟹を既に祓ってしまったガハラさんが怪異自体をもう直接見たり触れたりすることはできないのと大違い。そのため、ガハラさんは、セカンドシーズンでは、むしろ後方の司令塔役のような配置になる。

まさに、羽川と好対照をなすわけで。

たとえば、羽川ならば八九寺と遭遇することも可能になるわけで。

この怪異との距離感の違いが、それぞれのキャラクターのできること、なすべきことに、制約条件として働くところが面白い。

もちろん、怪異を身に宿して・・・、という意味では神原と被るところもあるのだけど、そこは、神原の存在を臥煙の血筋、という、セカンドシーズン(というかファイナルシーズン)のラスボス的存在と繋げてしまうことで、位置づけを変えてしまった。

まぁ、だから、羽川のポジションは、阿良々木くんを「勇者」だとすれば、さしずめ、「女騎士」のポジションというわけで。実は、一番のバディ、ってことだよね。

で、ガハラさんが、後方で勇者の帰りを待つ「姫」の位置づけ。
そして、姫は、戦闘力ではなく政治力で勇者を支援する。
それは、後で、貝木泥舟との関わりで遺憾なく発揮される。

で、そうした、羽川やガハラさん、あるいは神原、忍、八九寺、のような阿良々木くんとの距離をそれぞれ確立したキャラたちに憧れ羨んだ結果が、千石のラスボス化(というか、中ボス化)に繋がるわけで。

・・・という具合に、やっぱり、セカンドシーズンはよくできた二次創作。

というか、シリーズ全体が、『ターミネーター2』のような変化を遂げているといえる。

そして、それは、西尾維新がシャフトの映像に当てられたから、だと思う。

だって、ここまでのガハラさんと羽川の会話劇なんて、そのまま、ファーストシーズンのオーディオコメンタリーでしょw

あのオーディオコメンタリー自体、西尾維新が書いたということなので、きっと、もうその、オーディオコメンタリーを書くノリのままで記してしまったのが、セカンドシーズンってことだと思うのだよね。

なので、現在進行形のファイナルシーズンにしても、絶対、シャフトで映像化されることが前提なのだろう。

突如刊行された『暦物語』なんて、きっとブルーレイ化された時の特典映像として各話15分ぐらいで映像化されるのだよ!、きっとw

それにしても、セカンドシーズンの羽川はいいなー。
猫もいい。
このノリでずっと行ってくれるといいな、ホントに。

ということで、セカンドシーズン、最高だぜ!

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西尾維新 『悲惨伝』 感想

2013-06-29 16:42:32 | 西尾維新
空々くんシリーズの第三弾。
で、四国編の第二弾。

前作の『悲痛伝』が今ひとつな読後感だったのに対して、
今回は、四国編全体の物語の向かう先が見えてきたので、大分スッキリした。

といっても、相変わらず、途中は冗長なわけですが。

この伝説シリーズは、第一作の『悲鳴伝』が、かつての戯言シリーズの、西尾維新的二周目の世界、という感じだったのだけど、第二作目の『悲痛伝』からの四国編突入で、結構としてはかつての『刀語』のようだなー、と思えてきた。

で、今回の『悲惨伝』を見ると、多分四国脱出ゲームという設定もあるからなのだけど、中身的には、西尾維新版『禁書目録』のように思えてきた。

というか、『禁書目録』に限らず、この数年の「人気のある作品」のいいとこ取りをした作品のようになってきた。

なにしろ、四国編の基本が「魔法vs科学」という構図になって。

しかも、絶対平和リーグが、今回の魔法実験をしてることから、四国全体が、『禁書目録』の学園都市ならぬ「魔法都市」って感じになってきたのだから。

加えて、空々くんはもう、すっかり魔法少女とデスゲームに参戦してしまったので、ゲームなのにマジモンで死んでしまう、という設定は『ソードアートオンライン』のようなもの。

なにしろ、「死んだ人間を生き返らせる」魔法まで出てきたら、もうなんというか、これ、魔法ファンタジーワールドでしかないでしょ。

というか、四国、完全に単なる結界だよね。
むしろ、スティーブン・キングの『アンダー・ザ・ドーム』に近い。
完全なる密閉空間。
ただし、キングと違って、その結界を張っているのが、結局のところ、神ではなく人間であり、そこでは魔法が使えるファンタジー系デスゲーム、というのが今回の設定。

神ではなく人が敵、というのが、実は救われないのだけど、
そう感じさせないのは、そもそも空々くんたちの本当の敵は「地球」だから、なんだよね。

でそういう設定の中で、人工的な「魔法少女」に対して、天然物の「魔女」まで登場してくると、『まどマギ』みたいでもあるし。

いやー、なんか物凄いマッシュアップになってきた気がする。

しかも、最後に、科学側、つまり、空々くんの所属する地球撲滅軍の最終兵器が、人造人間『悲恋』というのだから、これは新約『禁書目録』に出てきた「恋査」のように思えてくる。あるいは、風斬氷華のような人工天使のようなもの。

で、西尾維新としては、前巻の段階で予告していたとおり、あと二冊で四国編を終わらせるようだけど、あとがきによれば、これにさらに、和歌山編がオチとしてつくみたい。なので、ますます、『刀語』のようになってきた。

でも、多分、その流れは、地球撲滅軍vs絶対平和リーグ、すなわち、科学vs魔法の、地球人同士の闘いに過ぎないから、その後に、本丸である「地球」自体との対決に向かう最終章?が待ってるはず。

となると、この伝説シリーズも結構、長い物語になりそうで。
大変なことになりそう。

それにしても、この厚さで、この遅々として進まない感じの物語展開は、なかなかに厳しいところもある。

いや、「伝説」シリーズ、として、「悲X伝」というように、「伝え聞いてものを書き記している」という形態をそもそも宣言しているから仕方ないのだけど、空々くんたちの心理をくどいくらい丁寧に追っていくだけでなく、途中で空々くんという英雄の「伝説」を語る語り手が、延々と状況設定の描写や、物語の流れの予告を比較的に頻繁に挿入して来るので、思いの外、本編が進まない。

前者の、長々と続く空々くんたちの心理描写は、四国編に入ってからの設定が完全にデスゲームになってしまって、文字通り、ゲーム的心理戦を繰り広げざるを得ないので、仕方ないのだけど、それにしても長い。

なんというか、『HUNTER×HUNTER』を絵なしでネームだけで読んで言ってるようなもので、結構しんどい。

この手のゲーム的心理戦の場合は、どれだけ合理的に事態を捉えるか、そして、その判断をどの程度、他のプレイヤーも行って来るか、というように、とにかく推測のれんぞくになるわけで、それを延々やられるのはツライ。

で、その辛さは、結局のところ、何のゲームをしているのか、そして、そのゲームのルールが何なのか、が判然としていないから。

なので、心理描写といっても、もっぱら空々くんが中心になってくるので、途中、さすがにうんざりさせられるところがある。

とはいえ、四国ゲーム自体が、そのゲームのルールを集めよ、という、いわばゲームのバグ取りをプレイヤーにさせているようなところがあって、もうただでさえメタ語りな傾向のある西尾維新をさらにメタゲーム化していて。。。

なので、これはいくらでも冗長に書けてしまう。

となると、この先は、いかに、その、その気になればいくらでも書き続けられてしまう設定、という西尾維新本人的に美味しすぎる状況を、いかに禁欲して、物語をエンタメとして加速させるかに、残り二冊+アルファの成功が掛かっているように思える。

その意味でも「伝」の語りの部分をどれだけコンパクトにするか、もね。

ということで、次は9月かー

鋼矢さんやかんづめ、ジャイ子が、次の物語で死なないことを願うばかり。

というか、キャラの配置的には、実は化物語風になってきてるのも確かで。。。

何だかんだ言って、続きが楽しみになるところは、
西尾維新の面目躍如たるところだね。

さてさて、どうなることやら。

てか、いきなり悲恋が仲間になったりしてね。。。w

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西尾維新 『暦物語』 感想

2013-05-23 19:47:03 | 西尾維新
すっかり発売を忘れていて、たまたま入った書店で見つけてそのままゲット。
で、あっという間に読み終わった。

いろいろな意味で面白かった!かな、やっぱり。

で、当然、ネタバレもあるので、
というか、むしろ、『暦物語』を受けて、ファイナルシーズンの展開についてもあれこれ考えてしまった。

一応、以下に、ちょっとばかりスペースを開けておくけど、未読の人は了解の上でどうぞ。




































『化物語』については、最初のBoxの上下巻を読んだ者としては、
アニメ化好評の結果、

「思えば遠くへ来たもんだ」

と常々思っていた。

特に、アニメが好評だったために、ある意味、商売優先で始まってしまったセカンドシーズンでは、アニメ用にキャラ立ちが重視される一方、物語としては時系列がバラバラで入り乱れていて、シリーズ全体の流れが今一つよくわからなくなっていた。

というか、そもそもセカンドシーズンに入ってからの各巻は特定ヒロインに焦点を当てた戯言展開が中心で、つまり、読者受けだけを狙ったノリだけで書かれてる気がしていて、何かもう、物語的な面白さとか、シリーズ構成とか、半分以上どうでもいい気になっていた。

・・・という、ある意味、ロイヤリティの高いw アニメ以前の、最初期からの西尾維新ファンに対して書かれたのが、今回の『暦物語』という感じだった。

阿良々木くんの高校3年生の一年間を一月ごとに追いかける短編12本(といっても一応各編30-40ページはある)から成る連作。

で、シリーズ完結に向けては重要だが、しかし、セカンドシーズンに入ってから、戯言成分によって水増しされてしまった本文の中に隠れてしまった、文字通りの「伏線」を拾いだして、今までのシリーズの内容をひと通り、作者視点でおさらいしておこう、というのが今回の主旨。

西尾維新自体も、後書きで、伏線について触れているから、今書いた「意図」は多分、間違ってないでしょう。

で、そう考えると、このタイミングでの、阿良々木くんの一年を振り返る、というのは成功だったと思う。

12月までの各編は、基本的には、ボーナストラック的なエピソードをまぶして、阿良々木くんと各ヒロインとの関係性や距離感を再確認していたわけで。

個々のストーリーは、それこそ、米澤穂信が書きそうな日常系ミステリー風の他愛の無い謎を扱いながら、その一方で、全体として、パンデミックを題材にしてそもそも「怪異」とはいかにして人間の間で現実的な存在に成るのか、という、『化物語』的には、そもそも物語の根幹を支えるメカニズムについてもそれとなく触れていて面白かった。

で、1月以降の三月分は、次に来る『終物語』と『続終物語』への序章となる話に焦点が当たってきて。

で、まぁ、ネタバレするけど、

阿良々木くんが臥煙伊豆湖に
モノホンの怪異殺しである心渡りで輪切りにされて殺されて、
多分、死後の世界?で覚醒したら、
八九寺と再会した・・・

ところで幕引き。

えーと、これは、いろいろと考えさせられるよね。

八九寺と再会は嬉しいものの、彼女がくらやみに成仏させられたことを考えると、阿良々木くんも同じように「死んで成仏」させられてしまった、ということ。

そして、「成仏」によって、八九寺は、表向きは「地縛霊」や「浮遊霊」という怪異の属性を剥奪されていること。

となると、阿良々木くんも怪異属性を外されてしまったのだろうということ。つまり、忍とのリンク=因果が断ち切られ、その上で、彼自身の吸血鬼属性も消失した、と考えられること。

それから、阿良々木くんと八九寺が再会を果たしたことで、多分、「くらやみに飲み込まれること」と「心渡りで切られること」は、怪異殺しとしては等価な機能を持つということ。

・・・となると、多分、くらやみの正体は忍野扇であることを考えると、扇ちゃんと臥煙さんが、要は、怪異に関する商売敵で、その二人?で縄張り争いをしているところに、阿良々木くんたちが巻き込まれてしまった、ということなのだろうな。

なので、残り二作では、当然、この二人の因縁がひとつの鍵になる。

加えて、残り二作が

『終物語』

『続終物語』

という具合にあからさまに、「終」が「終わらない」ことを予感させるタイトルであることを考えると、何らかの意味で「ループ」っぽい「エンド」が両方で示されるのだろうな。

と考えると、多分、『化物語』シリーズ上、たっての「メタコメント」キャラである八九寺が、満を持して再登場したことも意味があるように思えてくる。

ある意味、成仏して首尾よく「あの世」にいる八九寺からすれば、全ての分岐ルートが見えてしまう、ただし、それぞれのループには干渉できないけれど・・・、というようなことなのだろうな、と。

今回の『暦物語』で執拗なまでに、物語全体へのメタコメントが禁欲されていたのも、それが八九寺の役割だから、というのを際立たせるためでもあったのだと思う。

それに、今回は、蛇神になる前の撫子が登場しているのも、彼女が蛇神化しなかった世界に最終的にもは戻って、あー、全てはパンデミックのような「うわさ話」から生じた怪異譚だったねー、というオチで終わるんじゃないかなーと。

もちろん、その場合は、各キャラの怪異性は全て剥奪されてしまう。
なので、八九寺と忍の退場はマルヒツ。
あ、今の流れだと、斧乃木ちゃんもか。

だから、阿良々木くんの周りのロリキャラwとの別れは必定、ということになる。

少なくとも、そうした、完全なる「怪異」から外された世界に帰還する、というのが、多分、一つ目の物語の「エンド」。

で、もう一つは、当然、この逆で、全ての怪異が残ってしまう世界。
当然、臥煙さんや忍野、貝木、影縫、の面々も残る。

というか、セカンドシーズン、ってこういうルート分岐を複数繰り返した話から成立していたわけだし、そもそも、八九寺が成人した「未来」まで見てしまったわけだから「数多あるルート=多重世界からの選択」という幕引きの方法が、シリーズの完結方法として取られてもおかしくない。

そもそも、学習塾跡炎上事件の顛末も謎のままだし。
そういえば、あの時(『猫物語(白)』)、忍は阿良々木くんとのリンクを切られていたわけだけど、この状況は今回の『暦物語』のラストでの、臥煙さんによる心渡による阿良々木くんの瞬殺が起こった後の世界でなら、話の辻褄が合うことになる。

となると、そもそもセカンドシーズン自体が、『暦物語』のラストから分岐した世界を先見さされていたのかもしれない。

いや、そうなると、神原の「臥煙の血筋」の問題も明らかにされるし。

だいたい、『花物語』では、既に神原は、大学生になった阿良々木くんと再会しているわけで。つまり、神原の「臥煙の血筋」が、阿良々木くんをハッピーエンドに向かわせるルートを選択させる鍵になるのだろうし。

つまり、神原と臥煙伊豆湖については、「臥煙の血筋」についてのエピソードもあるはず。

となると、後書きで、西尾維新がしれっと書いている、『終物語』と『続終物語』との間にも、今回の『暦物語』のように、予定外のエピソードが挟まれる可能性は、むしろ大いにある、ということだろう。

というか、ぶっちゃけ、セカンドシーズンでばらまかれた伏線のほとんどは、全然回収されてないんだよね。

なので、それを行うのが、我らがメタキャラ八九寺、と、八九寺同様成仏した阿良々木くんの役割、ということになるんじゃないなかな。

で、「予定調和」w的には、怪異と人間が共存する世界を阿良々木くんが所望して終わる。

なぜなら、そもそも、怪異は、人間の噂、心持ちが産み出すものだから。
怪異譚は、神話や英雄譚と同じように、人心が産み出すリアリティであり、
だから、裏返すと、怪異譚が存在しない世界を選択すると、
それはもう人間の世界としても「ありえない」世界になるから。

とかいういう理屈で決着が着く。


・・・とまぁ、こんな感じかなー。

つまり、ファイナルシーズンは、セカンドシーズンの錯綜した物語にケリを付けることが狙いになる。

その意味で、7月から半年に亘ってセカンドシーズンをアニメ化していくスケジュールは上手いよね。

そこで、アニメとしてセカンドシーズンのディテールを思い出しながら、その一方で、不ファイナルシーズンを出版する。

一応、夏に『終物語』が刊行されるようだから、『続終物語』は12月末の、セカンドシーズンの最終話が放送されたあたりで出るのだろうね。

あるいは、秋ぐらいに、間を埋める『XX物語』が何か出て、2月くらいに『続終物語』ということかもしれない。

とにかく、どんなふうにして、『化物語』という、もはや「お化け」コンテントとなったヒットシリーズに決着を付けるのか。

アニメ以前の、最初期の読者の一人として心待ちにしたいと思う。

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西尾維新 『憑物語』 感想

2012-09-28 19:46:59 | 西尾維新
『物語』シリーズのファイナル・シーズン第一弾。
ネタバレ的な記述もあると思うので、未読の方は予めご了解いただきたく。
以下、少しスペースを開けておきます。








































「よつぎドール」とあるように斧乃木余接が一応、主役というか、スポットが当たる役割。

で、ここのところ、要するにセカンド・シーズンだと何だか当たり前になってしまった、怪異とは何ぞや、ということに再び焦点が当たるような展開。そのために、「人形」である余接の話が挟まれる。

要するに、人外と人間との「境界」は何か、という話。

で、その境界線上にあった阿良々木くんに異変が起こり、自発的に吸血鬼化が進んでしまう・・・、という話が被さってきて、その吸血鬼化の進行を抑えるには、これ以上、忍を便利に使ってツーマンセルの吸血鬼コンビ(一時的)になってはならない、という制約条件が付きました、というのが今回の一番のポイントかな。

つまり、いわゆる変身ヒーローものにおける終盤に必須の、変身回数の制限が付けられたという設定。
あと一回変身したら、君はもう二度と立ち上がることはできないんだ!・・・という展開。

いやー、これは王道中の王道フラグだよね。

で、その制約条件を巡って、不死系怪異の壊滅(というかバトル)を信条とする影縫余弦と、元吸血鬼の忍の間で、完全吸血鬼化を巡って板挟みにあう阿良々木くん、という構図。

吸血鬼化したらガチで倒すぜと宣言する余弦と、二人して吸血鬼になることもまた一興とある意味で軽く誘惑する忍、の間で、とりあえずは、人外ではなく人間に留まることを選択する、優柔不断というか、状況に流されやすい阿良々木くん。

この構図の下で、では、阿良々木くんが吸血鬼に変身できないなら、代わりに僕が戦おう、と、従者というかカプセル怪獣的役割を買って出たのがおののきちゃん。

で、とりあえずある事件がおきて、その解決にまた奔走する阿良々木くん、という具合である意味で、化物語の初期のイメージに戻った感じ。

もちろん、途中で、また妹萌えみたいな、セカンド・シーズンですっかり定番化したシーンが挟まれ、というか、まずはサービスシーン的に物語冒頭で現れる、という構図。

あとは、これもセカンド・シーズンでクローズアップされてきた、忍野メメのかつての学友たちが、いわば阿良々木くんたちとはレイヤーの異なる外部から、この物語世界にちょっかいをだす役割として参加してくる。特に、臥煙伊豆湖の暗躍っぷりがほのめかされる。それと、もう怪しさ満点でちょこちょこ現れる忍野扇。この二人が、何となく、シリーズラスボス的なニュアンスをさらに漂わせてきた・・・。

以上が、概要?かな。

で、面白かったかどうかといえば、まぁまぁ。
「化物」語という怪異の話に焦点を当ててきて、その解明のために、もろもろ張ってきた伏線を、一応は解消しようという方向にあるようで。

これであと2回の「終物語」でこれらの伏線や謎をきちんと回収できたらオッケーかな。

とはいえ、結局、学習塾跡地炎上事件とか、相変わらず放りっぱなしのままなので、多分、ほとんど回収できずに終わると思うけどね。

なんだろうなぁ。
セカンド・シーズンの後半から感じてる、西尾維新、もうちょっと駄目か?
という感じが改めてしなくもない。
いや、ベストセラー作家であることは間違いないのだけど、もう、なんていうのかな、ただただ、ひたすら出版社側の都合で物語を引き伸ばしているだけじゃないのかな、と思えている。この印象はやっぱり拭えない。

だからかもしれないけど、今回、途中まで読んでてて、あれ、これ、どこかで読んだことがあるなぁ、という既視感があって、何かなー、と思ってよく考えてみたら、構成が『戯言』シリーズの最後だった、ネコソギラジカルに何か似てる感じがしたんだよね。

吸血鬼化をしないで要は口八丁手八丁で何とかしようとする阿良々木くんはいーちゃん。
横で何とか彼をサポートしようとする忍は、青色サヴァンの玖渚友。
阿良々木くんの盾になろうと献身的になる斧乃木ちゃんは、闇口崩子ちゃん。
で、どうも人間としては最強臭い余弦は、人類最強の哀川潤。
ついでに言えば、ラスボス臭のする、忍野扇や臥煙伊豆湖は、西東天。

・・・という感じかな。

で、そう考えると、今回は、というかここのところのこのシリーズの話は、臥煙ネットワークの話がチラチラしすぎるんだよね。

だから、一応昇天したことになってる八九寺や、蛇神で一時ラスボス化した千石が、登場しないことはもとより、戦場ヶ原や羽川まで出てくる余地がない(いや、戦場ヶ原は最後にちょっとだけ登場するけど、もはやキャラが違いすぎる)。

なんというか、物語の世界観が変わってしまったというか、
むしろ、なんだか、戯言シリーズのコピーになってきているというか。

そう考えると、八九寺は姫ちゃん(紫木一姫)、千石は想影真心みたいにみえてくるし。

そういう既視感も含めて、ちょっと西尾維新、大丈夫か?という気になってくる。
出がらし感が強いというか。

なので、残り二冊でどうこのコピー感、というか既視感を拭ってくれるか、が鍵かな。

今回の流れを素直に受ければ、メメの再登場はほぼ確定だと思うので、そのあたりで、戦場ヶ原や羽川がもう一度絡んでくるのかな、とか。

忍野忍と臥煙伊豆湖をどこまでマジで扱うのか、とか。
(セカンド・シーズンの勿体つけた感じの伏線の多くは、この二人関連なので)。

そもそも、セカンド・シーズンって、途中、結構時系列バラバラになってたのだけど、あれはあのまま放置されるの?とか。

あとは、残り一回しか変身できないヒーロー設定になってしまった阿良々木くんが、いつ、どこで、その一回を使うのか、・・・とか。

ただ、今回の書かれ方でいうと、阿良々木くんの吸血鬼化は、何となく月火の不死鳥属性を取り込んだだけじゃないのかな、という気もするんだよね。だから、吸血鬼になるのではなく、単に不死属性が増した、ということかな、と。

一応、忍=吸血鬼とは違う不死性を匂わせる記述があったし(だから、一種のこれは叙述トリックだよね)。そもそも忍の吸血鬼化(というか復活)とは独立した現象として阿良々木くんの吸血鬼化が進行していたわけだし。

その吸血鬼化の徴候が現れたのも、全て月火と関わった後のことだしね。
互いに代謝が異常にいいことをわかった上で、その代謝の良さの象徴である髪を洗いあったら、まぁ、何か、怪異の転移とか起こりそうだしね。

というか、月火が何か願をかけて髪を伸ばしっぱなしにしてる、ってことだけど、状況的に考えて、阿良々木くんの大学合格を願ってるわけでしょ、きっと。
だから、その願かけの象徴である髪を扱ったら、やっぱり何かがその願をかけた相手である阿良々木くんに転移すると思うんだよね。
そうやって、つきひフェニックスの話を絡ませてくると思うんだよね、今後。

つまり、もう一度吸血鬼になっても、多分、人外になるわけではないということ。
そういう風に捻ってくるんじゃないかな。

そう考えると、一応、ファイナル・シーズンだから、今まであったことは奔流のように一気に組み合わせてくることもあり得るな、と思えてきて。

だとすると、今回やたらと思わせぶりだった、火憐の空手の師匠が実はあっさり臥煙伊豆湖だったとかで、火憐と神原の繋がりも一気に出てくるとかね。

そういう、ああ、あれとこれはそんなふうにつながっていたのか、というような、荒業的設定開示をしてくるように思える。

なんたって、ご都合主義的な辻褄合わせは西尾維新の十八番だからね。
それをご都合主義的にみせないところが、あるいは、見えても、だってしかたないじゃん、と思わせて強引に物語を畳むのが西尾維新だから。

なので、残り二冊で、そうした西尾維新的豪腕/辣腕が発揮されることに期待したい。

でないと、さすがにセカンド・シーズンの、伏線の散らかしっぷりは問題だと思うんだよね。作家というか、小説家として。

西尾維新には、タダの、萌えラノベ作家にだけはなってほしくないので、是非ともウルトラ級の大団円を期待したい。

そうでないとさすがに、今回の手折正弦の登場と退場は、彼自身が述べた通り、あまりに都合の良い、出来過ぎたドラマだから。

そろそろ、西尾維新も、もう少し大人の作家になって、ちゃんと物語を終わらせることをしてもいいと思うから。

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偽物語 第11話 『つきひフェニックス 其ノ肆』 ~ ネギま!との類似性

2012-03-18 13:25:50 | 西尾維新

あっという間に偽物語終了。

全体を通じてみると、率直に言って、『化物語』の方が面白かった。

まぁ、原作自体、『化』の方が格段に面白いから仕方ない。
シャフトのせいではない、というか。

とはいえ、『化』の時のような映像による翻案が『偽』の方にはほとんどなかったので、その点での物足りなさは当然あった。基本的には、原作の動きを素朴に再現しているものが多かったから。

シャフトらしさが減った、というか。
まぁこれも原作がほとんど会話だけになってしまったから仕方ないんだけど。

もっとも、シャフトが自分自身で前作の『化』の映像表現を、ただ様式だけ、つまりはネタとして使っただけのように思えることの方が多かったかな。

難しいところだけどね。

『偽』の物語は、今回明らかにされた、月火が実は生まれながらにして怪異そのものだった、というのが一番面白い部分なんだけど。

いや、原作を読んだ時は、月火が上半身を吹き飛ばされたところはマジで驚いたわけで。
裏返すと、この事実がなかったら『偽』はただの妹萌えの話でしかないんだよね。物語の構造としては。

難しいなぁ。

なので、『偽』を映像にしても、キャラが動いている、というところを除くと対して映像にした面白さがないんだよね。

まぁ、『化』との明らかな違いで行けば、忍が物語に絡んできた、ということで。新奇さのほとんどは忍のキャラだよね。

後は、その忍が前に出ると、ガハラさんと羽川が退いていしまう。
このあたりは読んでる時はあまり気にならないのだけど、映像にするとてきめんに出るね。
だからこそ、今回の最後にむりやり戦場ヶ原のショットを入れたのだろうけど。

うーん。

貝木にしても、第二シーズンが始まらなかったからただのダメおやじだし、影縫はただのバトルオタクのおばちゃんだから。

『偽』をせいぜい8話ぐらいにしてオリジナルでもいいから、シーズン2に繋げるような回があってもよかったかも。『傷』の映画化を挟んだせいか、このあたりテンポが悪く見えるかな。

それにしても、映像で見ると、『偽』はやっぱり特定のファン層に媚びた展開かな。
ま、それが西尾維新の趣味って言われたら何も言いようがないのだけど。

どうも、萌え萌え、言い過ぎてるように思うけどね。
『偽』が出版された時はそれでもよかったけど、今、これを映像化されてもなぁ、という気はやはりする。このあたりは、この間書いた、ネギま!も賞味期限が来ていたと指摘したことに近い。

あー、そうか、ネギま!同様、ファンの意向とか気にし過ぎると、なんか収拾がつかなくなるようだな、やっぱり。

『化物語』も、ネギま!同様、シーズン2では、結局、タイムマシンやパラレルワールドを出してしまって、展開が似てるんだよね、構造的には。

なんというか、作者自身が、二次創作のノリで書いてしまうというか。
商業的にはそのほうがいいのだろうけどね。
でも、こういう展開は、結局、物語の寿命を作者自らが短くしているように思えるんだよね。読者の欲しい物を先回りして、しかもボリュームゾーンに合わせると、どうしてもある方向に比重がかかってしまうから。

このあたりは、多分、『まどマギ』以後、変わってしまったところだと思うのだよね。
構造についても、読者の嗜好についても。
『まどマギ』って要するにループ的な話に止めを差したと思うので。

『モーパイ』や『ちはや』のストレートな面白さを考えるとそう思うな。
萌えとか、もういいよ。飽きた。

もっとも、『モーパイ』や『ちはや』については、単純にこういうのが好きなだけかもしれないけど。でも、『化物語』にしても『ネギま!』にしても最初に面白いと思ったのは、多分、そういうストレートな部分を感じることができたからだと思う。それが回が進むにつれて、なんというか、読者と一緒にオリジナル原作を作者自身が改変して遊んでる感じがして、どうも息苦しくなった、というか。ネギま!の19巻以降の魔法世界編ってまさにそれだから。

『化』のシーズン2も相当微妙だったからな。いろいろ設定を投げっぱなしという点では、終わり方は大してネギま!と変わらない。

あの終わり方が許されるのは連載ではなく書きおろしだからで。

それにしても、シーズン2完結後、シーズン3へ、というのは、まぁ、あざといよね。

そういう、作者と読者の駆け引き、みたいなものはあまり前に出てほしくないなぁ。

諸般の事情で、難しいのだろうけど。

・・・ということで、『偽』の映像化は微妙であった。

まぁ、読む側がいろいろと飽きるくらいだから、書く方はもっと大変、というか、実際には飽きるんだろうな。
それを仕事と思ったら、いろいろとパタン化されても仕方ないし、まわりの様子にも流されるよな。

なんか、『絶望先生』のコメントみたいになってきたなw

あ、あれももう終わるのか・・・w

なんか、潮目の時なのかなぁ。

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