ブルーレイになったので、ようやく「無限列車編」を見ることができた。
さすがにコロナ禍のさなかに映画館に行く勇気はなかったので。
で、早速、観終わっての感想だけど、正直なところ、言われているほどのものではなかったというのが第一印象。
117分はいかにも長い。
90分くらいに収めて、中盤の魘夢と炭治郎たちとの戦いをもっとスピーディに進めたほうが良かったんじゃないかな。
だって、肝心の猗窩座が現れるまでがとにかく長い、長すぎ。
しかも、猗窩座の登場が、あまりにも唐突。
ら無限列車編ということで、汽車に乗り込むところから通しで観て思ったけど、これ、やっぱり、猗窩座の登場が唐突すぎる。
魘夢戦と猗窩座戦が、ぶつ切りのごとく、分断されていて、ちょっとこれはないわー、と思った。
原作を読んでいてもそう思ったのだから、多分、映画の流れに、原作の流れが合ってなかった、ってことだよね。
せめて映画のシナリオとしては、途中で猗窩座が無限列車に向かっている、あるいは、気まぐれで行ってみようか、というくらいのシーンを一瞬でも挟み込んだほうが良かったんじゃないかな。
あ、これは120分近くある映画の尺から考えてね。
あとは、魘夢が列車と一体化した上で炭治郎たちと戦う場面だけど、あのウニョウニョした触手なのか腸?なのかわからないけど、あのウニョウニョしたやつがCGで作画されているせいもあるけどウンコみたいに見えてしまって、笑うと同時に白けてしまった。
あれはもう少し暗めのものでも良かったんじゃないかな。
最後の煉獄杏寿郎のセリフも、映画だけで観るとちょっと脈絡がなさすぎ。
もう少しご母堂とのやりとりを増やしてもよかったんじゃないかな。
特に煉獄の場合は、父不在の母が規範の、文字通り、昭和のサラリーマンの息子だったわけだから。
ということで、この映画が日本の歴代興行収入第1位というのは、なんかちょっとね。どうなんだろう。
いくらコロナ禍の下で、みんな娯楽に飢えていたからといっても、日本人って、ホント流行っているものに群がることしかできなくなったんだな、って思った。
まぁ、ただの食パンに行列ができる世相だからな。
日本社会って貧しくなったんだな、と感じたよ。いや、嫌味じゃなくてね。
オリンピックの強行開催もそうだけど、コロナ禍って、ホント、日本の暗部、というか最底辺のダークなところを、思い切り、明るみに出してしまったようで。
鬼滅も、別にただのマンガとしてならごく普通に面白い部類なので、その意味では評価しているけど、でも、これが社会現象となったことには、なんか、いろいろと考えさせられる気がした。
無限列車編、ってそういう意味では、現代日本社会の症候だったんだな、って思う。
むしろ、何の前情報もなしで、普通に素直に見れればよかったんだろうな。
そうそう、炭治郎にしても善逸にしても伊之助にしても、もう少しカッコよく戦うと思っていたのだけど、なんか、そういうケレン味が、それまでのテレビシリーズと比べても欠けていたと思う。
その分、魘夢の描写が多くて、もったいなかった。
まぁ、それもこれも、「魘夢vs炭治郎」戦は、あくまでも「猗窩座戦vs煉獄」戦の前座になってしまったからだと思うのだけど。
きっと、普通にテレビシリーズでやっていれば、炭治郎たちも活躍できただろうし、エピソードの切り替えで、「猗窩座戦vs煉獄」戦の唐突さも解消されて、むしろ、素直に煉獄の抵抗にしびれることが出来たのだろうけど。
うーん、いろいろと残念だった。
さすがにコロナ禍のさなかに映画館に行く勇気はなかったので。
で、早速、観終わっての感想だけど、正直なところ、言われているほどのものではなかったというのが第一印象。
117分はいかにも長い。
90分くらいに収めて、中盤の魘夢と炭治郎たちとの戦いをもっとスピーディに進めたほうが良かったんじゃないかな。
だって、肝心の猗窩座が現れるまでがとにかく長い、長すぎ。
しかも、猗窩座の登場が、あまりにも唐突。
ら無限列車編ということで、汽車に乗り込むところから通しで観て思ったけど、これ、やっぱり、猗窩座の登場が唐突すぎる。
魘夢戦と猗窩座戦が、ぶつ切りのごとく、分断されていて、ちょっとこれはないわー、と思った。
原作を読んでいてもそう思ったのだから、多分、映画の流れに、原作の流れが合ってなかった、ってことだよね。
せめて映画のシナリオとしては、途中で猗窩座が無限列車に向かっている、あるいは、気まぐれで行ってみようか、というくらいのシーンを一瞬でも挟み込んだほうが良かったんじゃないかな。
あ、これは120分近くある映画の尺から考えてね。
あとは、魘夢が列車と一体化した上で炭治郎たちと戦う場面だけど、あのウニョウニョした触手なのか腸?なのかわからないけど、あのウニョウニョしたやつがCGで作画されているせいもあるけどウンコみたいに見えてしまって、笑うと同時に白けてしまった。
あれはもう少し暗めのものでも良かったんじゃないかな。
最後の煉獄杏寿郎のセリフも、映画だけで観るとちょっと脈絡がなさすぎ。
もう少しご母堂とのやりとりを増やしてもよかったんじゃないかな。
特に煉獄の場合は、父不在の母が規範の、文字通り、昭和のサラリーマンの息子だったわけだから。
ということで、この映画が日本の歴代興行収入第1位というのは、なんかちょっとね。どうなんだろう。
いくらコロナ禍の下で、みんな娯楽に飢えていたからといっても、日本人って、ホント流行っているものに群がることしかできなくなったんだな、って思った。
まぁ、ただの食パンに行列ができる世相だからな。
日本社会って貧しくなったんだな、と感じたよ。いや、嫌味じゃなくてね。
オリンピックの強行開催もそうだけど、コロナ禍って、ホント、日本の暗部、というか最底辺のダークなところを、思い切り、明るみに出してしまったようで。
鬼滅も、別にただのマンガとしてならごく普通に面白い部類なので、その意味では評価しているけど、でも、これが社会現象となったことには、なんか、いろいろと考えさせられる気がした。
無限列車編、ってそういう意味では、現代日本社会の症候だったんだな、って思う。
むしろ、何の前情報もなしで、普通に素直に見れればよかったんだろうな。
そうそう、炭治郎にしても善逸にしても伊之助にしても、もう少しカッコよく戦うと思っていたのだけど、なんか、そういうケレン味が、それまでのテレビシリーズと比べても欠けていたと思う。
その分、魘夢の描写が多くて、もったいなかった。
まぁ、それもこれも、「魘夢vs炭治郎」戦は、あくまでも「猗窩座戦vs煉獄」戦の前座になってしまったからだと思うのだけど。
きっと、普通にテレビシリーズでやっていれば、炭治郎たちも活躍できただろうし、エピソードの切り替えで、「猗窩座戦vs煉獄」戦の唐突さも解消されて、むしろ、素直に煉獄の抵抗にしびれることが出来たのだろうけど。
うーん、いろいろと残念だった。