BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

彼女、お借りします 第349話 『目標と彼女』 感想:ここで千鶴と和也の二人で小百合さんの芝居を振り返るかぁ。。。

2024-10-16 17:21:34 | かのかり
前回前々回と、超久しぶりに瑠夏が登場し、一ノ瀬宅の鍵まで見つけられたので、てっきり今回は、後をつけてきた瑠夏が一の瀬宅に乗り込んできて、やった修羅場!って流れだとばかり思ってたに。

あっさり、通常モードのシェアハウスに戻り、和也は八重森の指導の下、好きだ!の決め台詞の特訓に勤しんでいたw

なんのこっちゃw

しかも、八重森は、まさにキメ顔の何たるかを指南していて、もうこれは笑うしかないw

で、そんな流れから、最後には、和也と千鶴の二人で、今は亡き小百合さんの唯一の出演作である映画を鑑賞。

小百合さんの住んでいた家で彼女の映画を見るなんて、なんて値千金のエピソードだろう。

もうこのシチュエーションだけで、十分、深い仲じゃないか。

そういう機微に全く気づかないのが、和也のホント、ダメなところだよな。

これほど成長しない主人公ってのもスゴイな。

なんていうか、高校生まではまだ伸びしろがあるから苦難を経て成長する物語にできるけど、大学生にはそんなものはない。

すでに人生の打ち止め、に入ってるのが大学生、という作者のなんともいえない諦念が立ち込めてるよね。

はーあ。

まぁ、それはもういいんだけど。

しかし、それにしても、ジョイポリスのときの麻美といい、前回の瑠夏といい、久しぶりに出てきたからなんか本編に絡んでくるのかな、と思ったのだが、全くそんな素振りもない。

もうちょっとお話の転がし方、ってものを考えてくれないかなぁ。

これ見てると、悔しいけど、『めぞん一刻』ってよくできてたんだな、と思う。

今やるなら『らんま』じゃなくて、『めぞん一刻』の方なんじゃないか、と、最近の「かのかり」の停滞ぶりを見ると思う。

ちょっとは喝をいれてくれないかなぁ。

まぁ、でもあんな一刻館の住人のような変態の大人って、いまは端的に社会の表舞台からは排除されているから、リアリティに欠けて、思いっきり昭和臭しかしなくなるのかもしれないけれど。

結局、今は、ダメな大人のイメージが、単なるオタ崩れみたいな奴らになって、それが呪詛をネットの上で吐き続けるだけだと見られてるから。

普通に大人も挫折もするし、再起も図ろうとする、とかいう、それこそアメリカのドラマなら当たり前の大人、でも昭和にはいた大人って、でてこないよね、日本の最近の「コンテンツ」の表舞台には。

大人がでてくるのって、せいぜい「なろう」くらいじゃん。

でもなぁ、この和也の周りに、誰一人、彼に喝を入れる大人、それも大人の男性がいないのって、大学生を主人公にしているのに、あまりにも呑気な高校生みたいで見ていて悲しくなるんだよなぁ。。。

だって、和也を指導しているのって、もはや八重森だけだもん。

いや、そんな成長する話なんて誰も「かのかり」になんて求めてないよ、という反論も痛いほどわかるんだけどねぇ。。。

それでも、小百合さんの死を前にして行った映画製作のときは、映画サークルの監督先輩とかいて、それなりに第三者的目線で和也の評価もしてくれていたのだけど。

ああいう名脇役、もうすっかりいなくなっちゃったよね。

残念だ。
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