最初の感想では書けなかったのだけど、今回のエピソードで一つ、あぁ、なるほどなぁと思ったシーンがあったので、そこをちょっと掘り下げて取り上げてみたい。
それは、いつもの校舎裏で久美子が一人で練習している場面に、真由がやってきて、また、「私ソロ辞退するから」宣言を持ちかけて去っていったところであり、その直後にたまたま(?)立ち聞きしていた奏が、逆に、あんな話聞くことな無い、そもそも真由はそんな気ないんだから、と返した場面。
あの場面を見返して、思いついたのが、
久美子 → 自我
奏 → 超自我
真由 → イド
という配置。
要するに、奏で真由は、久美子の心理的葛藤を読者や視聴者に向けて、目に見えてわかりやすくするために用意された、いわば久美子の分身のような存在であるということ。
久美子という「自我」は、
奏という正しさを統御する「超自我」と
真由という本音ただ漏れの欲望に火を付ける「イド」によって成立している。
で、久美子の心理を、この3人に振り分けることで、3期のユーフォのドラマは基本的に成り立っている。
裏返すと、結局、3期は、久美子の物語に終止する。
どうも私小説っぽくて、いまひとつドラマに欠けるのもそのせい。
単に吹奏楽部の演奏シーンがないのが、イマイチ感の理由ではない、ということ。
ひたする、久美子はどうしたいのか?というのを常に問い変える構図になっていて、それが、ちょっと疲れる。
いや、だって、少なくとも1期や2期のときは、部があって、先輩がいて、部内でのわだかまりがあって、麗奈がいろいろやらかして、久美子がそうしたあれこれを「皆家政婦は見た!」的な、本来関係ないはずのところからあれこれ発言して畳んできた話だった。
もちろん、久美子の手に負えず、事態の流れを見守るしかなかったことも多かった。
ただ、その分、久美子は好き勝手なことを言えたし、極論すると、久美子のいないところで、新たな問題が生じても、問題なかった。
つまり、久美子は自由に動けていた。
ところが、3年になって部長になると、彼女自身が、吹奏楽部をマネジメントしなければならない立場になってしまい、基本的に、個人的見解を挟み込む余地がなくなった。
まぁ、だから多分、久美子は久美子で、実はとても窮屈な思いをしていた。
その久美子の窮屈さを表すために用意されたのが、真由と奏だった、ということ。
この見方が妥当と思われるのは、実このトライアングルに、麗奈ですら全く関与できないところからわかる。
なぜなら、麗奈は、ある意味イドだけが突出した「子ども」のままだから。
むしろ、作中の三大演奏達人と思われる、みぞれ、麗奈、サファイア、の3人ともが、基本的には、このイドが突出したまま今に至っている人たち。
いわゆる「天才」。
もともと才能があって、その才能を素直に修練によって延ばしてきた結果、自分の願望と自分という存在が矛盾なく成立している人たち。
その代償として、彼らは大なり小なり、自分以外の人たちとの接し方に難を抱える。
みぞれは希美がいなければ外部とコミュニケーション取れなかったし、
麗奈は久美子と仲良くならなければ、今のように吹奏楽部で活躍できてはいなかっただろうし、
サファイアにしても、久美子たちと吹部初日に友好関係を築けたからこそ、破綻する機会に至らずに済んだ。
葛藤があったとしても、自己完結的に解決できてしまうのが彼女たち。
なので、麗奈は、久美子に進路のことを質すことしかできず、なんら有効なアドバイスも助力もできなかった。
まぁ、要するに、久美子の場合、絶対的に先輩という、あからさまにレイヤーの違う他者が必要だった。
それが最上級生の3年になって皆無になったところで、作劇上の都合から、やむなく登場させられたのが黒江真由、という異物だった、ということなんだろうな。
黒江、って、きっと、冗談抜きに「黒い久美子」、「闇落ちした久美子」だったんだよ。
この「闇落ち久美子」たる真由が、ひたすらホラーのように、久美子に対して、何、気取ってんだ、おめぇ、さっさと本心明かしちまえよ、ホントは功労者の自分がソロ吹きたいんだろ?、って悪魔の囁きを続けることになった。
部長という体面を重視して、北宇治は実力主義という原則に固執する久美子の心を折ろうとしてきた。
で、真由がそういうイドを演じることになった手前、むしろ、正しさの正しさを補強するために発言する役割を担うことになったのが奏だった。
なので、久美子が高2のときはやたらと手のかかる後輩だった奏が、学年が一つあがったシーズン3では、むしろ、久美子をからかいつつも久美子の完璧は補佐役を務めることになった。
まぁ、要するに、久美子におとされちゃってたわけだけどw
ただ、それは奏の内面の変化だけでなく、真由という、ホラーな久美子のイドが登場した手前、バランスを取るためにも必要な役割だった、ということになる。
それが、冒頭指摘した、校舎裏での、久美子、真由、奏、の3人の協演シーンだったということ。
まぁ、こういう構図がずっとあったから、3期の物語って今ひとつ面白みに欠けるような気がしたんだな、と改めて痛感。
そりゃ、久美子の心理描写、私小説に特化してたら、サプライズのあるドラマなんて起こりませんよ。
なので、そうなると、この久美子の黒いドッペルゲンガーたる真由との決着は避けて通れないだろうし、その結果が3期の山場ということになりそう。
そりゃ、演奏シーンがないはずだよね。
物語の根幹が、演奏ではなく、久美子の成長にあるのだから。
となると、真由問題を強制的にでも解決したところで、多分、ほぼ自動的に、久美子の卒業後の進路も決まるのだろうな。
でもさ、それももうほとんど想像がついて、演者にならないなら、久美子は、指導者の道を歩むしかないじゃん。
まさに、ハーモニー=調和をいかにして調達するか、そこに尽力する存在。
まぁ、だから、なんだかんだ言って3期になって、久美子と滝が二人で話をする機会が増えたのだろう、と納得してきた。
こんなふうに言ったら多分麗奈は起こりそうだけどw、多分、久美子が取るべき役割は、滝のなくなった奥さんがやろうとしていたこと。
「賽の河原の石」ではなく「人」を扱う仕事。
ありていに言えば先生なんだろうな。
ちょっとそのオチはさすがにちょっと萎えるところもあるけれど。
でも、あの関西大会前の演説ができてしまう久美子は、類まれなるそのバフを通じて、指導者になるのが適している、ということで。
多分、その指導者としての才覚を久美子自身に確信させる障害として用意されたのが、真由という困った迷い猫のような転校生だったということなのだろう。
まぁ、だからといって、真由がウザいのは変わらないのだけど。
久美子はどうやってあの真由の頑なさを解決するのだろうね?
それは、いつもの校舎裏で久美子が一人で練習している場面に、真由がやってきて、また、「私ソロ辞退するから」宣言を持ちかけて去っていったところであり、その直後にたまたま(?)立ち聞きしていた奏が、逆に、あんな話聞くことな無い、そもそも真由はそんな気ないんだから、と返した場面。
あの場面を見返して、思いついたのが、
久美子 → 自我
奏 → 超自我
真由 → イド
という配置。
要するに、奏で真由は、久美子の心理的葛藤を読者や視聴者に向けて、目に見えてわかりやすくするために用意された、いわば久美子の分身のような存在であるということ。
久美子という「自我」は、
奏という正しさを統御する「超自我」と
真由という本音ただ漏れの欲望に火を付ける「イド」によって成立している。
で、久美子の心理を、この3人に振り分けることで、3期のユーフォのドラマは基本的に成り立っている。
裏返すと、結局、3期は、久美子の物語に終止する。
どうも私小説っぽくて、いまひとつドラマに欠けるのもそのせい。
単に吹奏楽部の演奏シーンがないのが、イマイチ感の理由ではない、ということ。
ひたする、久美子はどうしたいのか?というのを常に問い変える構図になっていて、それが、ちょっと疲れる。
いや、だって、少なくとも1期や2期のときは、部があって、先輩がいて、部内でのわだかまりがあって、麗奈がいろいろやらかして、久美子がそうしたあれこれを「皆家政婦は見た!」的な、本来関係ないはずのところからあれこれ発言して畳んできた話だった。
もちろん、久美子の手に負えず、事態の流れを見守るしかなかったことも多かった。
ただ、その分、久美子は好き勝手なことを言えたし、極論すると、久美子のいないところで、新たな問題が生じても、問題なかった。
つまり、久美子は自由に動けていた。
ところが、3年になって部長になると、彼女自身が、吹奏楽部をマネジメントしなければならない立場になってしまい、基本的に、個人的見解を挟み込む余地がなくなった。
まぁ、だから多分、久美子は久美子で、実はとても窮屈な思いをしていた。
その久美子の窮屈さを表すために用意されたのが、真由と奏だった、ということ。
この見方が妥当と思われるのは、実このトライアングルに、麗奈ですら全く関与できないところからわかる。
なぜなら、麗奈は、ある意味イドだけが突出した「子ども」のままだから。
むしろ、作中の三大演奏達人と思われる、みぞれ、麗奈、サファイア、の3人ともが、基本的には、このイドが突出したまま今に至っている人たち。
いわゆる「天才」。
もともと才能があって、その才能を素直に修練によって延ばしてきた結果、自分の願望と自分という存在が矛盾なく成立している人たち。
その代償として、彼らは大なり小なり、自分以外の人たちとの接し方に難を抱える。
みぞれは希美がいなければ外部とコミュニケーション取れなかったし、
麗奈は久美子と仲良くならなければ、今のように吹奏楽部で活躍できてはいなかっただろうし、
サファイアにしても、久美子たちと吹部初日に友好関係を築けたからこそ、破綻する機会に至らずに済んだ。
葛藤があったとしても、自己完結的に解決できてしまうのが彼女たち。
なので、麗奈は、久美子に進路のことを質すことしかできず、なんら有効なアドバイスも助力もできなかった。
まぁ、要するに、久美子の場合、絶対的に先輩という、あからさまにレイヤーの違う他者が必要だった。
それが最上級生の3年になって皆無になったところで、作劇上の都合から、やむなく登場させられたのが黒江真由、という異物だった、ということなんだろうな。
黒江、って、きっと、冗談抜きに「黒い久美子」、「闇落ちした久美子」だったんだよ。
この「闇落ち久美子」たる真由が、ひたすらホラーのように、久美子に対して、何、気取ってんだ、おめぇ、さっさと本心明かしちまえよ、ホントは功労者の自分がソロ吹きたいんだろ?、って悪魔の囁きを続けることになった。
部長という体面を重視して、北宇治は実力主義という原則に固執する久美子の心を折ろうとしてきた。
で、真由がそういうイドを演じることになった手前、むしろ、正しさの正しさを補強するために発言する役割を担うことになったのが奏だった。
なので、久美子が高2のときはやたらと手のかかる後輩だった奏が、学年が一つあがったシーズン3では、むしろ、久美子をからかいつつも久美子の完璧は補佐役を務めることになった。
まぁ、要するに、久美子におとされちゃってたわけだけどw
ただ、それは奏の内面の変化だけでなく、真由という、ホラーな久美子のイドが登場した手前、バランスを取るためにも必要な役割だった、ということになる。
それが、冒頭指摘した、校舎裏での、久美子、真由、奏、の3人の協演シーンだったということ。
まぁ、こういう構図がずっとあったから、3期の物語って今ひとつ面白みに欠けるような気がしたんだな、と改めて痛感。
そりゃ、久美子の心理描写、私小説に特化してたら、サプライズのあるドラマなんて起こりませんよ。
なので、そうなると、この久美子の黒いドッペルゲンガーたる真由との決着は避けて通れないだろうし、その結果が3期の山場ということになりそう。
そりゃ、演奏シーンがないはずだよね。
物語の根幹が、演奏ではなく、久美子の成長にあるのだから。
となると、真由問題を強制的にでも解決したところで、多分、ほぼ自動的に、久美子の卒業後の進路も決まるのだろうな。
でもさ、それももうほとんど想像がついて、演者にならないなら、久美子は、指導者の道を歩むしかないじゃん。
まさに、ハーモニー=調和をいかにして調達するか、そこに尽力する存在。
まぁ、だから、なんだかんだ言って3期になって、久美子と滝が二人で話をする機会が増えたのだろう、と納得してきた。
こんなふうに言ったら多分麗奈は起こりそうだけどw、多分、久美子が取るべき役割は、滝のなくなった奥さんがやろうとしていたこと。
「賽の河原の石」ではなく「人」を扱う仕事。
ありていに言えば先生なんだろうな。
ちょっとそのオチはさすがにちょっと萎えるところもあるけれど。
でも、あの関西大会前の演説ができてしまう久美子は、類まれなるそのバフを通じて、指導者になるのが適している、ということで。
多分、その指導者としての才覚を久美子自身に確信させる障害として用意されたのが、真由という困った迷い猫のような転校生だったということなのだろう。
まぁ、だからといって、真由がウザいのは変わらないのだけど。
久美子はどうやってあの真由の頑なさを解決するのだろうね?