やっぱ、いろはすなんだよなぁ。
全く物語のテンポが変わる。
いろはすと八幡のかけあい、マジでいいなぁw
これでなんで、最後、いろはすが選ばれないかなぁ。
わりとマジで謎w
「ちょっと、いろはす~、ホウレンソウ、だいじぃー!」
だぜ、マジで
にしても、雪乃と由比ヶ浜って、女子としての性格を完全に2分割してしまっているので、アニメのように動きがあるなかでの会話劇になると、普通に聞いていてもちょっとしんどい。
やっぱり、いろはすくらい、コロコロと話しぶりが入れ替わるほうが面白いんだよなぁ。
まぁ、こまちと被っているといえば被っているのだけど。
てか、丸かぶりかw
でも、小悪魔って別に「妹キャラ」の専売特許ってわけじゃないでしょ?
こまちも高校に合格したけど、これからいろはすと八幡の隣ポジを取り合うようになるのかね?
なんだろうなぁ、多分に八幡のキャラが、発言の裏を読む、つまりは相手の意図を読むタイプだからいけないのかもしれないけれど、その八幡に対して、雪乃とか由比ヶ浜って、ストレートすぎるんだよね。
まぁ、シリアス、って言ってもいいのかもしれないけれど。
ホントは、キャラ配置的に由比ヶ浜がいろはすのようにコロコロ会話を転がすタイプの子だったら、八幡と雪乃の関係に最終的に収束する、というのも、それほどおかしな展開ではなかったと思うのだけど。
もはや、雪乃も由比ヶ浜も、どっちも心のガードが固くなった女子だもんね。
てか、由比ヶ浜が完全に雪乃と、そして八幡に、完全に感染させられてしまって、陽気なキャラから脱落しちゃったからなぁ。。。
その内面のブレ方、というか、キャラの内面の成長が、開始当初はラノベとしては珍しかった、というか、ちょっと青春文学っぽかったのかもしれないけれど、正直、旬はのがした気がするし、
あと、今回のプロムもそうだけど、ちょっと新機軸を狙いすぎたというか。
千葉の高校の雰囲気がいまいちわからないところもあるけど、こんなすべての生活空間が、ゼロベースで日本の習慣を書き換えられるような新機軸ばかりの、その意味では、人工的な空間なのかな?
どうも、そのあたりが、原作を読んでいた時も、しっくりこなかったところ?
超巨大な郊外文学、って気しかしなかったのだけど。
でも、郊外文学ってカテゴリー自体が、そもそも昭和末期の古さを伴っているはずで。
その意味では、今回、プロムの告知のところで、八幡がアプリで専用ページを見ていなかった、というところに、過剰なつながりを拒否する昭和臭さが漂っているといえばそうなのだけど、世はすでに平成も飛び越えて令和だし。
そもそもガラケーがスマホへの抵抗、というニュアンスも消えているからなぁ。
となると、やっぱり、この八幡たちの物語は、ガラケーからスマホへの過渡期の、せいぜいが2010年前後の頃の高校生の社交感覚を反映したものだったのかもしれない。
まぁ、だから、途中から作者も筆が進まなくなったのかもしれないけれど。
裏返すと、そういう「過渡期の青春文学」として読み直すと、それなりに歴史的意義はあるものになるのかもしれない。
なんていうか、桜庭一樹が直木賞作家になる前の頃の作風みたいなものとして。
にしても、プロム、似合わねぇなぁ。
てか、あれは大学生でやればいいと思うのだけど。
あのプロムの発想は、「チバリーヒルズ」とか言ってた頃の、リミッターが外れた千葉の不動産開発の雰囲気をまんまミクロに再現しているようで、薄ら寒かった。
てか、それをもちこんだ、いろはす自体が、やっているうちに若干引き気味になっていくところが、やっぱり、生理的には正しいようで。
むしろ、それをガチで成功させようとする雪乃の方に、そことはかとなく狂気を感じるんだよなぁ。
一種の、現世世界の破壊願望の発露のようで。
ともあれ、やはり、いろはすは最強の後輩だった!
「おにいさん」を「おとうさん」に代えて八幡に説明するくだりは、座布団10枚!って感じだったよw
マジ、いろはす、最強!
全く物語のテンポが変わる。
いろはすと八幡のかけあい、マジでいいなぁw
これでなんで、最後、いろはすが選ばれないかなぁ。
わりとマジで謎w
「ちょっと、いろはす~、ホウレンソウ、だいじぃー!」
だぜ、マジで
にしても、雪乃と由比ヶ浜って、女子としての性格を完全に2分割してしまっているので、アニメのように動きがあるなかでの会話劇になると、普通に聞いていてもちょっとしんどい。
やっぱり、いろはすくらい、コロコロと話しぶりが入れ替わるほうが面白いんだよなぁ。
まぁ、こまちと被っているといえば被っているのだけど。
てか、丸かぶりかw
でも、小悪魔って別に「妹キャラ」の専売特許ってわけじゃないでしょ?
こまちも高校に合格したけど、これからいろはすと八幡の隣ポジを取り合うようになるのかね?
なんだろうなぁ、多分に八幡のキャラが、発言の裏を読む、つまりは相手の意図を読むタイプだからいけないのかもしれないけれど、その八幡に対して、雪乃とか由比ヶ浜って、ストレートすぎるんだよね。
まぁ、シリアス、って言ってもいいのかもしれないけれど。
ホントは、キャラ配置的に由比ヶ浜がいろはすのようにコロコロ会話を転がすタイプの子だったら、八幡と雪乃の関係に最終的に収束する、というのも、それほどおかしな展開ではなかったと思うのだけど。
もはや、雪乃も由比ヶ浜も、どっちも心のガードが固くなった女子だもんね。
てか、由比ヶ浜が完全に雪乃と、そして八幡に、完全に感染させられてしまって、陽気なキャラから脱落しちゃったからなぁ。。。
その内面のブレ方、というか、キャラの内面の成長が、開始当初はラノベとしては珍しかった、というか、ちょっと青春文学っぽかったのかもしれないけれど、正直、旬はのがした気がするし、
あと、今回のプロムもそうだけど、ちょっと新機軸を狙いすぎたというか。
千葉の高校の雰囲気がいまいちわからないところもあるけど、こんなすべての生活空間が、ゼロベースで日本の習慣を書き換えられるような新機軸ばかりの、その意味では、人工的な空間なのかな?
どうも、そのあたりが、原作を読んでいた時も、しっくりこなかったところ?
超巨大な郊外文学、って気しかしなかったのだけど。
でも、郊外文学ってカテゴリー自体が、そもそも昭和末期の古さを伴っているはずで。
その意味では、今回、プロムの告知のところで、八幡がアプリで専用ページを見ていなかった、というところに、過剰なつながりを拒否する昭和臭さが漂っているといえばそうなのだけど、世はすでに平成も飛び越えて令和だし。
そもそもガラケーがスマホへの抵抗、というニュアンスも消えているからなぁ。
となると、やっぱり、この八幡たちの物語は、ガラケーからスマホへの過渡期の、せいぜいが2010年前後の頃の高校生の社交感覚を反映したものだったのかもしれない。
まぁ、だから、途中から作者も筆が進まなくなったのかもしれないけれど。
裏返すと、そういう「過渡期の青春文学」として読み直すと、それなりに歴史的意義はあるものになるのかもしれない。
なんていうか、桜庭一樹が直木賞作家になる前の頃の作風みたいなものとして。
にしても、プロム、似合わねぇなぁ。
てか、あれは大学生でやればいいと思うのだけど。
あのプロムの発想は、「チバリーヒルズ」とか言ってた頃の、リミッターが外れた千葉の不動産開発の雰囲気をまんまミクロに再現しているようで、薄ら寒かった。
てか、それをもちこんだ、いろはす自体が、やっているうちに若干引き気味になっていくところが、やっぱり、生理的には正しいようで。
むしろ、それをガチで成功させようとする雪乃の方に、そことはかとなく狂気を感じるんだよなぁ。
一種の、現世世界の破壊願望の発露のようで。
ともあれ、やはり、いろはすは最強の後輩だった!
「おにいさん」を「おとうさん」に代えて八幡に説明するくだりは、座布団10枚!って感じだったよw
マジ、いろはす、最強!