ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld 第18話『記憶』感想: タイトル通りSAO世界における「記憶」の意味を考えさせられた回。そして待ちに待ったキリトの復活!
いやー、長かったねー、ようやく、キリトが復活!
まぁ、肝心のVSプーは次回までお預けなわけだけど。
でも、アスナ、シノン、リーファのもつキリトの「記憶」だけは立ち上がれなかったのが、ユージオの「記憶」が加わってようやく復活、というのは、なんていうか、キリトにとってユージオが別格の存在だというのを表しているようで、不思議なところだよね。
ちょうど、アスナがユウキに背中を押されて立ち上がることができたのと同じように。
なんていうか、キリトにとってはユージオが、アスナにとってはユウキが、それぞれ守護霊みたいな形になっているのがちょっと笑える。
もっとも、マザーズロザリオをもってしてもプーを倒せないのには、ちょっとビックリだけどね。
逆に、プーが強キャラすぎでしょ!という気もするのだけど。
このプー無双については、原作を読んでいた時も、こいつ、なんでこんなに強いの???って疑問に思ったし。
でもまぁ、アンダーワールドの世界は、結局のところ、「心意」、つまりは思いの強さが力になる世界だから、愛憎が深いほど、力が発揮される、ということで。
そういう意味では、プーのキリトに対する執着ってのも半端ないということだよね。
でもまぁ、それも次回、キリトがプーに引導を渡すことで決着が着くわけだけど。
でもさぁ、ちょっと冷静になって考えると、前回のユナといい、今回のユウキといい、アンダーワールドとは直接関係のない二人がそれぞれ現れたのは、SAO世界としてはちょっと興味深い。
もちろん、ユウキはユナのように実体化はしていないわけだけど。
というか、原作ではユナの登場はないので、単にアスナがユウキのことを思い出すことで、ユウキの力を借りた、というふうに読んでいたのだけど、
でも、ユナが登場した後だと、あれ、もしかしてユウキの記憶もまたSAOサーバーの中に散在していて、それがアスナを起点にしてかき集められたようにも思えて、その意味ではユナのように、ユウキに関する記憶をサルベージしたら、今のバーチャル・ユナのような形でユウキも復活できるのかもしれない。
いや、そう思ったのは、前回も触れた『オーディナルスケール』の中でも、最後の決戦のところで、アスナはユウキのマザーズロザリオを繰り出すところがあって、あの場面でも、アスナの姿にユウキの姿が重なって表現されていて。
もちろん、最初に見たときは、単にイメージとして二人の姿をダブらせているだけのように思えたのだけど、でも、ユナを介してオーディナルスケールとこのアンダーワールドもシステム的に共通する部分があるとわかると、もしかしたらSAOサーバーのシステムの効果として「本当に」ユウキの姿がアスナに憑依したように表現されていたのかもしれない。
で、なんでこんなことにこだわっているのかというと、アクセル・ワールドを含めたSAOユニバースにおいて、
AIと人間知性は、サイバーワールドにおいてどれほどの違いがあるのか?いやほとんどかわらないのではないか?
という問いが、物語の底流に、いわばサブテキストとしてずっと問われ続けているように思えるから。
で、そこで鍵になるのが、今回のタイトルでもあった「記憶」で。
どんな形式であれ、「記憶」があれば人間は人間としての「存在」を再構築できる、というふうに捉えれているように思えて。
そう思うと、今回、キリトが、キリトの内面で記憶として思い出したことが、まずサチたちとの出来事だった、というのが象徴的で。
サチ、って子の存在も、SAO世界では忘れた頃にフッとそういえば・・・って感じで、登場してくる人なわけだけど。
確か、SAOの第22巻の「ザ・デイ・アフター」という短編で、キリトを介して死んだサチの記憶がアスナに干渉して幽霊のような現象が生じていたはずで。
そうした「残留思念」のようなものが少なからずSAOの世界では生じているようなんだよね。
なので、冒頭で「サチ」が登場したのも、サチの残留思念という「記憶のかけら」がキリトに干渉して、キリトに対して、あなたはこちらに来てはいけない、まだ目覚めることができるから、と呼びかけたように思えて。
そういう意味で、やっぱり、このWoUって、SAO世界の集大成のように思えるのだよね。
もっとも、こんな風に気付けるのも、文字ではなく映像で表現されたものを見たからで。
テキストだと、読者にイメージさせるために書かれていたものが、映像だと実際に登場人物たちと同じレベルではじめからそこに「描かれて」いるからなのだけど。
つまり、原作だと、サチやユウキ、あるいはユージオの姿を、読者が自らイメージしないといけないから、その時点で、アスナやキリトとは別次元の存在と思ってしまうわけど。
つまり、魂とか霊のようなものとして、勝手に解釈してしまうのだけど。
でも、映像の場合は、視聴者がイメージするまでもなく、映像としてそこにサチの姿やユウキの姿が具体的に描かれてしまうので、もしかしたら、アスナやキリトのような存在と大して変わらないのではないか、と思えてしまう。
だって、ユージオなんか、最後は、魂をいわば抜き取られて青薔薇の剣のなかに封じ込められたような形で、つまりは、付喪神のような存在にされたわけでしょ?
でも、それはあくまでもアンダーワールドという「視聴覚インターフェース」のオブジェクトとしてそう表現されているだけのことであって、ユージオの「魂=フラクトライト」は多分、変わらずあるわけじゃない?
いや、輪廻転生、的に捉えていいのだろうけど。
でも、そういう感じで、かなりSAO世界をデジタルワールドとして大胆に解釈してもいいような気がしてきていて。
で、その点でも、やっぱりSAOのアリシゼーションの前に、オリジナルの「オーディナルスケール」が挟み込まれてことの意味は、思っていた以上に大きいように思えるんだよね。
いやまぁ、こうした解釈の仕方は、もちろん、今回の18話の話とは直接的には関係のないことかもしれないけれど。
でも、SAO/AWを追いかけてきたものとしては、シリーズというかユニバース全体の成り立ちのほうが気になってしまうんだよね。
でも、さっき触れた第22巻の内容とか、むしろ、著書自身が、後付けでもいいから、SAO世界の解釈について、新たな切り口を与えようとしているように思うのだよね。
そういう意味で、今回の、サチとユウキの登場は興味深かかった。
あぁ、はやく原作の新刊も出ないかなぁ。
SAOの原作もウェブ時代に書かれたときから数えると20年近く経っているわけで、当然、その間の技術の変化や、脳科学や哲学の変化を踏まえれば、より精緻な世界を想像することもできると思うんだよね。
で、実際、それを原作者は試みようとしているようにも見えて。
そういう意味で、今回のUoW編は、いろいろと発見があるように思っている。
もっとも、それはともあれ、次回、ようやく復活したキリトの無双に期待w
まぁ、肝心のVSプーは次回までお預けなわけだけど。
でも、アスナ、シノン、リーファのもつキリトの「記憶」だけは立ち上がれなかったのが、ユージオの「記憶」が加わってようやく復活、というのは、なんていうか、キリトにとってユージオが別格の存在だというのを表しているようで、不思議なところだよね。
ちょうど、アスナがユウキに背中を押されて立ち上がることができたのと同じように。
なんていうか、キリトにとってはユージオが、アスナにとってはユウキが、それぞれ守護霊みたいな形になっているのがちょっと笑える。
もっとも、マザーズロザリオをもってしてもプーを倒せないのには、ちょっとビックリだけどね。
逆に、プーが強キャラすぎでしょ!という気もするのだけど。
このプー無双については、原作を読んでいた時も、こいつ、なんでこんなに強いの???って疑問に思ったし。
でもまぁ、アンダーワールドの世界は、結局のところ、「心意」、つまりは思いの強さが力になる世界だから、愛憎が深いほど、力が発揮される、ということで。
そういう意味では、プーのキリトに対する執着ってのも半端ないということだよね。
でもまぁ、それも次回、キリトがプーに引導を渡すことで決着が着くわけだけど。
でもさぁ、ちょっと冷静になって考えると、前回のユナといい、今回のユウキといい、アンダーワールドとは直接関係のない二人がそれぞれ現れたのは、SAO世界としてはちょっと興味深い。
もちろん、ユウキはユナのように実体化はしていないわけだけど。
というか、原作ではユナの登場はないので、単にアスナがユウキのことを思い出すことで、ユウキの力を借りた、というふうに読んでいたのだけど、
でも、ユナが登場した後だと、あれ、もしかしてユウキの記憶もまたSAOサーバーの中に散在していて、それがアスナを起点にしてかき集められたようにも思えて、その意味ではユナのように、ユウキに関する記憶をサルベージしたら、今のバーチャル・ユナのような形でユウキも復活できるのかもしれない。
いや、そう思ったのは、前回も触れた『オーディナルスケール』の中でも、最後の決戦のところで、アスナはユウキのマザーズロザリオを繰り出すところがあって、あの場面でも、アスナの姿にユウキの姿が重なって表現されていて。
もちろん、最初に見たときは、単にイメージとして二人の姿をダブらせているだけのように思えたのだけど、でも、ユナを介してオーディナルスケールとこのアンダーワールドもシステム的に共通する部分があるとわかると、もしかしたらSAOサーバーのシステムの効果として「本当に」ユウキの姿がアスナに憑依したように表現されていたのかもしれない。
で、なんでこんなことにこだわっているのかというと、アクセル・ワールドを含めたSAOユニバースにおいて、
AIと人間知性は、サイバーワールドにおいてどれほどの違いがあるのか?いやほとんどかわらないのではないか?
という問いが、物語の底流に、いわばサブテキストとしてずっと問われ続けているように思えるから。
で、そこで鍵になるのが、今回のタイトルでもあった「記憶」で。
どんな形式であれ、「記憶」があれば人間は人間としての「存在」を再構築できる、というふうに捉えれているように思えて。
そう思うと、今回、キリトが、キリトの内面で記憶として思い出したことが、まずサチたちとの出来事だった、というのが象徴的で。
サチ、って子の存在も、SAO世界では忘れた頃にフッとそういえば・・・って感じで、登場してくる人なわけだけど。
確か、SAOの第22巻の「ザ・デイ・アフター」という短編で、キリトを介して死んだサチの記憶がアスナに干渉して幽霊のような現象が生じていたはずで。
そうした「残留思念」のようなものが少なからずSAOの世界では生じているようなんだよね。
なので、冒頭で「サチ」が登場したのも、サチの残留思念という「記憶のかけら」がキリトに干渉して、キリトに対して、あなたはこちらに来てはいけない、まだ目覚めることができるから、と呼びかけたように思えて。
そういう意味で、やっぱり、このWoUって、SAO世界の集大成のように思えるのだよね。
もっとも、こんな風に気付けるのも、文字ではなく映像で表現されたものを見たからで。
テキストだと、読者にイメージさせるために書かれていたものが、映像だと実際に登場人物たちと同じレベルではじめからそこに「描かれて」いるからなのだけど。
つまり、原作だと、サチやユウキ、あるいはユージオの姿を、読者が自らイメージしないといけないから、その時点で、アスナやキリトとは別次元の存在と思ってしまうわけど。
つまり、魂とか霊のようなものとして、勝手に解釈してしまうのだけど。
でも、映像の場合は、視聴者がイメージするまでもなく、映像としてそこにサチの姿やユウキの姿が具体的に描かれてしまうので、もしかしたら、アスナやキリトのような存在と大して変わらないのではないか、と思えてしまう。
だって、ユージオなんか、最後は、魂をいわば抜き取られて青薔薇の剣のなかに封じ込められたような形で、つまりは、付喪神のような存在にされたわけでしょ?
でも、それはあくまでもアンダーワールドという「視聴覚インターフェース」のオブジェクトとしてそう表現されているだけのことであって、ユージオの「魂=フラクトライト」は多分、変わらずあるわけじゃない?
いや、輪廻転生、的に捉えていいのだろうけど。
でも、そういう感じで、かなりSAO世界をデジタルワールドとして大胆に解釈してもいいような気がしてきていて。
で、その点でも、やっぱりSAOのアリシゼーションの前に、オリジナルの「オーディナルスケール」が挟み込まれてことの意味は、思っていた以上に大きいように思えるんだよね。
いやまぁ、こうした解釈の仕方は、もちろん、今回の18話の話とは直接的には関係のないことかもしれないけれど。
でも、SAO/AWを追いかけてきたものとしては、シリーズというかユニバース全体の成り立ちのほうが気になってしまうんだよね。
でも、さっき触れた第22巻の内容とか、むしろ、著書自身が、後付けでもいいから、SAO世界の解釈について、新たな切り口を与えようとしているように思うのだよね。
そういう意味で、今回の、サチとユウキの登場は興味深かかった。
あぁ、はやく原作の新刊も出ないかなぁ。
SAOの原作もウェブ時代に書かれたときから数えると20年近く経っているわけで、当然、その間の技術の変化や、脳科学や哲学の変化を踏まえれば、より精緻な世界を想像することもできると思うんだよね。
で、実際、それを原作者は試みようとしているようにも見えて。
そういう意味で、今回のUoW編は、いろいろと発見があるように思っている。
もっとも、それはともあれ、次回、ようやく復活したキリトの無双に期待w