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BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

魔法先生ネギま! 340時間目 『愛の結晶、うまれました』 追加・補足

2011-10-06 01:04:38 | UQH/ネギま!
あー、確かに委員長のパクティオカードは、一種のどこでもドアみたいなものだから、これを使えば、いつでもナギ=造物主に会えることができてしまうわけだ。

となると、ナギを探すことを目的としていた今までの物語とは一体何だったのだろう?

・・・という究極の疑問をもたらしてしまう。

文字通りの、デウス・エクス・マキナ。

作者赤松健はネギま!を描くことにもう思い入れがないのだろうか、と思わずにはいられない、究極の自己否定ツール、それが、委員長のパクティオカードだったとは。

これは魔法世界編を通じてほとんど無視された雪広あやかの呪いなのだろうか。。。



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魔法先生ネギま! 340時間目 『愛の結晶、うまれました』

2011-10-05 16:01:20 | UQH/ネギま!
まだまだ続くハートシリーズw
今回はあやかと(ちょっとだけ)ちづ姉。

しかし、今週は新宿パークハイアット東京の展望レストランですか。
そこを中学生が使うか?というツッコミはまぁ置いとくとして、
先週の渋谷109といい、ネギま!世界の東京感覚、
どうにも時代感覚がずれてる気がするなぁ。書割的に過ぎるというか。

とまれ、委員長の愛というか業の深さwがよくわかった回。
ネギからカードが出始めてる、という描写は確かに笑えた。
というか、カモ君、久しぶりの解説役じゃんw

これはこれで面白いけどね。
でもさ、「どんな要人にもアポ無しで会える能力」って、超限定能力すぎやしないか?
なんだか、ジョジョ第四部のスタンドみたいなチープ感というか。
三部の時は真っ当な能力が多かったのに、四部は妙にちんまい能力が多かった。あれに似てる。

で、それ以上に感じるのが、
ちょっと都合よく仮契約というか、パクティオカードが使われてないか?ってこと。

夏美のステルス化カードの時にもちょっと感じたのだけど、
パクティオカードが、一般的には物語構成でご法度とされている「デウス・エクス・マキナ=機械じかけの神」になってきてはいないかと。

物語の難局、というか構成的破綻を突破するための「何でもありの存在」。

もっとも夏美の場合は、ステルスという超汎用性の高いカードだったから、それほど無茶なもののようには思えなかったけどね。仮契約から、実際に利用するまで、物語内時間もそれなりに間が空いていたし。

でも、今回のあやかのカードはいきなりのピンポイントだからなぁ。
ま、彼女自体の物語内での扱いがわかろうもの、ということでもあるのだがw
色物キャラ要員というか。

というか、そもそも、こんなカードをわざわざ彼女に与えなくても、
雪広財閥の力でアポを取りました、と言ってくれても普通に信じることができるので、
尚更、わざわざカードを出す意味があるのかな?ってね。

ということで、ここのところずっと感じている、物語の進行を急がせてる感がまたするんだよね。
パクティオ消化体制というか。

そもそもパクティオシーンが回想で語られるのがね。
(一応、今までは朝倉の時くらいだよね、回想パクティオは)
それがありなら、みんな、実はもうパクティオしてました、ってことにもなりかねない。
実際、その直後に、ちづ姉ももうパクティオしてました、ってことになってたわけで。

こういうのはどうにも気になる。

いや、アキラはパクティオしていたのか?も曖昧なままだったのにね。
実際どうだったんだろうなぁ。

ってことは、逆にアキラは大事にされてる、ってことなんだろうか。物語的に。

あとは、例の火星のテラフォーミングがなんだかパテント争いできな臭くなってるとか。
雪広父も「お国のため」とか条件つけるところとか。
なんか、緩いモードでネギ達が話していたけど、
(で、あやかは「男の子って・・・」ぐらいの視線で見ていたけど)
これ、なにげに後々聞いてくるんじゃないのかな。
放って置くと、世界大戦の導火線にでもなりそうなネタだし。
そもそも、それで超鈴音の未来ができてしまうような気もするし。

ということで、どうもこの数回は、
ネタ的には結構重い火星テラフォーミング話の内容を開示するのに、
見た目ちゃらい「ハートマーク」な展開をまぶしているように見えてくる。

それが悪いとは思わないけど、ただ、ネギま!ってこういう話だったんだっけ?
と思わされるのだよね。

後から振り返ると、ネギvsフェイトの決戦が、実質的な物語の終了だった・・・なんてことにならないことを願うばかり。

明日菜も、大した混乱もなく普通に前の明日菜に戻ってるし。
ここもちょっと端折り過ぎだと思うけどなぁ。
普通は姫だった記憶とか、その記憶を消された経緯とか、
もっと悩んでしまうと思うのだけどなぁ。
必要な描写が足りないと思う。
てか、これじゃ、ガトウ、かわいそうじゃん。

しかし、また来週は休載か。。。
うーん。

ぼちぼち物語を再起動させて欲しいな。

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Steins;Gateを見終わって

2011-10-04 19:35:01 | Weblog
アニメ版のSteins;Gate を全部見終わって、書こう書こうと思っていたのだけど、タイミングを逸していた。
でも、なんとなくFate/Zeroからの虚淵玄つながりの勢いで記しておく。

で、書こうと思ったくらいだから想像はつくと思うけど、このSteins;Gate、面白かった。

確か第一話を見たときには、なんかようわからん、と感じで、かなり憮然としていたのだけど、それでも根気よく見続けて、最終4話ぐらいは確かにそれだけで面白かった。

改めて通しで見たのだけど、これは確かに最終話を知らないと第一話は何を言ってるのか全くわからなくて当然という感じがした。

裏返すと、このあたりは、ゲームが原作となったものの映像化の難しい所でもあるのだろうけど。

Steins;Gateは構成的にいわゆるループ脱出型のゲームだから、そのループが何重にも重ならないと多くの部分が意味不明のセリフや行動になってしまう。

でも、それが最後に全て重ね書きされると、文字通り断片だったピースが全てカチッとはまって、一気に物語の全貌が浮き上がってくる。

そういう意味で、最終コーナーでのカタルシスは驚きの連続で素晴らしかったと思う。

ちょうどタイミングよく、実物のCERNのニュートリノの実験結果も出てきて、そういう意味でも、タイムリーな?物語設定でも合ったと思う。

ということで、これはオススメの作品になった。

ただ一つ最後まで理解できなかったのは、タイムリープや世界線の跳躍の間で、登場人物の同一性が漠然と担保されていたところ。

いわゆるバッドエンド、トゥルーエンド、という割り振りで行けば、プレイヤーキャラである岡部が、彼の視点から見て最も都合の良い世界を選択する、つまり、彼の悲しみが最も少なく幸せが最も多い世界を選択する、ことが物語の基本。

で、岡部以外のキャラは、異なる時空間の同位体として記憶を継承しない、という設定だったはずだった。けれども、最後の方は、どうも記憶を残滓として共有するような形になっていて、これが今一つしっくりこなかった。

つまり、異なる時空間にいる筈の自分がどうなるか、ということは本来的にはどうでもいいことではないのか?と思うところが多くて。だから、最後のβ世界線の牧瀬が、α世界の牧瀬が死ぬことを危惧する、というのがよくわからなかった。多分、そのような世界に岡部を飛ばすことを躊躇する、ということかもしれないけど。

あわせて、跳躍後、岡部はその世界にもとどまっているのかどうか、というのもはっきりしなかった。というか、その描写は一切なかった。

真面目に捉えれば、全ての世界線、時空間が、平行世界であるかぎり、そこにも岡部がいる筈。だからこそ、最後の場面では、過去に戻った岡部がその時点での岡部を騙すということができたわけで。

で、だとすると、βからαに世界線を移動しても、両方の世界に岡部はいる筈で。だったら、牧瀬は、岡部の世界線の移動に対してあれほど狼狽する必要はなかったのではないか。

実は、このあたりを疑問に思ってしまって、物語的カタルシスにはどっぷり浸かる一方で、岡部が放ったらかしにしてきた様々な世界のキャラ達はどんな世界を送ってるのか、というのがとても気になった。その意味で、どうにも後味が悪い感じがしたのも確か。

ま、このあたりは考え始めたらきりがなくて、実質的には、最初の岡部がいる世界が最善の世界であり、それしか実現されないという風に捉えれば、全て「別れの悲しみ」ということで理解できるのだけど。

でも、最善の世界=岡部にとって都合の良い世界、を奪取することだけが目的化するのはなんだかちょっと無理があるなあとも思ったのだった。

とはいえ、最終コーナーでは、演出や台詞によって物語的カタルシスを十分得られた。
むしろ、お話の勢いの中でうまく騙しきった手腕を賞賛すべきなのかも知れない。

ということで、Steins;Gate、面白かった。

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Fate/Zero 第1話 『英霊召喚』

2011-10-04 17:38:19 | Fate
原作は実は1巻を読んだぐらい。
この先を読み進めるべきか、ちょっと悩むところだけど、きっと読むのだろうな。

というのも、この第1話がとてもうまくまとまっていたから。
きっと、読む楽しみと見る楽しみを、きちんと分けて与えてくれそうな気がするから。

この点では『ホライゾン』とはだいぶ様子が違う。

ともあれ、あまり細かいことは言わずにFateの第1話はよかった。
人物紹介もそれぞれの動機もコンパクトに説明されていたし、
うまく背景説明も会話の中で消化されていたので、
ストレスなく見始めることができた。

もちろん、『ホライゾン』と違って、こちらはFate/Stay Nightの影響もあって、基本的な背景知識をわりと多くの人に期待してしまってもいい、ということもあるのだろうけど。

虚淵玄指導の賜なのかも知れないけれど、CVの人たちもきちんとFate世界の在り様をわかった上で演技をしているような感じで、こちらも『ホライゾン』のCVがどうもいまいち、まだ乗り切れていない感じと異なる。

ホライゾンって、動きのよさが前面に出てしまっていて、そのぶん、なんか滑ってる感じがする。ま、第1話でそこまでいうのは酷なのだけど。。。

もっとも、結局、このFate/Zero第1話は、最後のセイバー登場が最大の山場になってしまったので、あまりこんなことを言ってても詮ないのかも知れないのだがw

こちらは安心して第2話を待ちたいと思う。

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境界線上のホライゾン 第1話 『境界線前の整列者達』

2011-10-03 20:56:09 | Weblog

原作既読。
で、期待値は高かったのだけど、第1話を見た限り、ダメダメだな。

『禁書目録』の時に感じた、原作未読者の不満をそのまま想像してしまう酷さ。

というのも、原作第一巻の冒頭をそのままなぞっただけの、
まさに映像化しただけの構成だから。
これならわざわざ映像にする必要なんかないじゃない。

加えて、ホントに忠実に映像化しただけで、
原作が文章からなるコンテントとして工夫していた要素まで省いてしまったら、全然ダメだろう。

だって、このアニメ第1話だと、メインとなるキャラは誰で、
お話がどういう方向に向かうか、全くわからない。

この第1話を見たら、主人公がオリオトライのように見えるよね。
それに隠し味というかお話のスパイス的位置づけのキャラ、
つまり、ネンジ、ハッサン、イトケン、ばかりがやたら目立つような構成。

いや、確かに原作を忠実に映像化するとこうなるとは思うのだけど、
でも、原作だと、きちんとイラストページを複数いれて、
喜美とか、点蔵とか、ウッキーとか、アサマチとか、
名前入りで紹介して、ちゃんとキャラの重要度の軽重をつけてるんだよね。
それこそ、止め絵的に名前を入れていっても良かったんじゃないのかな。

原作の、この冒頭のオリオトライ追いかけっこというのは、
最初に読んだ時は、あー、うまいなー、と思った。
というのも、この作品はめちゃくちゃ登場人物が多いわけだけど、
しかし、それぞれ非常にわかりやすい個性や特徴があって、
その特徴を一連の流れの中で順繰りに紹介していく方法としてとてもうまいから。

オリオトライはいわば、一種のMCとしてあるわけで、
つまり、「さて、次に登場するのは・・・、ミトツダイラです!鈴さんです!」、
みたいな感じで登場人物たちを読者に紹介していく役割だったんだよね。

となると、一連の動きを描くにしても、画面の流れとしては、
オリオトライを追いかける生徒の側の視点から示すのが筋でしょ。
人数多いから、複数のグループに分けたりね。

あと、アサマチの射撃の場面も、原作のセリフをそのまま使うと、
あまりに説明口調で何やってるのかわからないに決まってる。

アサマチは原作の全体を通じて、ネシンバラとともに、どちらかというと、
地の文で説明すべき内容を対話の中で説明する人物としてあって、
だから、あの射的の場面のセリフも、このホライゾンの世界の、
ネットワークやエネルギーのあり方の「設定」をそれとなく説明するためにある。

で、設定だから、テキストで文章で読めば、初見の言葉も、あー、設定なのね、ととりあえず納得することはできるけど、それをただセリフとして喋られても、何だかわけがわからない。

というように、原作をそのまま映像に置き換えるのは、かように初見の人にとって不親切この上ないものになる。

で、説明が足りないと、最後に設定がナレーションとして入っていたわけだけど。

それやるなら冒頭はまだしも、せめて中盤でやればいいのに、と思ったかな。
あるいは、武蔵に説明させてしまうとかね。

最後の、魔族の成敗のところも、ま、あの成敗方法は確かに後々それなりに大事な要素になるから省けなかったのだろうけど、それにしたったあんなに赤い鬼、忠実に再現しなくてもいいのに。他のキャラよりも目立ってたよ。

ということで、原作未読者は原作読めってことかよ、と突っ込んでいた、『禁書目録』の時の理由が、今回の第1話の映像化を見て、非常にクリアになった感じ。

要するに、情報の与え方や、多数キャラの動かし方、というところで、映像化するならきちんと構成しなおすのが大事ってことだと思う。

その意味では、同じく原作付きで始まった『Fate/Zero』の方が遥かにうまく構成していたように思える。こちらはこちらで別途書こうとは思うけど、初回としては、それぞれの登場人物の紹介や、行動の動機づけ、について、うまく構成していたように思う。

どうやら脚本やアフレコに虚淵玄が立ち会っているということらしいけど、その効果はある感じ。

川上稔は同じようにしてないのかな。
彼もゲーム制作を経験しているはずだから、映像化については一家言あるのかと思っていたけど。

あ、あと、このホライゾンの第1話の全体の印象は、これ萌えキャラアニメにしようとしてる?という感じがとても強かった。絵だけで説明しょうとすると萌えしかないの?という感じで、こちらも残念。

オリジナルだけど、『舞姫』や『舞乙』では多人数キャラをちゃんと動かせたのだから、同じように『ホライゾン』も構成してくると思って期待していたんだけどね。次回に期待するところかな。

しかし、そう思うと、原作付きの映像化という点では『化物語』は別格的に凄かったということになるのだろうな。

もちろん、シャフトの処理はあるのだろうけど、あのテキストをガンガン挟み込んでくる演出は、それだけで、このシーンとシーンの間には映像を端折ったところがあるけどね、みたいな情報も付加していて見応えがあった。

むしろ、あの映像の成果が『化物語』の第二シーズンに十分反映されていることも含めて、シャフトは凄かったな、と思うな。

『ホライゾン』は変則2クールだと思うけど、エンディングの感じを見ると、どうやら第二巻のイギリス編まではやるようだから、序盤でうまくキャラや設定の紹介を済ませて、素直に物語展開に没入できるような展開を期待したいところ。

ということで、第2話を待とう。

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