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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ギリシア」編 スパルタ2

2008年02月04日 08時52分16秒 | ギリシア

 前述のようにスパルタは今は全く寂れた町なのでミストラ(スパルタから西に6km。次回紹介)からの遠景を紹介しておきます。(写真) 

 なお、スパルタはスパルタ教育・軍国主義国家、アテネは民主主義国家と対照的に言われていますが、そのことについて少しばかり紹介しておきます。

 まず成り立ちですが、アテナイはBC8世紀頃自由な市民が一箇所に集まるようになり(シノイキスモス)ポリスが成立します。一方スパルタはギリシア人の一派ドーリア人がこの地の先住民を征服し奴隷にしてポリスが成立します。 

 次に構成ですが、アテナイの場合、自由人1人にほぼ奴隷が1人の割合ですが、スパルタの場合、自由民1人に奴隷身分が5人の割合です。したがってスパルタの場合奴隷の数が圧倒的に多いのでそれを暴力的に抑圧するため身体を鍛え(子供時虚弱児は殺される)奴隷の反乱に備えます。それがスパルタ教育です。それが外に向かう時、軍国主義になるのです。 

 アテナイはスパルタに比べ相対的に奴隷の数が少なく自由民の間で民主主義が行われるようになりました。

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「ギリシア」編 スパルタ1

2008年02月04日 08時43分56秒 | ギリシア

 スパルタは古代ギリシアではアテネ(古代名アテナイ)と並んで有力な都市国家(ポリス)です。しかし今ではアテネの340万人に対して1万5千人の小さな町です。そして遺跡も殆ど残っていなく観光バスは通り過ぎるだけです。ただペルシア戦争でのスパルタ王英雄レオニダス(注)の像があり、そこだけがバスストップでした。(写真)

 (注)  ペルシア戦争はBC546年~448年(開始時期について は諸説あり)にかけてギリシア古代ギリシア諸都市連合軍(いつもではない)とアケメネス朝ペルシアとの間の戦争です。スパルタの王レオニダスはこの戦争にギリシア側の勝利でほぼ決着がついたときの悲劇のヒーローです。

 このときの戦いは海上部門をアテナイが、陸上部門をスパルタが受け持ちレオニダスは300人の兵を率いテルモピライでペルシア軍を向かいうち全員戦死しましたが、そのことがギリシア側に有利に働き有名なサラミスの海戦(BC480年)でアテナイ軍が勝利しほぼペルシア戦争がギリシア側の勝利になりました。しかしその後もペルシアのギリシア諸都市への分断外交政策もありそれも一因となりギリシア諸都市はアテナイ側とスパルタ側に分かれペロポネソス戦争が勃発し崩壊の道をたどりアレクサンダー大王の登場となります。

 アレクサンダー大王の東方遠征もこのペルシア戦争が一因です。 テルモピライにもこのレオニダスの像がありました。

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