前述のようにスパルタは今は全く寂れた町なのでミストラ(スパルタから西に6km。次回紹介)からの遠景を紹介しておきます。(写真)
なお、スパルタはスパルタ教育・軍国主義国家、アテネは民主主義国家と対照的に言われていますが、そのことについて少しばかり紹介しておきます。
まず成り立ちですが、アテナイはBC8世紀頃自由な市民が一箇所に集まるようになり(シノイキスモス)ポリスが成立します。一方スパルタはギリシア人の一派ドーリア人がこの地の先住民を征服し奴隷にしてポリスが成立します。
次に構成ですが、アテナイの場合、自由人1人にほぼ奴隷が1人の割合ですが、スパルタの場合、自由民1人に奴隷身分が5人の割合です。したがってスパルタの場合奴隷の数が圧倒的に多いのでそれを暴力的に抑圧するため身体を鍛え(子供時虚弱児は殺される)奴隷の反乱に備えます。それがスパルタ教育です。それが外に向かう時、軍国主義になるのです。
アテナイはスパルタに比べ相対的に奴隷の数が少なく自由民の間で民主主義が行われるようになりました。