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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「パキスタン」編 風景・景観の巻 山19 ウルタルと長谷川恒男5

2008年08月30日 08時38分36秒 | パキスタン

 写真は9学年クラスの教室にあった時間表です。授業は英語で行われます。理数系の科目が多いようで”Islamiat”というのはイスラーム教という意味でしょう。

 ”urdu” は 7月19日に紹介したように母語とする人たちは少数なのですが国家語です。何故このようなことになったかという説明しておきます。

 1947年パキスタンはムスリム(イスラーム教徒)とヒンドゥー教徒との対立を背景にインドと分離してイギリスから独立しました。そのときインドにいたムスリムの700万人の人たち(パキスタンの人口約1億6千万人)がパキスタンに移住しました。彼らはムハジール(移住者)と呼ばれましたが、パキスタン独立には重要な役割を果たし新しい国家行政機構にたくさん入り込みました。前回紹介した校長室にあった建国の父ジンナーはこのムハジールでした。このムハジールの母語がウルドゥ語だったのです。

 ちなみに最近大統領を辞職したムシャラフもこのムハジールです。

 余談ですが多数派の母語が国家語でないのは多分珍しいのと思います。私の知る範囲ではインドネシア語がその珍しい国語の例だと思います。インドネシア語(マレー語、ムラユ語)を母語とする人たちはほとんどいなく、ウルドゥ語と同じく一種のクレオール語(7月19日参照)です。そして現在はインドネシア語を母語とする人が増えてきているそうです。但し、インドネシア語は政治的な意味合いはなく商業上の言語として用いられてきたものです。(岩波新書「インドネシア 多民族国家の模索」p18~20)