ついでにシャリーフがいた魚市場レストランの様子を紹介しておきます。奥のほうに手前の魚を調理してもらって食事をしているお客がいます。ちなみに今回の旅行では肉料理より魚料理のほうが多く、比較的美味でした。
エッサウィラ(10月7日地図)の自由時間でのことです。鮮魚店で魚を買いその場で調理してもらうレストランの客引をからかい次のような会話をしました。私「俺の名前はアブドゥラでシャリーフだ。だからバラカを持っている」
客引き「そうか、ここにもシャリーフがいるので紹介しよう」としてよばれてきたのが、写真の人物。右の人物が紹介してくれた客引きです。
私「あなたは本当にシャリーフか、それではアンタアホヤ」と言って握手をしました。
片仮名のところを説明しておきます。「アブドゥラ」はイスラーム圏では一般的な名前で意味は「神の奴隷」です。「シャリーフ」はイスラームの預言者ムハンマドの子孫を言います。「バラカ」はこのシャリーフが持つ「神の恩寵」と訳される万能の力です。「アンタアホヤ」は「あなたは私の兄弟だ」という意味のアラビア語です。この言葉はシリア、レバノン、ヨルダンで用いて成功しました? (2006年5月5日を参照してください。この地域ではアンタアホイになります)
問題はシャリーフです。モロッコでは「シャリーフ」に対する尊崇の念が強く現王朝アラウィー朝の権威の正当性の証となっています。日本の貴種流離譚とも言うべきものでしょうか。モロッコにムハンマドの血統を伝えたのは789年サウディアラビアからモロッコにやってきたイドリス朝の始祖イドリウスⅠ世です。その血脈が現王朝に引き継がれているとされています。
また「シャリーフ」のムーレイ・イスマイール王(1672~1727)は兄弟83人で、子供は数百人という例のように多くのシャリーフがこのモロッコに氾濫するということで魚市場のレストランの従業員にも「シャリーフ」がいることになるのでしょう。この人も「シャリーフ」に誇りを持って生きているのでしょう。
余談ですが、ムハンマドの子孫の王様がもう一人います。ヨルダンの王様です。また「パキスタン」編で後日紹介予定のイスラーム教イスマイール派のアガ・カーンもムハンマドの子孫とされています。