タンジェ(10月7日地図)の紹介は四方田犬彦の文章(「モロッコ流謫」p24~25)を借用します。
「この邑は他のモロッコの都市とは比較にならないほど古くから存在し、さ ながら海千山千の年増女のようにさまざまに宗主国と言語とを替えて、したたかに現在まで生き延びている*****地中海の終点を示すこの港は、交易のうえからも、軍事的見地からも古来から重要な拠点と見なされ、紀元前からすでにフェニキア人、ベルベル人、そしてローマ人の争うところであった。*******『三大大陸周遊記』を著したイブン・バトゥータの生地******大航海時代になるとスペインとポルトガルが代わる代わるタンジェを領地とし、短い期間だがイギリスが要塞を築いて、それに続いた。20世紀に至って、植民地争奪競争に出遅れたドイツがそれに反発し、1923年についにこの邑は列強8カ国の共同管理のもとに、政治的にも軍事的にも中立の国際都市として再出発することになった。******」
このようにタンジェはアフリカで最もヨーロッパと関係が深くモロッコそのものの歴史もこのタンジェが象徴しています。 このヨーロッパと結びつけているのがジブラルタル海峡です。このジブラルタル海峡でヨーロッパに一番近いところがタンジェ西郊外15kmにあるスパルテル岬(写真)で天候がよければ対岸のイベリア半島(スペイン)が見えるのですが今回は天候が悪く見えません。残念!