中世最大のユダヤ人哲学者マイモニデス(1135~1204)の像もありました。
実はこのコルドバではハスダイ・イブン・シャプルト(915~970または990)という人に出会いたかったので5月6日に紹介した現地ガイドに尋ねてみました。彼女は知っていましたが、彼を偲ぶ物は何もないとのことでした。そこで少し余談話ですが彼を紹介しておきます。
彼はこのコルドバ生まれのユダヤ人で医者、外交官、科学の後援者でした。私の関心は外交官としての彼です。 7世紀~10世紀にかけてカスピ海、黒海にかけハザールというトルコ系遊牧国家がありました。国王(カガン)が730年にユダヤ教に改宗しました。(最近の研究では支配層のみならず一般民衆にまでユダヤ教化が進んでいたと考えられています)そのハザールに後ウマイヤ朝の外務大臣であったハスダイが同じユダヤ教徒としての誼で手紙を送っており、それに対してカガンから返事が来ています。この往復書簡が現存しており、これがハザールという国を知る最も重要な史料とされています。
もう少し余談を続けます。このハザールは10世紀後半に消滅しますが、このユダヤ教徒がアシュケナジムの先祖ではないかという説が最近強く主張され始めています。アシュケナジムというのは東欧系ユダヤ人のことで現在のイスラエル国家でもっとも強い力を持っているとされています。但し、東欧ユダヤ人=ハザール起源説を、ユダヤ人の「イスラエル帰還」の正当性を脅かす「反ユダヤ主義者の反イスラエル・プロパガンダ」として否定する親シオニストの考え方もあります。なお、1492年以後スペインキリスト教国から追放された人たちをセルファディウムといいます。アシュケナジムとセファディウムが現在のイスラエルの2大勢力です。余談が過ぎたかな。