朝鮮半島(韓国では韓半島)で国家体制が整備されてくるのは高句麗(BC37~AD668 )、百済(BC18~660)、新羅(BC37~935)のいわゆる3国時代でこれらの国が日本の古代国家・ヤマト政権に多大の影響を与えたことは日本各地に百済、高句麗の地名が沢山あることでもよくわかります。なかでも百済が特に大和政権の飛鳥文化の形成に深く関係していることもよく知られています。また、蘇我氏=百済からの渡来人説もあります。(日本古代史の碩学・門脇禎二説)
現地ガイドがジョークで「くだらない」が「百済ない」、すなわち「くだらない」の語源は「百済から来たものではないもの」からきているという話をしてくれました。なかなか面白い話でヤマト政権では本当にそう言われていたような気がしてきました。
教科書風にいえば513年百済武寧王が五経博士をヤマトに送り儒教が伝わり、その子聖明王が538年仏像と経典を送り仏教伝来ということになります。
その百済の故地、公州コンジュと扶余プヨを訪れました。
公州では武寧王稜を観光しました。ここは宗山里古墳群と呼ばれ7つの古墳がありその一つが武寧王稜で1971年偶然に発見され盗掘に遭っていなかったため豪華な副葬品が大量に出土したことでも有名になりました。残念ながらこの王稜そのものは非公開です。
武寧王の子孫が日本に渡来し桓武天皇の母になった話は続日本紀に記述されていますが最近、天皇がその話をしたことで世間一般にもよく知られるようになりました。