プラナカンはババ・ニョニャとも言われることがあります。ババは男、ニョニャは女を意味します。マラッカでババ・ニョニャ・ヘリテージ博物館を訪れました。持ち主はゴム農園などで多くの財をなした生粋のプラナカンChan 一族で1985年に一般公開され始めました。内部は撮影禁止なので写真で紹介できませんが、「マレー半島 美しきプラナカンの世界」(イワサキ・チエ 丹保美紀著)の一文を転記にさせてもらいます。
「品格のある漆黒の扉が開き、一歩足を踏み入れたとたん、ヒンヤリとした暗がりの中から浮かび上がる金や銀、クリスタルの輝き、床から天井までを覆いつくす豪華な装飾に、一瞬足がすくんでしまう。贅をこらした優美な空間は、マラッカでもっとも素晴らしい見どころのひとつだ」(p53)
この博物館で聞いたところによるとプラナカンの人口はマレーシア全体で7500人、そのうちマラッカでは6000人という話でした。私が尋ねたここの係の人はプラナカンではないとの返事でした。
マレーシアでは「ブミプトラ政策」がとられています。ブミプトラはマレー語で「土地の子」を意味します。人口の6割以上を占めるマレー系住民の経済的地位を向上させるため、経済、教育、就職面などで優遇する政策で、1971年から始まりました。
今回の旅行のマレー半島(ペナン、クアラランプール、マラッカ)での現地ガイドの皆さんはすべて中国系で日本語が堪能な人たちでばかりでした。そのうちの一人が商店街を歩いている時「ここで商売をしている人たちはほとんど中国系の人たちですが、中国系の人たちは商売だけをしたいわけではないのですが」とつぶやき言外に中国系は商売だけしかできないと言っているようでした。そこで私はそれは「ブミプトラ政策のせいですか」と尋ねた所、「そのことについては話すことはできない」との返事でした。別の現地ガイドはバスの中で私が「ブミプトラ政策」につて質問をしたところ親戚に警察官がいるが出世はでいないでしょうなどいくつか答えた後、「このバスの運転手は日本語が分からないマレー人なのでよいのですが、もしわかれば大変なことになります」と話しました。「ブミプトラ政策」についての話はタブーのようでした。そして不満は鬱積しているようでした。