476年ローマ帝国崩壊後南イタリア、シチリアはラテン・キリスト教文化圏、ギリシア・ビザンツ文化圏、アラブ・イスラーム文化圏の鼎立時代に入ります。それを政治的に統一したのがノルマン人でした。ノルマン人の祖先を遠くたどれば8世紀ヨーロッパを荒らしまわった北欧のヴァイキングにまでさかのぼりますが、その一部が北フランスのノルマン地方に定住します。彼らの1066年のノルマン・コンクェストで知られるイギリス征服は有名です。
ほぼ同じころ、彼らの一部がここ南イタリア・シチリアに最初は傭兵として入ってき、次第に力をつけ地域の「侯」(大名)となり、ついにはこの地の王になります。(1130)この王国は上記の3大文化を融合した独特の国家を作り上げます。初代の王位を名乗ったルッジェーロ2世(ロゲリウス)は多言語を操り多民族を治めた東方的専制君主でした。彼が王になった直後1130年当時イタリア最強の海洋都市国家アマルフィ(後紹介)へ遠征し従えたが、首都パレルモに帰途嵐に逢い無事に陸に漂着できたらその地に聖堂を献じると神に約束しました。(伝承)(5月6日地図)そして漂着できた地がチェファルーで約束をした聖堂が造られました。アラブ・ノルマン様式の傑作とされています。
写真は聖堂の後陣です。そこにはビザンチンモザイクでキリストが左手にギリシア語とラテン語で書かれた聖書を持ち、右手は3本の指での三位一体を描いています。この図柄は後日紹介予定のパレルモやモンレアーレと同じです。