前々回紹介したように1996年にはバスを降りての観光はできませんでしたが今回は治安もだいぶ良くなっているということで所々バスを下車しての観光ができました。写真は海岸通りから見たヴェスヴィオ火山と卵城です。ヴェスヴィオ火山は良く知られているようにポンペイの悲劇をもたらした元凶です。前回紹介した鹿児島が「東洋のナポリ」と呼ばれたのはこのヴェスヴィオ火山と桜島の存在がありました。私が毎日見ている桜島とよく似ています。「米欧回覧実記」(岩波文庫4 p327)は「此府ニ高名ナル名勝三アリ」として第一にヴェスヴィオ火山をあげています。
また「米欧回覧実記」(p329)に「此府中モ古跡多シ、海湾ニ斗出セル一小島に、岸壁ノ古城アリ」と書かれているのが卵城と思われます。「地球の歩き方」(p66)には12世紀ノルマン人によって建てられたと書かれていますが、現地ガイドは紀元前1世紀と説明しました。Lonely planet日本語版(p636)によれば「ローマ時代の邸宅があった場所に12世紀ノルマン人」と書かれていました。
呼び名の由来はローマの詩人ウェギリウスが「城の基礎に卵をうめ、卵が割れるとこの城は攻め落とされると」と予言したことからきています。