バギオはアメリカ統治時代の20世紀初頭に避暑地として開発されました。標高1500mで気温は年間を通じて15℃~20℃の山間都市です。2007年の統計では人口30万人です。
このバギオは日本(人)との深いかかわりがあります。一つはマニラからの道路工事です。1902年~1905にかけての工事は難航を極め完工までに従事した労働者は46の国からの出稼ぎ労働者でした。そのうち日本人労働者は述べ2500人で工事時の死亡者は700人といわれています。工事終了後日本人労働者は現地人と結婚しその子孫は3000人を超えています。しかし戦後の反日感情から日本人の子孫であることを隠してきましたが、1980年代になって日系人であることを公にする人が出始めています。この日系人の救済、組織化、生活向上に献身したのが1973年に61歳でフィリピンに移り住んだ海野常世でした。
またこの工事の労働者のうち180人が工事終了後の1905年、大田恭三に率いられてミンダナオ島ダバオに移住しマニラ(アカバ)麻の栽培に従事し最盛期には2万人労働者の農場となりました。戦後アメリカ資本の流入で現在はバナナ農場になりました。
というわけで、この道路(ベンゲットまたはケノン)と日本人労働者の記念碑などを見たいと思い自由時間に計画して現地ガイドに相談したところ場所などあいまいな返答なのでやむなく断念しました。
もう一つの日本(人)と関係することについては次々々回に紹介予定です。
写真は車窓からでちょっと見難いですがカラフルな町ですね。