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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

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「北インド周遊15日間の旅」 アンベードカルと不可触民

2020年02月02日 07時59分52秒 | インド


 (30日はPC故障のため休みました。心身の故障ではありません)
 ガンディーと並んで忘れてはならない人物がアンベードカルです。日本では比較的馴染みが薄いようですが、わたくしにはガンディーと同等な人物です。(以下 2006年6月22日に紹介したものに一部修正)
インドムンバイ(旧称ボンベイ)の街中をバスで走っていると銅像が見えたので現地ガイドのセチさんに尋ねるとアンベードカルという人でインド独立後初代の法務大臣という説明でした。慌ててバスの中から写真を撮りました。私が写真を撮った理由は彼が法務大臣であったからではありません。彼は不可触民出身でその解放に一身を捧げその方法について、かのガンディーと鋭く対立しヒンドゥー教を捨て、最晩年に仏教徒へ改宗しました。それが理由でした。
 不可触民についてはご承知の方が多いと思いますので簡単に説明しておきます。ヒンディー語でアチュート(触ってはいけない)が英語のuntouchable になりそれが日本語訳で「不可触民」になったようです。ガンディーが名づけたハリジャン(神の子)は当該の人たちには不評のようです。彼らはインド独特のカーストの最下層というよりはアウトカーストと呼ばれるように制度の外に存在し「穢れ」て、いるとされ差別を受けてきました。現在は法的には差別はなくなりましたが社会的には強く残っています。数は全人口の約15%で1億5000万人になるとされ、日本の被差別民に比べて非常に多いのです。
 15日間通じての現地ガイド、セチさんはこの存在について最後まで言及しませんでした。彼は最上層のバラモン(ブラーフマン)の出身でした。余談ですが彼の毎日読むのはヒンディー語新聞ではなく英字新聞だそうです。
 アンベードカルとガンディーとの対立について少し紹介しておきます。「ブッダとそのダンマ」(山際素男訳、光文社新書)というアンベードカルの著書に寄せた山崎元一氏の解説(p397)に次のような簡潔な文章があります。
  「ガンディーが不可触民制はヒンドゥー教そのものとは関係なく、その廃絶はカースト=ヒンドゥーの懺悔・改心を通じてもたらせると主張したのに対し、アンベードカルは、不可触民制の廃絶はカースト制度とヒンドゥー教を打倒することによって、また不可触民自身の自覚と向上によって得られると唱える」
このようにしてアンベードカルは早くからヒンドゥー教から決別していましたが正式に仏教徒への改宗宣言は1956年のブッダ生誕2500年祭でのことでした。その年12月に享年65歳で「ブッダとダンマ」の最終稿に目を通しつつ世を去りました。この著書で彼は仏教が神と霊魂の存在を否定する宗教であることなど主張しています。
この本以外に彼の業績とカースト制について興味のある方は少し古くなりますが(1979年)「インド社会と新仏教」(山崎元一著 刀水書房)が参考になると思います。
また、日本からインドへ国籍を移し彼の衣鉢を継ぎ彼のこの新仏教の布教に奮闘している佐々井秀嶺氏が以前TBS系テレビの「不思議発見」で紹介されました。その後、彼の著書「必生 闘う仏教」が集英社新書で出版されました。

 (以下は2006年6月24日紹介の修正版)下部の写真は洗濯村の洗濯場です。
「洗濯」は不可触民の典型的な職業の1つです。(インドでは職業と身分とが密接不可分です)
 余談になりますが、インドは長期間ヨーロッパの植民地であったにもかかわらず現在に至るまでキリスト教徒が少ない理由は、最初に不可触民がキリスト教徒に改宗したのでそれを上層のカーストが嫌ったからだという説があります(「アジアの聖と賎」野間宏、沖浦和光共著p74)
コメント
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