すでに紹介したようにこのペトラ遺跡は赤茶けたレンガの瓦礫にのような砂漠にあり全部丁寧に見れば5日もかかるというわけでラクダ、馬、ロバが大活躍です。これらの乗り物のドライバー?はベドウィン(遊牧民)といわれる人たちです。この地が世界遺産に指定されるまで彼らはここを本拠地としていました。世界遺産に指定されここを立ち退きさせられましたが、この地で観光業を独占的に営むことを認められました。 なおヨルダン(おそらくシリア、レバノンでも)でのベドウィンは遊牧をしている人はごく少数で多くはこのように観光業に携わっているそうです。
アラビアのローレンスの映画で有名な砂漠ワディー・ラム(後日景観は紹介の予定)でかれらベドウィンの経営するテントホテル?で昼食をとりました。アルコールが厳禁なのでノンアルコールのビールで我慢しました。(次ページ写真)
このペトラ遺跡は砂岩をくりぬいた建物群ですが、全部見ようとすると5日はかかるそうです。写真はお墓だそうですが、その他、ローマ円形劇場(5000人収容)、神殿(後修道院)、凱旋門などが赤茶けた岩だらけの砂漠の中に点在していました。
エル・ハズネの全景です。崖を削り彫りぬいた神殿風の霊廟です。以前は宝物殿と呼ばれていたそうです。幅30メートル、高さ43メートルあるそうです。私は見ていませんが、映画「インディージョーンズ」の舞台にもなりました。
ヨルダンのペトラは紀元前4世紀にナバテア人が岩山を彫って造った都市でシルクロードの隊商都市として繁栄しましました。その後パルミラ(5月17日のこのブログを参照してください=カレンダーをクリックすると出ます)の隆盛などによって次第に衰退し紆余曲折はありましたが、少数のベドウィンだけが住むところとなり忘れ去られていました。
1812年スイス人(ドイツ人と書いている本もありますがスイス人のほうが正しいようです)探検家によって発見、世界に紹介されました。1950年代になって考古学的発掘が始まり1985年に世界遺産に登録されました。
この(町)遺跡に入るにはシークと呼ばれる高いところでは200メートルもある岸壁の切れ目の通路(幅5~10m)を1.5kmも行かなければなりません。このシーク以外にペトラに入る道はありません。ラクダ、ロバ、馬車、馬が活躍していました。
写真はそのシークで右と左を見ていただくと水路が見えます。左が上水道の導管が右には下水道の導管が敷設されていました。このシークを出ると****。次回にします。
現在は大切に保護され、観光客も決められた道を通るように定められています。種が落ち、幼木が芽を出すと写真のように囲いをして保護されています。ここは世界遺産に登録されています。面白いことに自然遺産ではなく、文化遺産の登録です。
レバノンといえばレバノン杉が有名で国旗のデザインにも用いられています。紀元前フェニキア人の繁栄の原点になりました。(フェニキア人についてはこのブログの5月19日の項を参照してください)彼らは、当時レバノン山脈全域で自生していたレバノン杉からガレー船を始め、船舶の建造材として使用し、木材や樹脂をエジプトなどに輸出していました。古代には中近東一帯に広く自生していましたが、長年の伐採がたたり現在は1200本程度が残るだけになっています。なお、レバノン杉の枯渇が洪水を引き起こすようになり、それが旧約聖書のノアの洪水伝説に投影されているという説があります。
その残り少なくなったレバノン杉の森に行きました。
レバノン郊外で見かけたバナナとみかん畑です。私の常識ではバナナは熱帯、みかんは温帯の作物だと思っていたので隣りあわせで栽培されているのが珍しくて撮影しました。
ここのバナナは小ぶりですが大変おいしく、日本に帰って食べたフィリッピンのバナナがすごくまずく感じました。
写真はネボ山にあるモーゼの記念碑です。ここで死んだとされるモーゼのお墓は長年にわたっての探索にもかかわらずいまだに発見されていません。余談ですがジンギスカンのお墓も発見されていません。
なお、この地には2000年3月ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が来ています。
旧約聖書申命記(38章48~50)には次のように書かれています。「エホバ(神)はモーゼに次のように言われた。『ネボ山に上りなさい。それはエリコ(英語読みではジェリコ)に面している。そして、わたしがイスラエルの子らの所有として与えるカナンの地(注)を見なさい。そしてあなたは、上っていくその山で死んで***』」
(注)現在のパレスティナ地方
この話が歴史的事実なのか、あるいはどの程度歴史的真実を反映しているのかを、私は判断する学力も能力も待ちません。しかしユダヤ教徒、キリスト教徒の殆どの人は真実であると思っていることは確かのようです。ここには2つのことが書かれています。1つはエジプトで奴隷的存在であったイスラエルの民を率いて脱出さしたモーゼの終焉の地がここネボ山であることです。もう1つはネボ山からは神がイスラエルの民に与えたカナンの地がよく見えそして近くにはエリコの町があることです。 旧約聖書ヨシュア記によればその後モーゼの後を引き継いだヨシュアはエリコを手始めにカナン地帯を征服していきます。降伏した人たちを奴隷にし、抵抗する人を殺し、家に火を放って町中を焼け野原にします。ヨシュア記は世界で最初に神の意思による侵略戦争を記録した本です。
私はこの神の意思による侵略戦争の思想は現代にまで続くユダヤ教徒、キリスト教徒に底流としてあるのではないかと思っています。丸山真男の言葉を借りれば「執拗低音」のようなものを感じます。たとえばアメリカ合州国がネイティヴアメリカン(インディアン)を殺しながら西部への領土拡大を、時の大統領Polkは「神の明白な意思」Manifest Destiny としています。今のブッシュ大統領はどうなんでしょうね。熱心なクリスチャンだそうですが。そして現在のパレスティナとイスラエルの紛争とネボ山との関連性は。
と、いうような、曰く因縁があるネボ山に登りました。現在はヨルダン領土です。当日大気が靄っていて写真が不鮮明ですが、ネボ山からパレスティナ地方を見下ろした風景です。右手がエリコです。左手が死海、イスラエルです。真ん中にヨルダン川が流れているのですがよくわかりません。