100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ギリシア」編 ミケーネとシュリーマン1

2008年02月12日 08時51分07秒 | ギリシア

 ギリシア神話といえばホメロスが書いたとされる英雄叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」のトロイの木馬で有名なトロイ戦争です。そのギリシア軍の本拠がミケーネです。(写真 真ん中にアクロポリスがあり背後は聖イリアス山です)

 この話に少年時代感動しこれを真実と信じトルコで発掘し(1871)トロイの実在を証明したのがこれまた有名なシュリーマン(1822~1890)です。(というのが最近までの通説ですが***その後は次回へ)

 その後(1876)彼はこのミケーネも発掘しミケーネ文明の存在も明らかにしました。

 このミケーネ文化はこのミケーネを中心としてBC16~BC12 にかけて栄えた青銅器文明です。 この文明は先行するクレタ文明(ミノア文明とも 後日紹介)の影響を受けつつこれをBC1400年頃滅ぼし(異説あり)自らもBC10頃ドーリア人によって滅ぼされます。


「ギリシア」編 エピダウロスとアスクレピオス5

2008年02月10日 08時58分32秒 | ギリシア

 この写真は私の住む町の救急車です。このアスクレピオスの杖が描かれています。

 私の町ではすべての救急車に描かれてはいないようですが、世界各国の救急車にはあるようです。

 ついでに余談ですが、この神話上の神アスクレピオスの子孫にあたるとされる実在の人物医学の祖として有名な哲学者ヒポクラテス(BC460~BC377)の教えは10訓(患者の秘密を漏らさないなど)として日本では医学部の卒業証書と共に渡されることになっています。ギリシア神話は意外に身近 にあるのですね。


「ギリシア」編 エピダウロスとアスクレピオス4

2008年02月10日 08時51分00秒 | ギリシア

 アスクレピオス神の像もありました。彼が持っている蛇が巻きついた杖に注目ください。これは現在「医」の象徴として世界各国で医療機関のシンボルマークとして用いられております。日本医師会のシンボルマークでもあります。そこで蛇は何を意味するのかを日本医師会に問い合わせましたがはっきりしませんでした。

 ガイドブック Lonely Planet “Greece” には蛇になめてもらうという治療法がこの聖域で行われたと信じられていると書かれていました。


「ギリシア」編 エピダウロスとアスクレピオス1

2008年02月08日 09時05分03秒 | ギリシア

 エピダウロスはペロポネソス半島の東部にある古代ギリシア都市です。アポロ神の息子のアスクレピオス医神の聖域としてあがめられた古代ギリシアの「癒しの総合医療施設」でした。

 多くの遺跡が残されていますが、観劇で心を癒すための野外劇場が最も有名です。(写真)しかも今も現役で1万4千人が収容でき毎年6月~8月毎週土日にギリシア古典芸が上演されます。この劇場の音響効果がすばらしいことでも有名です。

 写真の中央に人がいますが(舞台)ここで声を出すと観客席の最上段まではっきりと聞こえました。これについて川島重成氏の以下のような文章を紹介しておきます(ギリシア旅行案内p229岩波同時代ライブラリ)

 「****音響効果が優れていることでも有名で、ガイドが****コインを落としたり紙を破いたりしてくれるが******どんな幽かな音も観客席の最上段まではっきり届く。しかしこのような実演もこの劇場の音響効果の実際を正確に伝えていないのである。****リハーサルを見た。がらんどうの観客席に役者たちのセリフは耳に痛いほど大きく響いた。翌日、本番になって観客席が埋まると、同じ声がほどよく抑制されて心地よく聞こえたのである。この音響効果の秘密は未だ解明されていないらしい」


「ギリシア」編 ミストラ1

2008年02月06日 09時09分02秒 | ギリシア

 スパルタから西に6kmのところにあるミストラは中世以来の城塞都市で世界遺産に登録されています。13世紀の十字軍に始まりビザンチン帝国→オスマントルコ→ヴェネチアなど支配者の交代がありましたが、今は廃墟です。

 写真は「夏草やつわものどもの夢の跡」を感じさせる城壁です。但し、ここは春草です。


「ギリシア」編 スパルタ2

2008年02月04日 08時52分16秒 | ギリシア

 前述のようにスパルタは今は全く寂れた町なのでミストラ(スパルタから西に6km。次回紹介)からの遠景を紹介しておきます。(写真) 

 なお、スパルタはスパルタ教育・軍国主義国家、アテネは民主主義国家と対照的に言われていますが、そのことについて少しばかり紹介しておきます。

 まず成り立ちですが、アテナイはBC8世紀頃自由な市民が一箇所に集まるようになり(シノイキスモス)ポリスが成立します。一方スパルタはギリシア人の一派ドーリア人がこの地の先住民を征服し奴隷にしてポリスが成立します。 

 次に構成ですが、アテナイの場合、自由人1人にほぼ奴隷が1人の割合ですが、スパルタの場合、自由民1人に奴隷身分が5人の割合です。したがってスパルタの場合奴隷の数が圧倒的に多いのでそれを暴力的に抑圧するため身体を鍛え(子供時虚弱児は殺される)奴隷の反乱に備えます。それがスパルタ教育です。それが外に向かう時、軍国主義になるのです。 

 アテナイはスパルタに比べ相対的に奴隷の数が少なく自由民の間で民主主義が行われるようになりました。


「ギリシア」編 スパルタ1

2008年02月04日 08時43分56秒 | ギリシア

 スパルタは古代ギリシアではアテネ(古代名アテナイ)と並んで有力な都市国家(ポリス)です。しかし今ではアテネの340万人に対して1万5千人の小さな町です。そして遺跡も殆ど残っていなく観光バスは通り過ぎるだけです。ただペルシア戦争でのスパルタ王英雄レオニダス(注)の像があり、そこだけがバスストップでした。(写真)

 (注)  ペルシア戦争はBC546年~448年(開始時期について は諸説あり)にかけてギリシア古代ギリシア諸都市連合軍(いつもではない)とアケメネス朝ペルシアとの間の戦争です。スパルタの王レオニダスはこの戦争にギリシア側の勝利でほぼ決着がついたときの悲劇のヒーローです。

 このときの戦いは海上部門をアテナイが、陸上部門をスパルタが受け持ちレオニダスは300人の兵を率いテルモピライでペルシア軍を向かいうち全員戦死しましたが、そのことがギリシア側に有利に働き有名なサラミスの海戦(BC480年)でアテナイ軍が勝利しほぼペルシア戦争がギリシア側の勝利になりました。しかしその後もペルシアのギリシア諸都市への分断外交政策もありそれも一因となりギリシア諸都市はアテナイ側とスパルタ側に分かれペロポネソス戦争が勃発し崩壊の道をたどりアレクサンダー大王の登場となります。

 アレクサンダー大王の東方遠征もこのペルシア戦争が一因です。 テルモピライにもこのレオニダスの像がありました。


「ギリシア」編 オリンピア~ミストラ・スパルタ1

2008年02月02日 08時48分35秒 | ギリシア

 「ギリシア」編を再開します。

 これまでの「ギリシア編」は2007年4月27日~5月23日と2007年7月18日~7月28日です。

 前回はオリンピアを紹介しましたが、そこからミストラ、スパルタに向かいました。旅程図は2007年4月5日をご覧ください。途中、峠茶屋の様なところで昼食をとりました。ふと上を見ると教会がありました。日本で言えば森の鎮守さまの様な感じなのでちょっとのぞいて見ました。この教会は勿論ギリシア正教会です。観光地でない普通の教会なので紹介しておきます。