イランを旅行して女と男の問題に思いを致さないのはよほどの愚鈍者でしょうが、といっても、たかだか20日程度の旅行で女と男の問題を考えることも不遜かもしれませんが、散見したことを紹介してみます。
私がよく引用するガイドブックlonely planet ではわざわざ2ページ割いて“WOMEN IN IRAN” という項目があります。その最初にイランの映画監督Makhamalbaf の言葉が紹介されています。「イランは二つの矛盾、対立したものが(男女問題の)が共存している」 続けてlonely planet は「歴史的に見てイランの女性は近隣諸国に比べて進歩的社会に生き、自由と平等を享受してきました」 確かにイランは他のイスラム圏とは違った面を持っているようです。
たとえば2003年ノーベル平和賞受賞者シーリーン・エバーディー(現地ガイドによればシーリーネが正確だそうです)は1970年(注)23歳の時裁判官になり1979年のパフラビー朝が倒れホメイニのイスラム革命後女性はその能力がないとして免職され弁護士になりました。多分イスラム圏特にアラブ圏で1970年に女性の裁判官は極めて稀な存在だと思います。現在は人権派弁護士として活躍。それを認めたイラン社会の進歩性と1979年の失職とがMakhamalbaf の言を証明しています。
1979年以後ヴェールを被ることを強制され(宗教警察が取り締まります)女性の価値は男性の半分になりました。交通事故での保障は男性の半額、裁判での信用度も男性の半分など。しかし選挙権、財産権、結婚時の財政的独立性などの権利は失っていません。
一般論はこのくらいにしてこの一般論を直接的に証明するものではありませんがこのことを踏まえながら旅行中に散見したことを以下少し紹介します。
この写真は一般家庭の玄関口です。左をノックした時は男性、右は女性というわけです。
(注) lonely planet は1979年としていますが、正しくは1970 年です。裁判官を辞めさせられた年と混同しているようです。彼女の著書”Iran Awakening” 邦訳題「私は逃げない」(p37)に正確に記載されています。なおこの本は現状のイランを理解するためのお勧め本です。この本はアメリカ合州国で出版されましたが最初は出版の許可を得ることはできませんでした。したがって国内に居住するイラン人はその存在を知りません。また、著者は上流階級の出身で一般庶民には雲の上のような人で影響力は少ないのではないかとも現地の人との対話を通じて思いました。