100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「モロッコ」編 風景・景観の巻13 カスバ街道1 トドラ渓谷1

2008年11月17日 08時38分17秒 | モロッコ

 カスバ街道とは10月7日の地図でエルフード~ワルザザートの路を言います。この街道沿いに城塞で囲まれた要塞(カスバ)が数多く残っていることから名づけられました。昔は南のブラックアフリカと北アフリカを繋ぐ重要な通商路でした。今は風光明媚な自然、カスバ、オアシス農村風景が連なる街道です。 最初にトドラ渓谷を紹介します。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻12 サハラ砂漠10

2008年11月15日 08時49分46秒 | モロッコ

 もう一枚。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻11 サハラ砂漠9

2008年11月15日 08時46分35秒 | モロッコ

 砂漠の夕日です。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻10 サハラ砂漠8

2008年11月15日 08時43分23秒 | モロッコ

 夕方もたくさんの観光客。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻9 サハラ砂漠7

2008年11月13日 08時45分37秒 | モロッコ

 砂漠に生きる生き物です。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻8 サハラ砂漠6

2008年11月13日 08時42分19秒 | モロッコ

 なぜかこの砂漠には風紋が描かれているところが少なかったような気がします。この写真はその少ない風紋です。生き物の足跡です。表面の砂を触ると少し湿っていました。それが風紋を描かれていない原因かもしれません。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻7 サハラ砂漠5

2008年11月11日 08時35分42秒 | モロッコ

 というわけでラクダで出発です。写真を見るとちょっと奇妙なことに気付きませんか。そうなんです。水です。砂漠に水です。ちょうどこの時期雨期だったようです。異常気象なのか? 以前2007年5月31日に砂漠と沙漠について紹介したことがありましたが、ここは水の少ない沙漠でなく石が少ない砂の砂漠でした。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻6 サハラ砂漠4

2008年11月11日 08時31分34秒 | モロッコ

 夕方になりも一度今度は夕日を見に出かけました。メルズーガで客待ちをしているラクダたちです。向こうに見える小高いところが展望地点の砂丘です

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「モロッコ」編 風景・景観の巻5 サハラ砂漠3

2008年11月09日 08時39分04秒 | モロッコ

 砂丘の見学の後、近くの遊牧ベルベル人のテントでミントティーをご馳走になりました。ご馳走になった少し大きめのテントの近くに写真のような小さなテント?がありました。自転車があるのがなんとなくおかしいですね。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻4 サハラ砂漠2

2008年11月09日 08時35分34秒 | モロッコ

 少し明るくなってきた時の写真です。ラクダがたくさんいますがメルズーガから観光客を乗せてきて休憩といったところです。写真でも分かるとおりたくさんの観光客です。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻3 サハラ砂漠1

2008年11月09日 08時32分24秒 | モロッコ

  今回の旅行の目玉の一つが世界最大のサハラ砂漠でした。前日砂漠観光の拠点エルフード(10月7日地図)に泊まり翌日4時半に砂漠の日の出を見るため4輪駆動に分乗して出発です。メルズーガというところで4輪駆動を降り徒歩またはラクダに乗り砂丘を目指します。ところが残念なことに曇天で日の出を見ることはできませんでした。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻2 タンジェ2 スパルテス岬2

2008年11月07日 09時15分27秒 | モロッコ

 この岬にある1864年に作られた灯台です。

 附録

 アメリカ合州国の新大統領にオバマ氏が選ばれました。私も以前このブログ2008年2月26日に紹介していました。お読みいただければ幸いです。

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「モロッコ」編 風景・景観の巻1 タンジェ1 スパルテル岬1

2008年11月07日 09時11分23秒 | モロッコ

 タンジェ(10月7日地図)の紹介は四方田犬彦の文章(「モロッコ流謫」p24~25)を借用します。 

  「この邑は他のモロッコの都市とは比較にならないほど古くから存在し、さ  ながら海千山千の年増女のようにさまざまに宗主国と言語とを替えて、したたかに現在まで生き延びている*****地中海の終点を示すこの港は、交易のうえからも、軍事的見地からも古来から重要な拠点と見なされ、紀元前からすでにフェニキア人、ベルベル人、そしてローマ人の争うところであった。*******『三大大陸周遊記』を著したイブン・バトゥータの生地******大航海時代になるとスペインとポルトガルが代わる代わるタンジェを領地とし、短い期間だがイギリスが要塞を築いて、それに続いた。20世紀に至って、植民地争奪競争に出遅れたドイツがそれに反発し、1923年についにこの邑は列強8カ国の共同管理のもとに、政治的にも軍事的にも中立の国際都市として再出発することになった。******」 

 このようにタンジェはアフリカで最もヨーロッパと関係が深くモロッコそのものの歴史もこのタンジェが象徴しています。 このヨーロッパと結びつけているのがジブラルタル海峡です。このジブラルタル海峡でヨーロッパに一番近いところがタンジェ西郊外15kmにあるスパルテル岬(写真)で天候がよければ対岸のイベリア半島(スペイン)が見えるのですが今回は天候が悪く見えません。残念!

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「モロッコ」編 王国6 ハッサンⅡ世モスク2

2008年11月05日 08時59分09秒 | モロッコ

 世界で一番高いとされるミナレットです。210メートルあります。(地球の歩き方では200メートル)

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「モロッコ」編 王国 5 ハッサンⅡ世モスク1

2008年11月05日 08時55分07秒 | モロッコ

 最後の観光も王室関連建造物でした。前国王ハッサンⅡ世の60歳の誕生を記念して1986年から8年がかりで1993年に完成したハッサンⅡ世モスクです。世界で3番目に大きいモスです。全敷地に8万人、内部に2万5千人収容可能だそうです。総工費5億ドル以上(約500億円以上)です。ちなみに国民一人(総人口約3000万人)あたり所得は1900ドル(19万円)です。(外務省ホームページ)日本の自公政府は一人当たり1万5千円で国民を買収しようとしていますが、モロッコでは国民一人あたり1万7千円でモスクを作りました。

 もともとこの地は海岸線に面したスラム街でありました。lonely planet によればこの地を何ら保障なくして追い出されたスラム住人の恨みはまだ続いているそうです。(p91) イスラームの戒律が厳しい、たとえばイラン、パキスタンなどでもモスクは非イスラーム教徒にも公開されていますが、ここモロッコでは非イスラーム教徒の入場は禁止されています。ただこのモスだけは例外的に英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語のガイドつきで公開されています。そのことからこのモスクの建設・存在の意味がなんとなく分かるような気がしました。

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