スペイン南部のコスタ・デル・ソル(太陽海岸)(2009年3月29日旅程図参照)は現在国際的リゾート地として有名ですがその中心地マラガは8世紀~1487年にイスラーム文化の華が咲いたところでした。写真は11世紀に作られた砦(アルカサバ)のイスラーム式庭園です。
アルハンブラ宮殿と似ていますね。
「航空券 ブルガリア」さん コメントありがとうございました。ブルガリアでは2006年2月19日、21日に現地ガイドテオドラさんについて少し面白い話を紹介しているのでお読みいただければ幸いです。
アラベスク文様ですね。
臨時編
最近中国のウィグル族についてのマスコミ報道がにぎやかですがこのブログでも以前少し取り上げました。「ウイグル」と「ウィグル」(どうも両方の表記をしているようです)で左下の「検索欄」で検索してみてください。少しは参考になることがあるかも。たとえば2006年12月5日の「ウイグル人は前述のようにイスラム教徒なので『アッサーラーム・アレイクム=今日は=原意は平和があなたにありますように』という挨拶言葉が通じるのではないかと思っていましたが、その通りでした」などはマスコミ報道にも無い面白い話だと思うのですが。(この挨拶言葉はアラビア語で中近東一帯の共通語です)」
アルカサルとはスペイン語で城を意味し、アラビア語で宮殿もしくは砦を意味するal qasr に由来します。したがってスペインではたくさんのアルカサルがあります。
セヴィリアは712年イスラーム勢力に占領され1248年にカトリック教国に再征服されるまで約500年の間イスラーム文化の華が咲きました。
最初アルカサルは913年に砦として造られその後増改を重ね歴代の王から魅力ある美しい複合建築物として愛され続けました。1248年にカトリック教国に征服されますがカトリック王にもこのイスラームの華は愛され特にペドロ1世(1350~69)はスペイン各地からイスラーム職人を呼び寄せグラナダのアルハブラ宮殿(2009年7月30日)を模して増改築をしました。ペドロ1世はアルカサスではイスラームの服装をし、アラビア語を使うことを命令したそうです。グラナダのアルハンブラ宮殿を無血入場したイザベルとフェルナンドがイスラームの服装であったことはすでに紹介しました。
そのアルカサスの写真を以下3枚紹介します。
2009年5月30日にセヴィリアのカテドラルを紹介しました。そのとき以前のモスクの跡に建てられたと述べました。しかしそのモスクに付随する12世紀に造られたミナレットだけはカテドラルの鐘楼として残されました。この97mの旧ミナレットは現在ヒラルダの塔と呼ばれセヴィリアのシンボル的存在になっています。(ミナレットについては2008年6月12日をご覧ください)
余談噺
5月30日にカテドラルの中にコロンブスのお墓があると紹介しましたが、その骨が実際にコロンブスのものかどうかをめぐって近来論争になりました。今までは1899年カリブ海からここに持ち帰られたとされてきました。ところがドミニカ政府が首都サンドミンゴにあると主張して問題になりました。2006年DNA鑑定まで行われ現在ではスペインとカリブ海に分骨されているというのが一応の結論のようです。(この項lonely planetによります)
またこのようなアラブ風の家屋の覗き見もしました。アラブ風ミントティー(2009年1月20日参照)やモロッコ風料理(2009年1月2日 4日参照)も楽しめるようです。グラナダで時間があれば訪ねて損はしないお勧めの所です。