100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代33 マラガ4

2009年07月19日 08時16分32秒 | スペイン・ポルトガル

 ホテルの部屋からの写真です。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代32  マラガ3

2009年07月19日 08時13分19秒 | スペイン・ポルトガル

 前述のようにマラガは国際的リゾート地でもあるので少しその景観を紹介しておきます。アルカサバから海岸を一望した写真です。中央の円形のものはスペイン名物の闘牛場です。(後日紹介の予定)

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代32 マラガ2

2009年07月17日 08時27分10秒 | スペイン・ポルトガル

 もう一枚、イスラーム式庭園。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代31 マラガ1

2009年07月17日 08時24分39秒 | スペイン・ポルトガル

スペイン南部のコスタ・デル・ソル(太陽海岸)(2009年3月29日旅程図参照)は現在国際的リゾート地として有名ですがその中心地マラガは8世紀~1487年にイスラーム文化の華が咲いたところでした。写真は11世紀に作られた砦(アルカサバ)のイスラーム式庭園です。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代30 セルヴィア9 サンタ・クルス街3

2009年07月15日 08時25分44秒 | スペイン・ポルトガル

 この街を歩いていてふと脇を覗くとこのようなアラブ風のパティオ(中庭)を見ることができました

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代29 セルヴィア8 サンタ・クルス街2

2009年07月15日 08時23分20秒 | スペイン・ポルトガル

 かつて画家のムリリヨがこの地に住んでいたことがありそのためこのような標示がありました。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代27 セルヴィア7 サンタ・クルス街1

2009年07月15日 08時20分20秒 | ユダヤ人

 イスラーム時代から1492年のユダヤ人追放まで多くのユダヤ人がこの地に住んでいました。そのかつてのユダヤ人区が現在サンタ・クルス街です。

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スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代26 セルヴィア6 アルカサル3

2009年07月13日 08時51分31秒 | スペイン・ポルトガル

 アルハンブラ宮殿と似ていますね。

 「航空券 ブルガリア」さん コメントありがとうございました。ブルガリアでは2006年2月19日、21日に現地ガイドテオドラさんについて少し面白い話を紹介しているのでお読みいただければ幸いです。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代25 セルヴィア5 アルカサル2

2009年07月13日 08時44分18秒 | スペイン・ポルトガル

 アラベスク文様ですね。 

 臨時編 

 最近中国のウィグル族についてのマスコミ報道がにぎやかですがこのブログでも以前少し取り上げました。「ウイグル」と「ウィグル」(どうも両方の表記をしているようです)で左下の「検索欄」で検索してみてください。少しは参考になることがあるかも。たとえば2006年12月5日の「ウイグル人は前述のようにイスラム教徒なので『アッサーラーム・アレイクム=今日は=原意は平和があなたにありますように』という挨拶言葉が通じるのではないかと思っていましたが、その通りでした」などはマスコミ報道にも無い面白い話だと思うのですが。(この挨拶言葉はアラビア語で中近東一帯の共通語です)」

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代24 セヴィリア4 アルカサル1

2009年07月13日 08時40分37秒 | スペイン・ポルトガル

アルカサルとはスペイン語で城を意味し、アラビア語で宮殿もしくは砦を意味するal qasr に由来します。したがってスペインではたくさんのアルカサルがあります。 

 セヴィリアは712年イスラーム勢力に占領され1248年にカトリック教国に再征服されるまで約500年の間イスラーム文化の華が咲きました。

 最初アルカサルは913年に砦として造られその後増改を重ね歴代の王から魅力ある美しい複合建築物として愛され続けました。1248年にカトリック教国に征服されますがカトリック王にもこのイスラームの華は愛され特にペドロ1世(1350~69)はスペイン各地からイスラーム職人を呼び寄せグラナダのアルハブラ宮殿(2009年7月30日)を模して増改築をしました。ペドロ1世はアルカサスではイスラームの服装をし、アラビア語を使うことを命令したそうです。グラナダのアルハンブラ宮殿を無血入場したイザベルとフェルナンドがイスラームの服装であったことはすでに紹介しました。

 そのアルカサスの写真を以下3枚紹介します。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代23 セヴィリア3 ヒラルダの塔3

2009年07月11日 08時33分27秒 | スペイン・ポルトガル

 もう一枚。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代22 セヴィリア2 ヒラルダの塔2

2009年07月11日 08時30分58秒 | スペイン・ポルトガル

 この塔の70mの所にある展望台からのセヴィリア市内の展望です。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代21 セヴィリア1 ヒラルダの塔1

2009年07月11日 08時26分24秒 | スペイン・ポルトガル

 2009年5月30日にセヴィリアのカテドラルを紹介しました。そのとき以前のモスクの跡に建てられたと述べました。しかしそのモスクに付随する12世紀に造られたミナレットだけはカテドラルの鐘楼として残されました。この97mの旧ミナレットは現在ヒラルダの塔と呼ばれセヴィリアのシンボル的存在になっています。(ミナレットについては2008年6月12日をご覧ください) 

 余談噺

 5月30日にカテドラルの中にコロンブスのお墓があると紹介しましたが、その骨が実際にコロンブスのものかどうかをめぐって近来論争になりました。今までは1899年カリブ海からここに持ち帰られたとされてきました。ところがドミニカ政府が首都サンドミンゴにあると主張して問題になりました。2006年DNA鑑定まで行われ現在ではスペインとカリブ海に分骨されているというのが一応の結論のようです。(この項lonely planetによります)

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代20 グラナダ11 カルデリア・ヌエヴァ通り3

2009年07月09日 08時42分08秒 | スペイン・ポルトガル

 またこのようなアラブ風の家屋の覗き見もしました。アラブ風ミントティー(2009年1月20日参照)やモロッコ風料理(2009年1月2日 4日参照)も楽しめるようです。グラナダで時間があれば訪ねて損はしないお勧めの所です。

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「スペイン・ポルトガル」編 イスラーム時代19 グラナダ11 カルデリア・ヌエヴァ通り2

2009年07月09日 08時38分48秒 | スペイン・ポルトガル

 喫茶店のようなところを覗き見しました。アラブ風水タバコやミントティーを楽しんでいる人がいました。

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