風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ぼくはこたろう

2025年05月01日 | こたろう

                    2007年7月16日撮

             

       僕の名前は、こたろう。           
           詩吟を習っている母と名コンビです。               
僕は、今年も21才のまま。   
     母は、とっくに還暦を過ぎ古希もあっという間に過ぎました      
僕と母のつれづれを、きままに書いています
よろしく
 

 

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池上詩吟サークル発表会

2024年11月22日 | 詩吟
9日土曜日、もう2週間も過ぎました。
いつもは、感激の冷めやらぬうちに書いて書きまくるのだけれど、今回は
病み上がりのせいか、感情とキーボードを打つ指がちっとも連動しなくて
置き去りになっていました。
それでも、このことは書いておかなくてはいけません。
やっと、指が動き始めました。

一年ぶりに池上詩吟サークルのみなさんの吟詠を聴かせていただきました。
去年は、独吟なんてとんでもないとおっしゃっていた男性二人が、見事な露払
をされました。
それに続く、女性の合吟も良く声が揃っていました。愛らしい声は、私には
真似のできない技です。
胸のすく爽やかなスタートです。
先生は、さぞうれしかったことでしょう。
それに続く先輩の独吟、S先生の歌謡吟詠は文句なし。
それに、私たち助っ人の面々、ことにT先生の和歌の吟詠。
詩吟を知らないお客様にも、その良さと心意気が通じたのではないかと思います。
池上メンバーさんたちは、久し振りにお目にかかる私にもとても暖かく、
喜びに満ちたご挨拶をして下さり、お互いにハグをし合うほど、嬉しかった。
おかげですんなりと溶け込んで、緊張することなくメンバーの一員としての
お役目を果たせました。
発声練習の時、喉に突っかかって咳が出たため満足に声出しが出来なかったのです。
却ってそれで、気張らないで喉に負担のかからない発声を体が出来たたようです。
朝一番からの池上面々の雰囲気と頑張りに力を得て、私も、「山間の秋夜」
出だしの譜№4のしっぽを心地よく詠いあげることが出来ました。
そして、それにつづく「山中の月」の連合吟も、「八」の高さが、私史上
最高の声だったと思います。

池上詩吟サークルゆかりのS婦人が、飛んできて「よかった!」の一言に
嬉しさ炸裂。「言葉が胸に・・・」は最大の褒め言葉でした。
本当にありがとうございました。あなたに頂いた言葉を大事にします。
これからも今日のような吟詠ができるよう精進!精進!

風邪っぴきのため練習もしないで、この褒め言葉を頂ける吟詠ができたなんて
夢見心地です。
絶対に直す!穴をあけてはなるものかと頑張った甲斐がありました。
最高に嬉しい出来事でした。
皆さんに感謝いたします。

一点に向かって集中すると言う事が、こんなにも胸のすくことなのだねぇ。
コンクールに出場する方たちはこれをやっているのだろうねぇ。

優勝という栄誉に向かっては、走れなかった私は、今日は何に向かって走った
のだろうか。

そう言えば、25周年の音響の仕事も思えばまっすぐに走ったねぇ。

この次には、どんな風にいつ何に向かって走るのだろうか。

その原動力は、「仲間」であることには間違いない。
仲間で居てくれてありがとう。これからも大事にするからね。
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風邪ひきさんの顛末

2024年11月15日 | 体を整える
風邪ひきさんになりました。
教室をお休みしたのは、娘のお産の時以来二度目の事。
11月2日の夢松風土曜教室をお休みにしました。

しかし、9日の池上センター祭には、絶対に出吟する。
絶対穴をあけないと決めた。
それから、20年?ぶりの風邪との戦いが始まる。

熱タオル対応で、とにかく9日には吟詠をする舞台に立つと決めイメージする。
おぼろげな頭で、「熱タオル」の本を読む。
肩甲骨の間に熱タオルを当てる。
やがて、背骨に添って熱くなりました。やがて、その熱が広がっていくのを
感じました。
その熱が冷めるころ、幸せ感に包まれて、良く効いたことを実感する。
安心して、眠る。
今まで熱タオルをいく度となく試しましたが、このような理想的な経過を
たどったのは初めてのことです。
後日の、山田先生の助言は、理想的な体の反応でしたね、その時の赤身はどうでしたか?斑になっていましたか?
残念ながら、鏡の前に行って確かめてみる気持ちのゆとりはありませんでした。

「絶対に効く、絶対に直す。前日には、回復して整体の施術を受けに行く」

昼間の明るい時間に布団にいる時間の過ごし方は、モンゴルで落馬した時以来
かもしれません。
今思うと、その時間は心身のリラックスをもたらしました。
肩の力が抜けたおかげで、不思議なことに最悪の体調を抜け出したばかりでは
なく、運よく前日に入れていた整体の施術で仕上げが出来ました。
ただし、今回のように咳の強い場合は、肩甲骨ではなく喉の下、気管支の
あたりへの熱刺激の方が良かったようです。
それにしても、熱タオルによる熱刺激がこんなに効果が上がるなんて!

浴用タオル1本を濡らして「熱タオル」にして必要な場所に当てるだけという
誰にでもできる手当てが、息が出来なくなるほどの咳にこんなに効くなんて!
井本整体 <genten@imoto-seitai.com>の奥義は、不思議です。

願うらくは、9度の熱を上げる体にまでなっていたら、一日で治るのになぁ。
最近は、平熱が6度台に上がって来ていたので、可能かとおもったのですが、残念ながら、熱は6度台のままで、あげることが出来ませんでした。

熱を上げて一日で治す体を目指せ。


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池上文化センターまつり告知

2024年10月30日 | 詩吟
     令和6年度池上文化センターまつり
      「吟詠池上サークル」吟詠発表会
   日時 11月9日(土曜日)13時30分~14時10分
        【プログラム】
   第一部 ~人生観と季節感を詠う~
   第二部 ~連合吟~


池上文化センター祭を前に、最終の打ち合わせと最後の通し練習が行われました。
通常の月二回の練習日とは別の日を加えての日程でしたから、私も最初から
参加することが出来ました。

周到な指示書は、S先生お手の物で、すでに何回か出演させていただいている
ので、一目で当日の様子がわかります。

この一年の精進がありありと浮かび、去年の反省会では「とても独吟なんて」
と尻込みしていた男性二人が堂々と独吟を勤めることになっています。
先生によく似た伸びやかな声で、リズムよく吟詠する様子を拝見して、我が
ことの様に嬉しく思いました。

その他上級者の独吟、先生の歌謡吟詠、先生を含めた男性三人の連合吟「本能寺」は圧巻。
さらにT先生の和歌は、一段と伸びやかさを増して、聞きほれました。
それに続き女性の独吟、三人の連合吟は花を添え、最後は、全員による合吟
「偶成」でにぎやかなフィナーレ。

関吟でも歌謡吟詠を取り入れて、伴奏CDも出されています。
その一つが「青葉の笛」です。
吟詠のみにこだわることなく楽しめる構成となっています。
吟詠池上サークルは区の広報が大きな後押しをして居ます。そこから集まって
くる新人さんに比較的集まりがよくその新人さんに対して対して、きめ細かい
対応がなされています。
その為この教室は、高齢者はもとより広い年齢層の集まりになっています。
そして、定着率も高いので、年々会員数を増やしています。
バラエティーに富んだ顔ぶれを限られた時間内でお世話をするのは、大変な
ことと思います。
先生のお人柄もあり、ビジターとなっている長年の友人がそれを支えていて、
ほんわかと温かい教室であることも定着する大きな要因と思います。

当日は、沢山の観客に恵まれて、入会希望者がいますように。

今日の、練習後の飲み会は、ことのほか楽しく酔いました。
本番は気を引き締めて、最高の吟詠を、興味を惹く吟詠を、致しましょう。
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宮崎ケアプラザ秋祭り

2024年10月19日 | 詩吟
    =横浜市西区社会福祉協議会共催第25回宮崎まつり=
ウグイス吟詠の指方先生とそのメンバー+ONEは、このお祭りに参加しました。
建物内の駐車場の車はどこかに運ばれて、広い空間に紅白の幕を廻らせて、
半分は舞台、半分はバザーの会場と変身していました。

音響は、CDプレイヤーではなく、スマホの音をBluetoothで飛ばしました。
自分たちのペースで、音楽のオンオフが出来るので、アドリブの司会をする
指方チームには、うってつけです。

客席の椅子は満杯で、後ろの方には、立ち見の人もいるくらいで前評判上々。
大きな声の出る詩吟は、アピール力があり、また、俳句の吟詠と新体詩の吟詠
には、思いがけなく目からうろこという感想を得ました。

この会場での吟詠発表は初めてのことで、ちゃんとした舞台ではないご披露に
戸惑うこともあったようですが、事なきを得て万々歳でした。

来年は、ウグイス吟詠のメンバーの参加も増やそうなどと、すでに来年に
気持ちが飛んでいます。

吟道学院の特色として、童謡などの歌と組み合わせた吟詠があります。
20曲余りの伴奏もあって、今日は、「唱歌ふるさと」と渡辺吟神作曲の
ふるさとの吟詠との組み合わせを詠いました。
司会の「ふるさと」のキーワードで客席はその伴奏の始まりから歌う気満々でした。
もっともっとと手を振るとそれに合わせて歌の声が大きくなり、客席との
一体感が増しました。
童謡唱歌の力を感じ、吟詠に移っても皆さんの聞いていたいという思いは、
薄れませんでした。

演者ではなくスタッフとして来ていた方からは、詩吟は、漢詩だけではなく
新体詩や俳句和歌まで詠うとは思いませんでした。そして、詩吟を見直し
ましたとの評には、元気づけられました。
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祝 リモート詩吟教室誕生

2024年10月17日 | 詩吟
来たる11月15日(金)東京芦孝会初のリモート教室誕生の予定。
これから、野田芦孝会長と中央会幹事会の承認を得て、正式発足の運びと
なります。
正式発表に先駆けてお知らせ致します。

数年前より、K先生の教室で、Zoomによるリモート教室が動き始めていました。
この度、正式承認を得たら一つの教室として独立することとなります。

いろんな可能性を秘める「リモート詩吟教室」の誕生を祝うとともに、 
どの様に成長していくのかを期待をもって応援していきたいと思います。
と言っても、私には具体的に何かが出来るわけではないのです。
できるのは、指導者のK先生にエールを送るのみ。

東京芦孝会はこの教室参加で25教室に増えます。
独自のシステムとして、入会登録をした教室のほかに、すべての教室に自由に
参加することが出来ます。
このシステムを最大限に生かして、吟詠精進の為に駈け廻ることが出来ます。
その会員のことをビジターと呼んでいますが、一たび教室に入れば何の制限も
無く登録メンバーと同じに学ぶことが出来る素晴らしいシステムです。

まず、入会登録をした教室の指導者から基本を教えられます。次第に慣れて、
芦孝会内の世間も広がって何かのことでご縁の出来た吟友、指導者の教室に
自然と足が向くことになるのは、今は当たり前のこととなっています。

その最大最良のシステムがあるからこそ、リモート教室が更に生かされるはずです。
もっともっと、さらにさらに学びたいこと望めば、望むだけ学ばせてくださる
指導者のいる教室に参加し、仲間との友愛を育む事ができるのを喜びあいたい。
すでに、動き始めていて何年にもなるのに実験中とおっしゃっているK先生。
「実験中」というなら、人生終わりが来るまで日々実験中です。
他の言葉で言うなら、「日々精進」。


10月27日発行=11月号KANGIN TOKYO NEWS教室情報=編集の役目がら
手にしたばかりで、まだ外に出ていない情報をいち早く掲載いたします。

             =記=
新開設リモート詩吟教室
11月15日(金) 13:00~16;00
Zoomによるリモート詩吟実験教室  新A1-2偶成 A4-154 山間秋夜
参加者の自宅から、PC等を通じて参加、受講することが可能です
原則 第3金曜日 同時刻

ご興味の節は、東京芦孝会東京http://rokokai.sakura.ne.jp/よりお問い合わせください。
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米田和(よねだ かず)陶芸展

2024年10月09日 | 徒然に日々のことを

黒地黒描花図壺

会期=2024年10月9日(水)⇒14日(月祝)
会場=日本橋高島屋S.C. 本館6階美術工芸サロン
時間:午前10時30~午後7時30分


         

「米田 和」 さんより案内はがきが届きました。
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田村仁美 9月 10月 カレンダー

2024年10月06日 | 詩吟
       ーよろこびを描く―
     
       黄金色に咲く 菊

大輪の菊 
菊 きく 起句  「嵐山に到らざること既に五年」

錦秋の25周年大会に発表したミニミニ構成吟は
季節外れの桜が主題でした。

私たち弱小メンバーでできるものを選ぶ時、「母」と「桜」は
主題としては強い味方でした。
筆が走りすぎるIさんの原稿を、バサリ バサリと切り落として、
時間内に納め、テーマから逸れないようにする作業は、
初めてのことでした。
心から楽しんだとも言えます。ありがとうございました。

そんな私を応援してくれたのは、パソコンの右上に
掲げているこの大輪の菊でした。
一つ一つの花弁が中心に向かって巻き上がっていく様子は、
29日に向けて歩く私たちの様です。
一人もかけることなくそれぞれが、それぞれの役割を果たして
大輪の花を咲かせました。
背景の金箔は、当日の金屏風に見えます。

重陽の節句に酒に浮かべる黄菊の時に、ここに載せるべきを
大会を終えて、やっと気持ちの落ち着いてきた遅ればせの
今日になってしまいました。

大輪の花を咲かせたと思っているのは、私だけかもしれません。
パワーを秘めた黄金の菊は、「胸に沁みてまいりますぞ」とは
当日の私のセリフ。
画からこんなにパワーを頂けるとは、初めてのことです。
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歌声ひろば

2024年10月02日 | 徒然に日々のことを
誘われて地域学習センターの歌声ひろばに参加。
童謡や昭和歌謡を貸し出される歌集を見ながら、ピアノの伴奏で次々に、
歌って約2時間。
似たような年代の99パーセントが女性の顔ぶれにぴったりの選曲でした。
そして、声楽の専門家と想像される美しい先生から、一曲終わるごとに、
「ありがとうございます」何かを付け加えてコメントされるたびに「ありがとうございます」がついてくる。
「上手」とか「いい声」ではなく「ありがとうございます」のことばに不思議
な気分になっていきました。

そして、ピアノの伴奏で歌うという贅沢も味わいました。

地声で詠うことを続けていて、いつしか、歌謡曲や唱歌などの柔らかい発声を
忘れてしまっていた私は、苦手意識に包まれていました。

ところが、今日は、比較的高い音程であるのに、裏声モドキも出せて、中音の
声の変換点も何のその乗り越えて詠っているのに、おどろきながら、どんどん
いい気分、いい声になっていきました。
 歌詞を見ながら、ほとんど間違えずに歌えた19曲!


この処、和歌、俳句、静かな漢詩を吟じる練習をし、柔らかくてしっかりと
支えられている音色を練習していた成果をそれとわからずに手にしていたのか
なあ?
不思議。不思議。
誘われると断れない友人が隣に居て、「楽しいねぇ」というと、嬉しそうな
笑顔が返ってきました。


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音響係

2024年10月01日 | 詩吟
25周年が終わって娘との電話のやりとり
   「卒業式の音響担当はね、一番報われない仕事って言われてるよ」と。
その先は阿吽の呼吸で、「お母さんもよく頑張ったね。」と、思いが伝わって
来ました。

感覚で受け取ったことを他者に伝えるのは、正確な言語能力を必要とする。と
フェイスブックか何かで読んだよね。
お互い感覚派の母娘は、正しい言語が操れなくてもほとんど過たず思いが伝わる。
私の話声しか聞こえてない夫、そうでなくても端折った物言いの私たちの会話
は、何を伝えあっているのかわからないはずです。ふふ、と、秘密の共有を
している気分になる。

そんな娘にご苦労さんと言ってもらうと、すべての懸念が流れ去って、
「すごーい」の声だけが残るのでした。

25周年当日の音響は、完璧な指示書と、的確な合図で進行しました。

音響機器にかこまれた穴倉に居ても、これまでの経験から舞台のあれこれを
想像しながら、合図のままにオン、オフを繰り返しました。

オン、オフだけの作業だから、新人さんにもできる仕事かというと、出来なく
はないが、この作業は相当に苦しいはずです。
見えない先を想像するにはあまりに経験の少ない人には、苦行でしかないから。
そういう意味で、未経験の方に助っ人を頼むことをしなかったのは、良い判断
でした。

目隠しされたも同然の今日のような作業がこれから先に無い事を祈る。

三人の音響チームがそれぞれの事情で、事前とは違う作業内容になっても、
互いの信頼と事前調査の徹底でできあがった指示書のおかげでやりおおせた
ことを我がチームは、大したもんだと自画自賛。

正直に言うと、ミスは二か所。
その1 式典の4曲目、ミスによる遅滞が起こりました。
    どれだけお腹立ちかと首をすくめていたら、「スタート時のがちがち
    の緊張がほぐれた」とのことでした! 怪我の功名と言う事に。

その2 CD№選択ミスによるもの。気が付いたらすぐに停止のお願いをして
    しっかりお詫びをした上で新たにやり直し。
    リスタートは驚かせたせいでしょう不調でした。
    すかさず「三度目の正直で」と言葉を入れたのはナレーションの方。
    おかげでその後は、スムーズに進行しました。

圧巻は何と言っても「麗しき詩吟女子」と会長とによる書道吟「山中の月」
会長が先ず題と作者をしずしずと書き始めます。
書き終わったら、会長の「エイッ!」の掛け声。
すかさず伴奏スイッチオン!という段取りです。
手に汗を握る場面。この場面は、合図係が出演しているので、芦孝先生の声だけが頼り。
座った位置で体をほぼ水平に傾け、さらに首を長くしてながめると会長の姿が
やっと見える。これで十分。
サラサラと書き下ろして行くその筆の位置を見ながらあともう少しと思われる
ところで体を戻し、こんどは、全神経を耳と指先に集中。
そして「エイッ!」の声。野田会長のご指示の通りのタイミングで伴奏の
スタートが出来たと思う。。。さて、どうだった?
終わって見ると、ここは、合図係がいたら却って一瞬の遅滞が生じたと思う。
目より耳が物をいう場面だった。

完璧な指示書であったが、現場は生き物でした。予想と現実の齟齬に対する
対処と今後の為の修正動作などを書き込んで、次へのデータとする。
これが出来るのも、その指示書が的確であったからできることでした。

信頼する誰かのために、愛する仲間のために、心から楽しんだ穴倉でした。
音量は、人が入るとかなりその体に吸収されるようで、音量の足りない場面も
有ったようです。
善意の伝達に頼らず、決まったスタッフによる音量の良しあしを告げる係は
必須でした。
30周年に向けて、良いデータともなりました。

どなたにもそんな経験はさせたくはないけれど、いろんな積み重ねで困難な
ことも楽しみに変えられる。
さて、私の知らない見えなかったところで、どんな葛藤があり、どんな知恵を
発揮して乗り越えたのでしょうね。
芦孝会チームは、ほとんど苦労話をしないメンツぞろいなので、聞こえて
こないだろうなぁ。
愚痴も修正動作も共有しましょうね。
将来の参考のためにも、愚痴はこぼした方が良いよ。

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