風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

幸福の福ちゃん

2024年12月27日 | 詩吟
訳あって預かっていた猫の福ちゃん。
とうとう、帰っていきました。
キャリーバッグにすんなりと入って、車の助手席にしっかりと固定されて、
いざ、出発。
窓から、元気でねと語りかけると、じっと目を見つめて、やがて瞬きをしてくれました。
静かで強力な驚き。
何か月もの間、徐々に距離を狭めてきましたが、福ちゃんからのアイコンタクトは
初めてでした。
そして、瞬きの後もしばらく目を見つめていました。
そそくさと目をそらすのは福ちゃんだったのに。
余りに驚いて、そそくさと目をそらしてしまう私。
あぁ、もったいないことをした。
もっと見つめあったらよかった。もう一度、まばたきをしてくれたかもしれない。

前日から、お迎えが来ることがわかっていたのか、夜中に走り回ったり、特別
元気にして居ました。
お迎えが到着すると、待ってたよと、すりすりをしていましたから、さっさと
帰っていくものと思っていました。

夫がほとんどの世話をしていたので、接近しすぎない関係を保ちいずれは
帰っていく人と、距離をとっていました。
このお別れの彼からのまばたきは衝撃的でした。

お別れをした彼氏から、ほんとうはお前が(も?)好きだったと言われたのですから。
これは、当事者の誰にも言えないねぇ。
夫は、心を込めてすべての世話をして居ましたから、ことのほか寂しいことでしょう。
福ちゃんと私とのまばたきコンタクトは二人のナイショばなしにましょう。

 9月の福ちゃん12月の福ちゃん
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力吟・強吟そして和歌の吟詠

2024年12月25日 | 詩吟
この処、発声について山田先生の助言を得たり、自分なりにカラオケで発声を
して見たりで、自己開発中でした。

なんとなく、いい感じになってきたと思えたのが、セリフが言えていると感じ
それとともに、漢詩の詠みに、抑揚が付いてきたように思うようになりました。
漢詩は強吟でしかあり得ないと思っていたころからは、かなりソフトになって
発声にも無理が無くなった来ました。
結句の大山と最後の三の高さの伸びが豊かになってきました。
それにより律詩体力もついてきて、これは体力ではなく、発声に無理が無く
なってきたことによるゆとりなんだなぁと、初めて知ることでした。
そして極めつけは、昨日のカラオケでの歌謡曲の歌唱が、おもいがけず満足
出来るものでした。

このくらいに柔らかく発声が出来たら、とても心地よく、嬉しい思いでマイク
を置くことができるのだと、勝手に思うことでした。

この一年、公私ともにいろんなことが重なって心が波立つことばかりでした。
そんな中で、山田先生に心身のメンテナンスをして頂きながら、体の中の
こだわりとこわばりのない空洞を自然と作り上げられるようになっていました。

苦しい時は体をこわばらせますが、整体の施術をして頂きながら、こわばりを
解いていると、声まで豊かになるものなんですねぇ。

体のこわばりが解けると、心のこわばりも解けるものの様です。
あんなにこだわって忌避していたことが不思議なくらい平気になりました。
そのこだわりはいろんな場面に出てきて、いたずらをしてくれました。
それがなくなったら、不思議なくらい声が豊かになるものなんですねぇ。

体は楽器、豊かに楽器を鳴らすには、強いこわばりを取り去る事。

そうすると、心のままに吟じることが出来て、今までにない評価と快感を
得ることが出来るわけです。

まだ、入り口が見えただけなので、油断大敵です。
明確な目標ができて、新しい信念が始まりそうです。
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五似ん会+1

2024年12月07日 | 詩吟
今年の五似ん会(12月4日)は、恩師の参加も得て食事会となりました。
五人の中で、2人が酒豪ですから、恩師も大いに盛り上がってと思っていたら、
最近はどのような会合にもノンアルコールにしているとの事でした。
そして、自分のペースで飲みたいとおっしゃる。前の席に座った私は、ホッとする。

おいしい和食を頂きながら、思い出話に花が咲き、途切れることがありません。
それぞれの強烈な思い出が、必ずしも同じではないことに、おどろきながらも
納得することもあり、あんなに足並みのそろった部活をしていても、それぞれ
に思いが深まり、伝えたくなる話題はそれぞれなのだなと思う。

そして、5人の中で、いちばんののんびり屋で「天然」の誉れの高い私が
今でも詩吟を続けているのは、驚きなのです。
こんなことも起こるのが、私たちの良いところ。

五人が五人とも似たところがなく、それぞれがそれぞれに行動しながら、結束
乱れることなく、1年間の幹部の責任を全うしたことを、集う度に誇らしく思う。そしてそれが、会の名前の由来となる位なのです。似んの「ん」は「不」
であって、似るを否定しています。
そんな私たちを恩師の大学の後輩吟詩部員と同じく分け隔てなく育てて下
さって本当にありがとうございました。

恩師の伝えたかったことは、言葉としてではなく、胸に収まっていました。

次の機会にもお元気でお目にかかりたく思います。

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よんどころないこと

2024年12月04日 | 詩吟
12月7日(土)の夢松風土曜日教室は、都合でお休みいたします。
12月3日(火)須藤明実論語素読講座は予定通り出席し、いつもの通り一吟致します。
先月風邪の為お休みしたので、どうしても出席するつもりです。
今日の吟詠は、お休みした回に予定していた漢詩と思っていましたが予定通り
12月の課題詩のプリントが配られていて、少々慌てました。
ここは、席が決まっています。隣の方となかなか打ち解けられなくて、気に
なっていました。
今日は「先月はお休みでしたね。」とあちらから声かけをして下さいました。
たまには、お休みするのも悪くはないなぁ。
筆記具を忘れたというので、大丈夫ですとことわられるかもと思いながら
どうぞと渡すと素直に受け取ってくれました。
これで、いつものこの席の空気が和らぎました。来月からも続きますように。

そして、きょうは、次の予定も入っていますから、須藤先生了承の上、吟詠も
そこそこに、『良いお年を』と投げかけお返事も耳にせず駅に走ります。
今朝、走るはめになることを予想してロキソニンを服用していましたから、
足は、それなりに動いてくれました。
次の行く先は、ほとんどその日の予定が終わる頃に到着です。

それはよんどころないことが起こる前から織り込み済みでした。
ランチをしないで駆けつけてとはすなわち、私の吟詠を聴きたいと言う事よね。
あり難くその提案をお受けして、参加する。勿論その後のお楽しみにも
喜んでということになっていました。
走って予定より1本早い電車に乗れましたが、私の予想よりも終わりに近かっ
たので、結局、参加者の一言一吟は私を入れて三人しか残っていませんでした。
お約束の一吟ですから、私の一番私らしい吟詠の出来る吟題をリストから
選びました。
そう、今日この教室は、リクエストの吟題表と伴奏の記してある表が配られて
います。
そのなかでは、これしかないと思う「常盤雪行」を思いっきり吟詠しました。
背筋の支えと、喉を開けることを特に意識した吟詠ができるようになって、
気持ちも体への力加減もかなり楽になりましたので、吟じ終わりがとても
いい気分です。
なかなか取れないこだわりをここでは捨てることが出来ました。
自分を外に置いて、どうかすると斜に構えたくなるのを忘れて、思いっきり
吟じる。習い始めたころの懸命さを思い出し、声の出し方は、この処改良を
重ねた楽器としての体の使い方ができました。
そう、一言のときに、学生時代の先生の話が出ましたから、自然と気持ちが
あの頃に帰ったのかもしれません。
お蔭様、ありがとうございました。

この後の忘年会は、お誘い頂いていた時から楽しみにしていたのですが、
よんどころないことで、欠席をすることとなりました。
夫は言いました、「そんな短時間になるなら、はじめから欠席したらよいのに。
不快に思う人もいるよ」と。
私のこだわりは、「それでも出席する」「吟詠をしたい」と申しましたら、「諾」と。

詩吟を続ける上で、家族の納得は大事です。『詩吟』と言ったら今までも
これからも100%「諾」であってくれる家族に、感謝。

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