風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

古流のお花

2024年06月18日 | 
娘の習っているお花は、古流。
古流の中でも特にシンプルに活けるその師匠は、母親である私の大切な友人
という関係でした。
それを厭うことなくお教室を始めると聞いてすぐに習いに行く事を決めたのは
娘自身でした。

娘が通い始めてから、お稽古の邪魔をしてはいけないと様子を見に行くことも
なく、年々の展覧会に足を運ぶだけにしていました。
習ったお花を家で活けているときも、見守るのは鼓太郎でした。

その師匠があっけなく逝ってしまって、私も一緒に習えばよかったと一時は
悔やみました。
娘の性格を思うと、母は出しゃばらない方が良かったと思いその気持ちを打ち
消しました。

私が邪魔しなかったので、まるで実の娘のように可愛がってもらいました。
それで師匠も満足するほど技を上げて行ったようです。

たった一度、用件があってお宅に伺わねばならない事がありました。
たまたま約束した日がお稽古の日であったので、ちょうど仕上げの時の様子を
拝見させていただきました。
優しくほんわかとした雰囲気に、こんなお稽古をしてもらった娘は幸せだと
思ったことでした。

=その日の日記=
「ほかのお弟子さんがいなくて、娘が床の間の花器に活け終えたばかりで
花から手を放し、距離を置いて、眺めようとしたところだった。
そこには、豊かな自然がそのままに切り取られていました。
娘の技術の完成度と先生の指導力に感嘆!
この形に持っていくのに,どれだけの時間がかかったことか。
指導した人の腕とそれを受け継いだ娘と。師弟関係っていいねぇ。

先生は、そんな私の感想をこよなく喜んでくれました。
「多くの人は、あまりに自然に活けられると、それがどれだけ大変で、
技術が要るかはわかってくれないのよねぇ。」と。      2015/7/23

自然のままに活けると言う事で、繋がっていた師匠と娘のあの頃を読み返して
仕事に忙しすぎる娘の事をちょっぴり心配してみる。
「自然にあるがまま」は、娘の小学校の先生からの教えもあります。
その先生とお花の師匠と娘の父方の祖母と、見事に繋がっています。
その祖母もつい最近亡くなりました。
娘の中に醸されていくものを想像してこのまままっすぐに進めと願います。
青年から壮年へと年を重ねる娘に思うことは、いつまでも健やかにと願うだけ。
何度も読み返しました。「師匠ありがとう」


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