風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

日本語教師の集い

2007年03月25日 | UBから
日本語教師として派遣されている人は、UBに複数いらっしゃって、その、お仲間は、いろいろな会議や行事などで、集まる機会が多いようです。

お料理上手な、Sさんのお宅で、4月に帰国する人の送別会に私も混ぜたいただきました。
ボランティアで日本語を教えているということで、日本語教師の末席に加えていただいて送別の主賓として4人の若者と一緒に並びました。

いつも、会っているお仲間同士ということも会って、和気藹々とした楽しい集まりでした。
心のこもったお料理に、箸が進みました。

1年半続いたボランティアが気が付いたら、日本語教師の皆さんにとても好意的に迎えられ、後任が見つかると良いですねといっていただいて、ほんとにうれしかったです。
束縛されず、自由に出来たことが、続けられた大きな要因のひとつですが、最後に来てこんなに多くの方に認めてもらえたことが、不思議でもあり、充実感満足感たっぷりのこのごろです。
いろいろな形で、助けていただいた皆さんに、感謝をいたします。
ありがとうございました。


コメント

日本人会

2007年03月23日 | UBから
最初で最後の日本人会に出席しました。

ウランバートルには、日本人が200とも300人とも言われる人数が何かの形で滞在しているそうです。
今日は、80人を超える人の出席がありました。

まもなく帰国する日本人(私たちグループ)の表敬訪問が、直前にあったため、その流れで、誘われるままに二人で、同期の方たちと一緒に会場へ向かいました。

日ごろ狭い範囲で行動している私には、こんなにたくさんの未知の日本人がいることを知りました。
12月には、ビンゴがあってかなりの商品が出るらしいのですが、今回は、食事と送られる人の言葉と、遅れてこられた大使のスピーチでした。

仲間内で同じテーブルを囲むこともあって、取り立てて新しい発見はありませんでした。
ちょっと、残念。




コメント

歌の翻訳

2007年03月23日 | UBから

オルティンドーの歌詞の翻訳をトゥールさんにしてもらっています。
ビャンバジャルガルの新しいCDの歌詞をわかっていたいという思いから、お願いしているのです。

歌の翻訳は、トゥールさん一人では難しく、私の家に来て私と意見を交わしながらでないと難しくて、直訳するのがやっとです。
大変な割には、これという末ェ出来ない(当たり前ですが、、、)ので、ちょっと無謀な試みだったと、後悔しながらも、やっと7曲が出来ました。
それを、どうこうするわけではありませんが、日本でCDを聞きながら、ちんぷんかんぷんでは、つまらないので、出来るだけ、末アけようと思います。

モンゴルの詩は、素敵なものが多く、ちゃんとした日本語に直したら、もっと日本人にも聞いてもらえるのにと思います。

今日は、いろいろと予定が重なったので、オルティンドーの練習は返上して、トゥールさんと二人で、末?ニにいそしみました。

下に書くのは、馬頭琴の走者であり、モンゴル語の歌と言葉に関心を持つ横田さんの著した本より

草原歌集 はじめてのモンゴル民謡  横田 和子 著ー より

      四季の草原    詩 D.プレブドルジ
               曲 L.ムルドルジ
               訳詩 横田 和子

恋人の美しいまなざしのように
ヤルゴイの花が芽吹き微笑む
絹のような緑が 産声をあげる
生まれ出る春の草原

響き渡るオルティンドーの調べのように
思いはゆったりとあかるくなる
はるかかなたまで澄み渡った
夏の草原に霧がかかる

きらめく大陽の光が
あまねくこの世界を照らす。
頭に豊かな実りを波打たせ
黄金色に色づく秋の草原

白く清らかな心のような
見渡す限りの白い雪原
懐の熱も白く凍てつく
真っ白に染まる冬の草原


コメント (2)

表彰状

2007年03月19日 | UBから
          通産省よりの感謝状 


通産省からいただけるとは、思いもかけないことです。
夫の専門分野の功績が認められたということです。
久しぶりの上機嫌な表情に、私も、ほんとにうれしい。




コメント (4)

駱駝ャ香@表彰式

2007年03月19日 | UBから






出勤途中の夫から、電話で「スフバートル広場に駱駝が50頭くらいあつまってるよ!」
急いで、カメラを持って飛んでいきました。

わけもわからず、カメラを向けてシャッターを押す。
なんとなく、駱駝ャ高フ表彰式ということがおぼろげにわかってきて、いろんなチームが旗を持ちラケット(?)を持ち、威風堂々の感じで行進を始めました


胸に「中国」と書いたチームは、内モンゴルからだろうと想像されます。
報道関係のカメラも多く、顔見知りの貴社の方もインタビューをしていました。
最近見られるようになったカメラ付き携帯のシャッターを押す人、知り合いに電話をする人など、(テメーというモンゴル語が聞き取れたので、そのことを知らせておいでよと呼んでいると勝手に想像)にぎやかに見物をしていました。

夫婦連れ、親子連れ、ご夫人同士で、デールを着ての見物客もいました。

駱駝をャ高フ競技ができるように調教するのは、至難の業ではないかと思うのですが、見事に制御され、長い式典の間も、きれいに整列して静かに待っているのは、驚きでした。
百戦錬磨というのが、わかるのは、帽子の後ろに付いたたれに、たくさんの縞模様というか、縫いつけがあるのは、その倉庫です。
最初に帽子を作ったときは、赤いたれは無地のままです。

モンゴル通信によると、昨日、おとついとャ豪」技が行われ、20チーム100頭の駱駝が出場したそうです。

世界でも珍しいふたこぶ駱駝は年々減少していて、1954年には89万頭が、今年の初めには、25万4000頭になったそうです。

日陰の石畳の上の1時間あまりは、体力の限界でした。
デジカメも、寒さで、電池切れのサインが点灯して、手で暖めたりャPットに入れたり下のですが、同時に限界を迎え、式典を最後まで見届けることはできませんでした。


コメント

料理教室?

2007年03月18日 | UBから
日本語をしゃべっているから日本語を教え、主婦で料理を作っているから、日本料理のお惣菜の先生もどきまで始まったUB生活は、架橋に差し鰍ゥっているのかと思うほど、いろんなことが、予想通りに運び、それぞれを心から楽しませてもらっています。


今日で、4回目の料理教室は、その日の朝になって献立が決まりました。
ひじきの煮つけ(ひじきの
スパゲティーカルボナーラ
コーンャ^ージュ
サラダ(おまけ)

冷蔵庫の中に無いものと調べて、メルクールに材料を買いに。
当初は、買い物からという予定でしたが、少しでもたくさん習ってほしい、習いたいという思いがあって、当日は、材料がそろった状態ではじめていました。

のんびり、何にするぅ?から始まり、珍客も会って、始まるのが遅れに遅れました。
楽しく買い物を、済ませ、ウーン、教えるからには、レシピをPCのメモから引っ張り出して、それに、二人でアレンジを加えて、始まりました。

スーテイ茶は、ホワイトソースと同じ作り始めて言うことをはじめて知りました。
そういえば、だまがありとろみの有る茶を頂いたこともあったなぁ。
小麦を使わない、さらりとしたスーテイ茶が多かったので、茶葉とお湯と牛乳で作っているのかと思いました。

それで、俄然、ホワイトソースとャ^ージュが、生徒さんの身近なものになりました。
はおあー、なんだかとってもうれしい。
私の最初のスタートが悪く、だまになったソースのおかげで復活方法を教えてあげることもできました。(笑)

クリームタイプのコーンの缶が無いので、ホール缶を少し包丁でたたきましたが、もともと私は、ホールの入った方が好きなので、クリームタイプではないャ^ージュの出来上がり。

そして、生クリームが、UBでは、普通には手に入りません。
れるとランや、ケーキ屋さんで使っているのですから、別のルートで輸入品を使っているのだと思います。
乳製品のあふれるモンゴルで、生クリームがお店に無いのは不思議ですが、保存管理が難しいからでしょう。
そのため、ボロネーズは希望がありながら、敬遠していたのですが、思いを定めて、モンゴルに日常に手に入る「ズーヒー」を使ってみることにしました。

生クリームとサワークリームの中間くらいのズーヒーはほんのちょっとすっぱ味があります。
クリームの材料を、混ぜてみて、味利きをして、「おいしい」と思えました。
二人で、にっこり笑って、ゴーサインが出ました。

モンゴルの人に親しみの有る材料を使ってできたことが、二人にとって、そして、珍客さんにとっても、うれしい出来上がりのスパゲティでした。(^^♪




コメント

蒼き狼

2007年03月11日 | UBから
日モ同時上映中の「蒼き狼」を見てきました。

一番驚いたのは、800年前生活が今ここに続けられていることです。
自然がそのままに残り、ゲルの生活があり、馬を飼い、羊を飼う。
山や大地がそこにあり、自然の恵みをそのままに受ける生活、何も加えない、何も引き去らない、そんな生活が続いています。

日本では、戦後の昭和の様子をテレビドラマのセットで再現したとニュースになるというのに、800年前の生活がここにあるのは驚きです。

ほんの狭いウランバートルと数箇所の都市では、近代生活が行われているけれど、その生活を支えているのは、この、自然と向き合っている牧民さんたちなのだと思うと、モンゴルの国って、ますますわからなくなってくる。

ウランバートルの中心から、わずか100キロのところには、牧民がいて電気も無い生活をして、都市では、電気、水道、暖房、インターネットの生活をしているのです。
長く長く続いてきた牧民のDNAが、都市生活をする人たちにも受け継がれているとしたら、それが、影響を与え、どのような変質が行われているのやら。

そして、物語は、チンギス ハーンというより女性の側から描かれ、感動する場面もありました。まさに、日本映画。

戦闘シーンは、軍隊の協力を得たとのことで、迫力満点でした。
反町さんの乗馬姿は、堂に入っていて、日本でもかなり訓練を積んだように見受けられました。
乗馬のスタイルも、モンゴル風の人も、ブリティッシュスタイルと思える人もいましたが、危なっかしく見える人はいなくて、すごいなぁと思いました。

映画つくりというのは、本当に人を楽しませるためにあるとつくづく思いました。

ただ、どこかのブログに30億の巨費を投じて作ったと書いてありました。
モンゴルの物価や人件費の安さを思うと、どこにそのお金が使われたが、とても気になるところです。
映画つくりのことを知らないので、見えない部分に、必要なのだろうなぁ。。。

戦争による女子供の悲劇は、チンギスの戦争時代だけでなく、違った形で、今のモンゴルにもあるような気がします。
すべてのモンゴル人が、蒼き狼の目指した平和で豊かな、時を迎えられます様に。
この映画は「今のモンゴル人への、エールのようだ」とは、偶然ご一緒した知人の言葉です。



コメント

モンゴル切手

2007年03月09日 | UBから
       20世紀のモンゴル歴史ベストテン




コメント

おせんべい

2007年03月08日 | UBから


モンゴルに無いお菓子は、羊羹とせんべい。
先月、日本から送ってもらった荷物に、ちゃんと入っていました。

ところが、塩味の揚げせんべいに代わるものを見つけました。

昨日、韓国食材屋で、韓国のお餅を買いました。
野菜スープに入れて、団子汁のようにして食べると聞いて、初めて挑戦です。
今まで、パック入りで売っているのを見知っていましたが、言葉のわかる人がいるのを幸いに、教えてもらえました。
韓国の餅だけれど、UBでモンゴル人が作っているのだそうです。

日本のものよりモチモチ感が無いのでお餅といえばそうねぇ。。。という感じでした。
それで、油で揚げてみました。

大正解、適度な塩味が上品な揚げおかきという感じでした。
さくさくかりっと仕上がったものは、まさに、日本の塩味おかきでした。

一日経っても、カリカリしているのと堅く、しわくなっているものとあって、あげ方を工夫すれば、おせんべいは送ってもらわなくても大丈夫です。

昨年は、塩味のおせんべいを、ニュートーキョー(だいそーの製品を売っているところ)で見つけましたが、日本で100円のものが、2,500トグルク(約250円)なので、躊躇しました。

そんなわけで、おせんべいここにあり、と喜んだしだい。



コメント

サローラさん

2007年03月07日 | UBから
        TIS日本語科3年生のサローラさん

SAVE THE CHILDREN UK の通訳として、2月15日からお手伝いが始まりました。
とても、のんびりしていますが、感性豊かなお嬢さんです。

急遽決まったことと、お手伝いの後、1時20分から講義があるので、ボランティアのあとあわただしく大学へ送り届けていましたから、ゆっくり話をする暇がありませんでした。

それで、水曜日は、午前中だけで講義が終わるというので、一緒にお昼を食べたりしながら、会うことになりました。

明日は、婦人の日なので、チョコレートの手土産を持ってきてくれて、恐縮しました。
向き合ってただ話をするのは、決まりきったことしか話題に出ないので、作業をしながらのおしゃべりです。

炊き上がった、ご飯をおにぎりにし、クッキーを焼きながら、たわいもないおしゃべりです。
その間に、お母さんから電話があって、どこで何をしているのと訪ねられているようでした。

家では、自分の宿題と6才の妹の勉強を見てあげるので忙しいそうです。
料理は苦手なので、自分の作った料理を食べてくれるのは妹だけで、ご両親は食べてくれないとか。。。

「春が来た」を来週教えることになっているので、その、訳をお願いしました。
なぜ、その言葉を使うかについて、的確に説明してくれて、理論的なお嬢さんと思いました。
自分は、おじいさんの影響で日本語を学びたいと思ったそうですが、会話より末フ方が得意だそうです。
小学校は、ロシア学校に行ったので、ロシア語が得意で辞書は和露辞典を持っていました。

じっくり考えて、答えるので、間が空くのですが、その答えがいたずらっ子のような彼女らしくどんな答えが返ってくるのか、楽しみに待てるのでした。

残り3回のボランティアのうち、1回は隔週の授業が入るため、2回だけお手伝いをしてもらうことになっています。
今日の説明で、彼女の仕事が何なのか、わかってのではないでしょうか。
一緒になって、子供たちと遊ぶのも大事な仕事とわかってくれたと思いますが、果たして、そんな大層に時間をとって教えることもなかったかと、反省。
二人で楽しい時間を過ごし、作ったクッキーと折り紙の折り方と、折り紙を妹のために持ち帰りました。
お母さんも、これらの証拠品(^^♪を持ち帰って、わけのわからない外国人の家に行って何をしているのか少しは安心したことでしょう。(たぶん)
それよりも、来週の技術日本語の時間にゲストスピーカーとして夫が授業をすることを聞いたほうが、安心したことでしょう。
はぁ~、やっぱり私は、他力本願だ。

③ 男の子のようだと自認するサローラさん帰り際に
② いたずらっ子発揮、クッキー種の搾り出しに一生懸命
① 2月22日のSAVE THE CHILDREN UKの「取ってください」自らりんご役を。




コメント