9月のイタリア旅行記続きです。
イタリア国鉄のトッレ・デル・グレコ駅で、ナポリ行の電車を逃してしまいました。
次の列車は、30分以上後。
3人で「あらら~」とがっかり。
何しろ日差しがとても強く暑いし、エアコンがあって涼めるようなところは近くにありません。
で、ダンナサマが「反対方面の列車でサレルノに行こうか」と。
Fujika:「え、昨日サレルノで打ち合わせだったんでしょ?」
ダンナサマ:「仕事だからどこも見てないし」
イトウさん:「なんも見てないっす」
という訳でサレルノへ。
サレルノについては全然予習していなかったので、列車の中で『地球の歩き方』をひもときました。
(私鉄チルクム・ベスビアーナはエアコンなし・車体外部は落書きされ放題のレトロ車両ですが、国鉄はエアコンありで、車内・外装もとっても綺麗)
でも、ほんの3ページくらいしかなくて、全然イメージが湧きません。
まいっか。
駅の比較的近くに大聖堂があります。
ひとまずここに寄ってみることにしました。
これが!
かなりの見ごたえ!
知識がない我々でも、「うわぁぁぁ、何これ、すっごーーーーい」となるような綺麗なものが沢山ありました。
これまでは、教会とか建築って、観光名所だから仕方なく行く、という感じでした。
でも、ここを見て、自分の好みのパーツについてだけでも、単純に「綺麗☆」とか「すごい!」を楽しめばいいんだなあ、と思うようになりました。
知識がなくても、まずは感動すればよくて、感動すると、もうちょっと知りたくなるから、ちょっとずつ勉強していけばいいですよね。
写真がえらく多いですが、適当に見て頂ければ。
■概要・外観
大聖堂(Cathedral \ Duomo)ということなので、司教座聖堂のようです。
この大聖堂は11世紀に、ロマネスク様式で建てられたもので、地震や地盤沈下などにより、数度にわたって改築されています。
1084年6月、教皇グレゴリウス7世によって奉献されました。(建立年にあたるのかな)
■鐘楼
実物は大きすぎて目に入らず、まったく見逃してしまったのだけれど、ここの鐘楼は、アラブ・ノルマン様式で、価値が高いものなのだそうです。
なのでウィキペディアから写真をお借りしました。
■後陣(アプス)
教会堂のつきあたり部分。
とても大きなくぼみが3つあり、そこの内部がモザイク等で装飾されています。
現在綺麗に見られるものは、1954年に修復されたもの。
954年の聖マタイの聖遺物奉納(?)後、千年を記念しての修復のようです。
■地下聖堂(クリプト crypt)
『地球の歩き方』に地下聖堂が載っていました。
写真もあるものの、白黒でほとんど何も分かりませんが、一応行ってみることにしました。
確か2ユーロのご喜捨が必要でした。
これが!
すっごいの!
「ま、行ってみっか」くらいのつもりだった地下聖堂で、3人とも圧倒されてしまいました。
どこを見ても何か仕事がしてあって、ひたすらウロウロ。
装飾過剰な空間に酔っぱらったようになって、ふらふらと地上に出てきたところ、更に一か所、見ごたえスポットが!
■講壇(アンボ ambo)
それがこちら。講壇。
教会堂の中央通路(身廊)の、前よりにあったと思います。
右側の大きい方は、12世紀後半の大司教Niccolò D'Aielloによって寄進されたので、Aiello の講壇(Ambone D'Aiello)と呼ばれています。
反対側やその近くの壁にも同様の装飾があり、こちらは明確な寄進者は不明のようですが、Aiello の講壇と同じ装飾様式なのでやはり同時代と推定されています。
(とてもこざっぱり綺麗なので近年に修復されているのかも)
地下聖堂とはまた違う、イスラム幾何学模様でびっしり装飾してあって、どれだけでも眺めていられます。
ほんと、いいものを見せて頂きました。
3人とも大満足でした。
このあと(街のお店をみたりは全然なしで)、ランチ。
そしてこんなに歩いたのにまさかのポンペイ遺跡へ(!)。きゅう。
■参考情報
トリップアドバイザー サレルノ大聖堂 みんなの投稿した写真が1000枚以上あります
Wikipedia サレルノ大聖堂
モザイクは大変だから、イスラム文様の塗り絵でもするかなあ・・・。
『イスラム文様とモザイクのぬり絵ブック』
シチリアにも、アラブ・ノルマン様式の教会があるようです。
例えばパレルモのモンレーアレ大聖堂など。
いつか見てみたいなあ。TVでもいいから、やらないかなあ。
アフガニスタンのイスラム美術に関する本
『ガーゼルガーの黒い真珠 イスラーム美術の文様 アラベスクの源流を求めて』
訳者の西垣敬子さんはもともとはアフガニスタン刺繍に惹かれていた縁で難民支援に参加し、そこで出会った細密画に魅せられて、何のつてもないなかで、現地の美術研究者に直接電話して知り合って訳すことになったそうです。
原稿をもらって訳す、という単純なものではなく、戦争(アメリカによる報復攻撃)で荒れ果てた国を見るにみかねて、私財をつぎ込んで研究支援・女性の教育支援などをずっとしてきたとか。言葉もありません。