採集生活

お菓子作り、ジャム作り、料理などについての記録

ナポリ2018:サレルノの大聖堂

2018-12-07 | +海外

9月のイタリア旅行記続きです。

イタリア国鉄のトッレ・デル・グレコ駅で、ナポリ行の電車を逃してしまいました。
次の列車は、30分以上後。
3人で「あらら~」とがっかり。
何しろ日差しがとても強く暑いし、エアコンがあって涼めるようなところは近くにありません。
で、ダンナサマが「反対方面の列車でサレルノに行こうか」と。
Fujika:「え、昨日サレルノで打ち合わせだったんでしょ?」
ダンナサマ:「仕事だからどこも見てないし」
イトウさん:「なんも見てないっす」

という訳でサレルノへ。
サレルノについては全然予習していなかったので、列車の中で『地球の歩き方』をひもときました。
(私鉄チルクム・ベスビアーナはエアコンなし・車体外部は落書きされ放題のレトロ車両ですが、国鉄はエアコンありで、車内・外装もとっても綺麗)
でも、ほんの3ページくらいしかなくて、全然イメージが湧きません。
まいっか。

駅の比較的近くに大聖堂があります。
ひとまずここに寄ってみることにしました。

これが!
かなりの見ごたえ!
知識がない我々でも、「うわぁぁぁ、何これ、すっごーーーーい」となるような綺麗なものが沢山ありました。
これまでは、教会とか建築って、観光名所だから仕方なく行く、という感じでした。
でも、ここを見て、自分の好みのパーツについてだけでも、単純に「綺麗☆」とか「すごい!」を楽しめばいいんだなあ、と思うようになりました。
知識がなくても、まずは感動すればよくて、感動すると、もうちょっと知りたくなるから、ちょっとずつ勉強していけばいいですよね。

写真がえらく多いですが、適当に見て頂ければ。

■概要・外観 

大聖堂(Cathedral \ Duomo)ということなので、司教座聖堂のようです。
この大聖堂は11世紀に、ロマネスク様式で建てられたもので、地震や地盤沈下などにより、数度にわたって改築されています。
1084年6月、教皇グレゴリウス7世によって奉献されました。(建立年にあたるのかな)

サレルノ大聖堂

平面図は、こんな感じの長方形。
平面形が十字架形のように、左右にでっぱり(翼廊)がついている教会もありますが、この大聖堂はそれはなし。
縦長長方形下部の四角形部分が中庭で、その奥が聖堂(屋根があるところ)。黒いぽつぽつが柱。
一番奥に、3つのくぼみがありますが、これは後陣というのかな、ここにモザイク装飾があります。

 

サレルノ大聖堂

大聖堂というと、ひろびろした広場の向こう側にそびえたつ、というイメージですが、ここの教会は狭苦しいような街中に突然あらわれます。
この大きな壁が、外壁。この向こう側が中庭になります。

 

サレルノ大聖堂

中庭越しに建物をみたところ。
特に豪勢ってほどでもないですよね。

右の柱の右上方向にちらっと見えているのが、鐘楼。全然目に入ってきませんでしたが、歴史的価値があるものだそう。

 

サレルノ大聖堂

教会に向かって右側の回廊。上にちらっと鐘楼が。

 

サレルノ大聖堂

教会に向かって左側の回廊。
複数の種類の石を使って、多色づかいにしています。
(こういう、屋根付き廊下のことをロッジアというそう)
 


■鐘楼
実物は大きすぎて目に入らず、まったく見逃してしまったのだけれど、ここの鐘楼は、アラブ・ノルマン様式で、価値が高いものなのだそうです。
なのでウィキペディアから写真をお借りしました。

サレルノ大聖堂

一辺10メートル、高さ52メートルの塔。
イスラム寺院にも必ず塔はつきもので、イスラム美術の本を読むと細かく解説してあります。

アラブ・ノルマン様式:
シチリアやイタリア南部は10世紀頃(?)、アラブ人に支配されていました。そのあと一旦キリスト教勢力(ビザンチン)が再征服、その後ノルマン人がその地域を支配(ノルマン・コンクエスト)。
アラブの様式と西洋の要素が融合した美術・建築様式をアラブ・ノルマン様式(Norman-Arab-Byzantine culture)というようです。
イスラム的な幾何学模様をあちこちに使った豪華絢爛な美術様式で、好みのタイプ。
なので、これから勉強したいと思いますが、いまのところこれくらいで・・・。
 


■後陣(アプス)

教会堂のつきあたり部分。
とても大きなくぼみが3つあり、そこの内部がモザイク等で装飾されています。
現在綺麗に見られるものは、1954年に修復されたもの。
954年の聖マタイの聖遺物奉納(?)後、千年を記念しての修復のようです。 

サレルノ大聖堂

こちらが中央。聖母マリアと光背。

 

サレルノ大聖堂

このあたりの断片は、中世のものではないでしょうか。色合いなど、参考にしているのが分かります。

 

サレルノ大聖堂

こういった縁飾りの模様に興味があります。これはくぼみのすぐ外側。
 

サレルノ大聖堂

くぼみのすぐ内側の縁飾り模様。
一体何トンのモザイクを使ったんでしょうね・・・。


 

サレルノ大聖堂

左側のくぼみの装飾。
金色のモザイクは、とにかく素敵。本当に光り輝きます。
硬直した人体表現+ゴールド(イコンみたいな感じ)は、ビザンチン美術の特徴のようです。(私はルネサンスより好み)
 

サレルノ大聖堂

こちらは右側。これはフレスコ画で修復されています。
モザイクと比べると、フレスコ画はぺったり平面的。
近くで見ればくっきりしているのかもしれませんが、近視なので、この距離・暗さだと、ぼんやりぼやけて見えます。
モザイクは、発光するような厚みがあり、くっきり感があります。
和服の、染めの帯と織の帯みたいな違い、かも(個人的印象ですが)。
(で、私はモザイク/織の帯のファン)
 

サレルノ大聖堂

フレスコ画をふちどる六芒星のような花のようなモザイク模様も、綺麗でかわいいなあ。

 

サレルノ大聖堂

これは、どこだったっけかな。
えらいひと(司教様)が座る席でしょうか。
左右のモザイクも綺麗だし、その脇の、ロールシャッハテストみたいな大理石パネルもすごい綺麗(4枚スライスを組み合わせているのでしょうね)。

 




■地下聖堂(クリプト crypt)

『地球の歩き方』に地下聖堂が載っていました。
写真もあるものの、白黒でほとんど何も分かりませんが、一応行ってみることにしました。
確か2ユーロのご喜捨が必要でした。

これが!
すっごいの! 

サレルノ大聖堂

息をのむような装飾づくめ。

 

サレルノ大聖堂

柱も壁も天井も、どこもかしこも装飾が施されています。

この地下聖堂は、建築家ドメニコ・フォンタナ(ナポリの王宮)によって17世紀、バロック様式で作られたもの。
バロック様式というのはこれまでもTVや観光地で見たことはあるはずですが、この小さな空間全部がビッシリ統一されていて、そこに包まれているせいか、迫力がすごいです。
 

サレルノ大聖堂

壁や柱は大理石細工。
天井はストゥッコ(立体漆喰装飾)と、フレスコ画。

どこもかしこも、「何これ、ここまでやる!?」という偏執的な装飾状態。

 

サレルノ大聖堂

例えば柱は全部同じ模様にしてあったりするので、作業効率化やコストダウンもある程度出来るとは思いますが、それにしても大変な手間暇です。

 

サレルノ大聖堂

やさしいピンクカラーがベースになっているので、地下聖堂全体が明るめで優しい色合いではあります。
(石の表面が多少風化しているようなので、建築直後はもっと鮮やかだったかも)

 

サレルノ大聖堂

石のパーツを組み合わせて模様になっているだけでなく、細かい線描まで描いてあります。

 

サレルノ大聖堂

この線描、どうやって?と思いましたが、剥落しているこれを見て分かりました。
V字のノミで表面を削り、そこに色つきのパテ(色石の粉+糊的なものかしら)を埋め込んで、こういった模様をつけているようです。

 

サレルノ大聖堂

流麗な唐草模様がすばらしい。
パーツパーツの色石に、それぞれ天然の模様や色むらがあって、味わいが増しています。

 

サレルノ大聖堂

黒ベースのこれも、カッコいいなあ。

 

サレルノ大聖堂

黒地に白、レンガ色、黄色、薄いグレー、濃いグレー・・・。
なんとパーツが多いこと。

 

サレルノ大聖堂

中央の紋章は何なんでしょうね。
 

サレルノ大聖堂

こちらの黒地のパネルもカッコいいなあ・・・。

 

サレルノ大聖堂

黒と黄色って、結構どぎつくなりそうだけれど、薄茶やグレーも混ざって調和がとれています。
丸が4つ並んだところが可愛い。

 

サレルノ大聖堂

こちらは地下聖堂でなくて、地上でみたパネルですが、ここに載せてしまいます。
丸の左右の茶色のところ、模様少な目でやや寂しいですが、一枚ものの石材をたっぷり使う、という意味では、こちらの方がお高いのかしら。

 

サレルノ大聖堂

壺と、上に王冠、ツボには鷲の模様。
王冠にくっついているぽよん、とした花がかわいい。

 


「ま、行ってみっか」くらいのつもりだった地下聖堂で、3人とも圧倒されてしまいました。
どこを見ても何か仕事がしてあって、ひたすらウロウロ。
装飾過剰な空間に酔っぱらったようになって、ふらふらと地上に出てきたところ、更に一か所、見ごたえスポットが!



■講壇(アンボ ambo) 

それがこちら。講壇。
教会堂の中央通路(身廊)の、前よりにあったと思います。
右側の大きい方は、12世紀後半の大司教Niccolò D'Aielloによって寄進されたので、Aiello の講壇(Ambone D'Aiello)と呼ばれています。
反対側やその近くの壁にも同様の装飾があり、こちらは明確な寄進者は不明のようですが、Aiello の講壇と同じ装飾様式なのでやはり同時代と推定されています。
(とてもこざっぱり綺麗なので近年に修復されているのかも)
地下聖堂とはまた違う、イスラム幾何学模様でびっしり装飾してあって、どれだけでも眺めていられます。

サレルノ大聖堂

こちらが大きい方の講壇。
遠目ではほわっと白っぽく見えるのですが、近づくと、びっしり細かい模様が!
 

サレルノ大聖堂

柱の模様。
 

サレルノ大聖堂

こちらも柱。

 

サレルノ大聖堂

バルコニー(?)には、円を5つ組み合わせた模様が。

 

サレルノ大聖堂

それぞれの帯が違う模様になっています。
 

サレルノ大聖堂

たまに鳥などの具象模様も。

輪郭だけ見れば、縦横斜めの直線と円弧。
最少単位のパーツは、三角形、四角形、ひし形などで、幾何学的な平面分割なのですが、それぞれのパーツを色わけすることで、複雑な柄になっています。
こういうデザインって、パターンを覚えればどんどん考え出せるのかもしれないけれど、全体を調和させるのって難しそう。
いまでもイスラム世界の美大などで教えているのかしらん・・。

デザインの考案は無理かもしれないけれど、パーツを設計図通りに並べるバイトがあったら、応募したいなあ。
(それだって、簡単じゃないだろうけれど)

 

サレルノ大聖堂

バルコニー側面。
 

サレルノ大聖堂

別にこの面を、ぺたっと白く塗ってしまっても機能上は問題ないのに、「ここまでやる!?」という細かい模様。
色は、赤、白、金、黒、ターコイズ、程度の少なさなのに、見ていると、地下聖堂の迫力とはまた違う感じで、吸い込まれるような気持ちに。
頭がぽわーんとしてきます。
 

サレルノ大聖堂

こちらは小さい方の講壇。これも同じスタイルで装飾されています。

 

サレルノ大聖堂

でっぱりの部分、柄は左右対称ではないんですね。

 

サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂

側面。
こちらにはクジャクやドラゴン?などの具象模様もありますが、幾何学模様の方に心惹かれます。

 
ぽーっと上を見上げていて、ふと気づくと、床にも装飾がありました。
床は、天然石が材料になっています。
色は、薄いグレー(大理石)、濃緑、臙脂、黄色、白、(黒)。

サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂




壁は、踏まれたりしない場所なので、金箔ガラスや色ガラス、タイルかな。ところどころ天然石も。
ところどころに少な目に使われている水色のものは、タイルでしょうか?石? 少な目ということは、高価なのかなと思ったり。
 

サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂
サレルノ大聖堂





 


ほんと、いいものを見せて頂きました。
3人とも大満足でした。

このあと(街のお店をみたりは全然なしで)、ランチ。
そしてこんなに歩いたのにまさかのポンペイ遺跡へ(!)。きゅう。




■参考情報
トリップアドバイザー サレルノ大聖堂 みんなの投稿した写真が1000枚以上あります

Wikipedia サレルノ大聖堂

モザイクは大変だから、イスラム文様の塗り絵でもするかなあ・・・。
イスラム文様とモザイクのぬり絵ブック

シチリアにも、アラブ・ノルマン様式の教会があるようです。
例えばパレルモのモンレーアレ大聖堂など。
いつか見てみたいなあ。TVでもいいから、やらないかなあ。


アフガニスタンのイスラム美術に関する本
ガーゼルガーの黒い真珠 イスラーム美術の文様 アラベスクの源流を求めて
訳者の西垣敬子さんはもともとはアフガニスタン刺繍に惹かれていた縁で難民支援に参加し、そこで出会った細密画に魅せられて、何のつてもないなかで、現地の美術研究者に直接電話して知り合って訳すことになったそうです。
原稿をもらって訳す、という単純なものではなく、戦争(アメリカによる報復攻撃)で荒れ果てた国を見るにみかねて、私財をつぎ込んで研究支援・女性の教育支援などをずっとしてきたとか。言葉もありません。

 

コメント
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