鶴屋南北の「東海道四谷怪談」だが、まだ、歌舞伎の舞台を観たことがなかったので、中村吉右衛門一座(?)が演じている新橋演舞場に出かけた。
忠臣蔵外伝と言うことで、当初は、忠臣蔵と入れ子になって延々と演じられていたようだが、登場人物も、浅野(塩冶)と吉良(高)の家来が登場していて話は錯綜していて分かり難いものの結構面白い。
忠臣蔵は冬に、四谷怪談は夏に演じられるのが恒例のようだが、歌舞伎座の團菊祭の向こうを張っての意欲的な舞台で迫力があって楽しませてもらった。
塩冶の家来である民谷伊右衛門(吉右衛門)とその妻お岩(福助)が主人公の舞台で、通し狂言だが、お岩の妹お袖が主人公となる第4幕は省略されている。
いずれにしろ、江戸時代には、忠臣蔵と入れ子状態で上演されていたと云うから、丸々二日がかりの舞台ではなかったかと思うと気の遠くなるような話である。
登場人物が多くて話が何重にも錯綜しているので、当時は、話の筋よりも、奇想天外な舞台展開が客に受けたのであろう。
シェイクスピアもメインだけではなく、必ず、サブの物語が入り組んでいるが、大体、2~3時間の舞台なので、かなりすっきりしているので、鶴屋南北など当時の戯作者の頭の回転と言うか話作りの器用さに驚かざるを得ない。
ところで、この四谷怪談だが、モラルも正義感も責任感もかけらさえない伊右衛門と言う無頼漢を主人公にして、不幸な武士の娘でその妻お岩の悲劇が展開されるのだが、直接に、伊右衛門が、お岩に毒薬を飲ませて殺害するわけでもないので、お岩の怨霊のターゲットが、高家の家臣伊藤喜兵衛(由次郎)であり伊右衛門であるのが面白い。
このような裏話でも、浅野と吉良の対決と仇討ちが脈打っているのである。
隣に住む伊藤家が、赤貧洗うが如しの傘ハリ生活をしている伊右衛門たちに何くれと世話をしてくれるので感謝しているのだが、この伊藤家が、その孫娘が伊右衛門にゾッコン惚れ込んだので、娶らすために、妻のお岩の産後の肥立ちに効くと言って、飲むと面体が醜くなる毒薬をのませて、夫婦仲を壊そうとする。
それを知らないお岩が、感謝感激して、伊藤家の方に向かって三拝九拝して飲んだ薬が効いて、顔が爛れ黒髪が抜け落ちて、惨憺たる形相に変わり果てる。
その時、何も知らずに佐藤家に来ていて、そのからくりを聞いた伊右衛門は、高家仕官を交換条件に孫娘を娶ることを約束する。帰途、これを実行するために、按摩宅悦(歌六)にお岩との不倫駆け落ちを命令するが、お岩が口説かれて怒って争そう途中にそれて柱に刺した小刀に、自ら、化粧して伊藤家へ向かおうとした時誤って首を刺して絶命する。
お岩は、実に健気で子供思いだが、如何せん、貧乏生活と乳飲み子を抱えての産後の疲労で瀕死の状態だが、伊右衛門と添うているのは、塩冶の家来としての父の仇討ちを成功させたい一念のみ。
ところが、その父も殺され、夫の伊右衛門は、愛情も労わりもなく、生まれた子供さえ疎んじて、小遣い銭欲しさに、質草にお岩の着物を取り上げ子供のための蚊帳まではずして出て行く理不尽さ。武士の娘の誇りも捨てて、醜い醜態を曝しながらも伊藤家へ抗議に向かおうとする断末魔が哀れである。
福助は、このお岩の心の動き、葛藤を実に丁寧に噛み締めながら演じていて、心憎いほど上手い。
顔が爛れていながらも気付かずに健気に振舞う女のたしなみ、見せ場の「髪梳き」の場の鬼気迫る演技など秀逸で、女の命とも言うべき黒髪まで抜け落ち正気を失って彷徨う姿の哀れさ、初役で歌右衛門の芸を思い出しながら演じたというが、流石に成駒屋である。
一方の伊右衛門だが、塩冶の御用金を横領し、追っかけまわして娶ったお岩の父親まで殺害し、お岩に毒を飲ませて醜くしたと聞いても怒りもせず、代わりに敵方への仕官を条件に結婚を約束するなど、忠義の志など露程もなく、無頼漢も極まれリと言う悪徳浪人武士。
多少救われるのは、親に連れ戻されたお岩を取り戻そうと親に頼んだことと、伊藤に孫娘を貰ってくれと言われて自分には妻があると答えた位だが、禄を離れた浪人の悲惨さを描くにしても、何故、このような不埒な男を塩冶がわの人物として登場させたのか、いくら外伝と言っても、鶴屋南北の意図が理解出来ない。
伊右衛門の人間像を描くのは非常に難しいと思うが、この役に関する限り、私には、吉右衛門のイメージがどうしても、伊右衛門には向かないような気がする。
ある意味では、風格があり過ぎて、親分然とした雰囲気が、随所に見え隠れしていて、人の風上にも置けないような伊右衛門の品性下劣さが見えてこないのである。
それに、伊右衛門自身、元々モラル意識に乏しい男としても、人間の弱さゆえに経緯上悪事がまとわりついてきたと言う劇展開なので、あくどさについても表現が中途半端となって、怪談としての凄さは、お岩一点に集中した感じで、吉右衛門の存在感が薄くなり、狂言回しに終わっていたような気がして、吉右衛門本来の芸の素晴らしさを堪能出来なかったのが心残りであった。
お岩妹お袖の芝雀、その夫佐藤与茂七の染五郎、按摩宅悦の歌六、直助権兵衛の段四郎は、非常に適役で、夫々に興味深い舞台を見せて楽しませてくれた。
ところで、東京江戸博物館に、この四谷怪談の舞台のからくりを見せるための模型があって、「提灯抜け」、「仏壇抜け」、「戸板返し」などの仕掛けが舞台裏も含めて良く見えて面白いのだが、知っていると興味が半減してしまうマイナスもある。
(追記) 写真は、新橋演舞場のホーム・ページから借用。
忠臣蔵外伝と言うことで、当初は、忠臣蔵と入れ子になって延々と演じられていたようだが、登場人物も、浅野(塩冶)と吉良(高)の家来が登場していて話は錯綜していて分かり難いものの結構面白い。
忠臣蔵は冬に、四谷怪談は夏に演じられるのが恒例のようだが、歌舞伎座の團菊祭の向こうを張っての意欲的な舞台で迫力があって楽しませてもらった。
塩冶の家来である民谷伊右衛門(吉右衛門)とその妻お岩(福助)が主人公の舞台で、通し狂言だが、お岩の妹お袖が主人公となる第4幕は省略されている。
いずれにしろ、江戸時代には、忠臣蔵と入れ子状態で上演されていたと云うから、丸々二日がかりの舞台ではなかったかと思うと気の遠くなるような話である。
登場人物が多くて話が何重にも錯綜しているので、当時は、話の筋よりも、奇想天外な舞台展開が客に受けたのであろう。
シェイクスピアもメインだけではなく、必ず、サブの物語が入り組んでいるが、大体、2~3時間の舞台なので、かなりすっきりしているので、鶴屋南北など当時の戯作者の頭の回転と言うか話作りの器用さに驚かざるを得ない。
ところで、この四谷怪談だが、モラルも正義感も責任感もかけらさえない伊右衛門と言う無頼漢を主人公にして、不幸な武士の娘でその妻お岩の悲劇が展開されるのだが、直接に、伊右衛門が、お岩に毒薬を飲ませて殺害するわけでもないので、お岩の怨霊のターゲットが、高家の家臣伊藤喜兵衛(由次郎)であり伊右衛門であるのが面白い。
このような裏話でも、浅野と吉良の対決と仇討ちが脈打っているのである。
隣に住む伊藤家が、赤貧洗うが如しの傘ハリ生活をしている伊右衛門たちに何くれと世話をしてくれるので感謝しているのだが、この伊藤家が、その孫娘が伊右衛門にゾッコン惚れ込んだので、娶らすために、妻のお岩の産後の肥立ちに効くと言って、飲むと面体が醜くなる毒薬をのませて、夫婦仲を壊そうとする。
それを知らないお岩が、感謝感激して、伊藤家の方に向かって三拝九拝して飲んだ薬が効いて、顔が爛れ黒髪が抜け落ちて、惨憺たる形相に変わり果てる。
その時、何も知らずに佐藤家に来ていて、そのからくりを聞いた伊右衛門は、高家仕官を交換条件に孫娘を娶ることを約束する。帰途、これを実行するために、按摩宅悦(歌六)にお岩との不倫駆け落ちを命令するが、お岩が口説かれて怒って争そう途中にそれて柱に刺した小刀に、自ら、化粧して伊藤家へ向かおうとした時誤って首を刺して絶命する。
お岩は、実に健気で子供思いだが、如何せん、貧乏生活と乳飲み子を抱えての産後の疲労で瀕死の状態だが、伊右衛門と添うているのは、塩冶の家来としての父の仇討ちを成功させたい一念のみ。
ところが、その父も殺され、夫の伊右衛門は、愛情も労わりもなく、生まれた子供さえ疎んじて、小遣い銭欲しさに、質草にお岩の着物を取り上げ子供のための蚊帳まではずして出て行く理不尽さ。武士の娘の誇りも捨てて、醜い醜態を曝しながらも伊藤家へ抗議に向かおうとする断末魔が哀れである。
福助は、このお岩の心の動き、葛藤を実に丁寧に噛み締めながら演じていて、心憎いほど上手い。
顔が爛れていながらも気付かずに健気に振舞う女のたしなみ、見せ場の「髪梳き」の場の鬼気迫る演技など秀逸で、女の命とも言うべき黒髪まで抜け落ち正気を失って彷徨う姿の哀れさ、初役で歌右衛門の芸を思い出しながら演じたというが、流石に成駒屋である。
一方の伊右衛門だが、塩冶の御用金を横領し、追っかけまわして娶ったお岩の父親まで殺害し、お岩に毒を飲ませて醜くしたと聞いても怒りもせず、代わりに敵方への仕官を条件に結婚を約束するなど、忠義の志など露程もなく、無頼漢も極まれリと言う悪徳浪人武士。
多少救われるのは、親に連れ戻されたお岩を取り戻そうと親に頼んだことと、伊藤に孫娘を貰ってくれと言われて自分には妻があると答えた位だが、禄を離れた浪人の悲惨さを描くにしても、何故、このような不埒な男を塩冶がわの人物として登場させたのか、いくら外伝と言っても、鶴屋南北の意図が理解出来ない。
伊右衛門の人間像を描くのは非常に難しいと思うが、この役に関する限り、私には、吉右衛門のイメージがどうしても、伊右衛門には向かないような気がする。
ある意味では、風格があり過ぎて、親分然とした雰囲気が、随所に見え隠れしていて、人の風上にも置けないような伊右衛門の品性下劣さが見えてこないのである。
それに、伊右衛門自身、元々モラル意識に乏しい男としても、人間の弱さゆえに経緯上悪事がまとわりついてきたと言う劇展開なので、あくどさについても表現が中途半端となって、怪談としての凄さは、お岩一点に集中した感じで、吉右衛門の存在感が薄くなり、狂言回しに終わっていたような気がして、吉右衛門本来の芸の素晴らしさを堪能出来なかったのが心残りであった。
お岩妹お袖の芝雀、その夫佐藤与茂七の染五郎、按摩宅悦の歌六、直助権兵衛の段四郎は、非常に適役で、夫々に興味深い舞台を見せて楽しませてくれた。
ところで、東京江戸博物館に、この四谷怪談の舞台のからくりを見せるための模型があって、「提灯抜け」、「仏壇抜け」、「戸板返し」などの仕掛けが舞台裏も含めて良く見えて面白いのだが、知っていると興味が半減してしまうマイナスもある。
(追記) 写真は、新橋演舞場のホーム・ページから借用。