今日で国立劇場の5月文楽は終わってしまったが、近松門左衛門の最後の世話物の作品だという「心中宵庚申」は、昨年の4月に大阪で上演されたバージョンである。
冒頭の「上田村の段」には、竹本住大夫の浄瑠璃に、簔助のお千代と文雀のおかると言う姉妹人形の登場で、珍しく、3人の人間国宝が揃い踏みし、八百屋半兵衛に勘十郎、島田平右衛門の紋寿と言うベテラン人形遣いが加わり、熱気のある素晴らしい舞台を展開した。
舅の虐待に耐えかねた八百屋半兵衛が妻お千代と心中した実話を脚色した浄瑠璃だが、他の近松門左衛門の心中もののように、遊女にうつつを抜かしたのでもなく、公金を横領したのでもなく、幸せに暮らしていた夫婦が、姑のいじめが原因で、義理と人情の板ばさみになって心中すると言う話が興味を引く。
三度目の結婚で八百屋半兵衛に嫁いでいた4ヶ月の身重のお千代が、折り合いの悪い姑の母に一方的に実家に戻される。
そこへ、何も知らない夫の半兵衛が、実父の17回忌に故郷浜松から帰る途中に立ち寄り、それを知り、義父平右衛門に絶対に分かれないと約束して水杯を交わして一緒に大坂へ連れて帰る。
これが、「上田村の段」だが、途中に、冷たくあしらう姉のおかるの態度を怪訝に思い、病床の義父が、お千代に、平家物語の祗王を読み聞かせよと指示して、半兵衛を清盛にたとえて恨み言を言うので、事情を知った半兵衛は、申し開きの為に自害しようとする場が入る。
実姉のおかるとの気のおけないやり取り、実父の不運続きで恵まれないお千代への思いやりといとおしみ、そして、夫への揺れる思いなどお千代の心の迷いや葛藤や、義父と娘の夫との切ない義理と柵の錯綜など、素晴らしい住大夫の語りと錦糸の三味線に乗せて、生身のような人形達が悲しい人間のサガに翻弄される。
次の「八百屋の段」は、連れ戻って親類の山城屋に預けていたお千代の存在を、義母に知られて切羽詰り、自分から離縁を申し渡すと義母に言って、そのために、義母に自分が間違っていたと言わせてお千代を家に帰らせる。
姑の理解を得たと喜ぶお千代に、本当のことを打ち明けて、「去った」と言って家を追い出して、その夜半に、毛氈に脇差や死装束を包み、門口で待っていたお千代と死出の旅に発つ。
嶋大夫の語りと宗助の三味線の名調子が冴え、紋豊が使う八百屋伊右衛門女房が憎々しい大坂のおかんの味が良く出ていて、益々、半兵衛とお千代の哀れさが際立つ。
最後は、「道行思ひの短夜」で、庚申参りの人波に紛れて生玉神社にやってきて、半兵衛が、不憫なお腹の子供を思いやるお千代を刺し、自ら武士の誇りを保って切腹する。
何故、邪悪な姑の思いだけに振り回されて善意の人々が苦しみぬいて、前途ある若い夫婦が心中しなければならないのか、最後の最後まで、封建社会に生きる人々のどうしようもない悲しみや苦しみを、透徹した眼で見据えながら、しみじみと情感豊かに描こうとした近松門左衛門の世話物の真骨頂かも知れない。
理不尽で絶対に受け入れられないような無慈悲な運命でも、義理の為に、夫婦や親子など肉親の恩愛をも犠牲にして、精一杯に生きようとする人々の、何処へも行き場のない悲しく切ない真摯な生き様を活写しながら、人間の本当の姿を描こうとしたのかも知れない。
八百屋主人の伊右衛門が、宗教に入れあげて店のことを一切女房に任せているので、養子の半兵衛が、店を取り仕切る義母にたてつく事が出来なかった悲劇が発端で、妻お千代への義理、義父平右衛門への義理の板ばさみにあって、死を選ばざるを得なかったのであろう。
しかし、どうしてもしっくりいかないので、調べたら、20年以上前の和田勉演出のNHKドラマでは、半兵衛(滝田栄)を義母のおつや(音羽信子)が溺愛して、恋敵のお千代(太地喜和子)を苛め抜き離縁すると言うストーリーに脚色していて、これなら、もっと、ストレートで話が分かりやすい。
あの音羽信子のことであるから、キッと、背筋の寒くなるような鬼気迫る色と欲の錯綜したえげつない大坂のおえはんを演じたことであろう。
ところで、昨年、初めてこの文楽でコンビを組んだ簔助と勘十郎が、お千代と半兵衛の比翼塚のある天王寺の銀山寺を訪れて、人形を持って墓前に手を合わせ、同寺にある玉男の墓にも参って「心中宵庚申」の舞台報告をしたのだと言う。
簔助がお千代を初めて遣ったのは昭和40年のNHKでの収録だということで、玉男との共演が多く、その時、勘十郎は、足や手を遣っていて玉男の芸は十分に理解しているので、期待して欲しいと言う。
簔助としては、勘十郎と共演して人形を遣えば遣うほど、期せずして自身のみならず玉男の芸の伝承・継承となり、正に、一石二鳥で、これ以上の師弟関係の幸せはないであろう。
簔助のお千代は言うまでもなく絶品であるが、律儀で義理人情に厚い半兵衛が元武士の魂の疼きを感じながら、徐々に崩れて行く心中までの心の起伏を、勘十郎は実に丁寧に演じていて流石に上手い。
玉男と簔助の男と女の舞台は、頂点に達した両巨匠の織り成す丁々発止の世界であったが、簔助と勘十郎の紡ぎだす男と女は、もっと血の通った至近距離の間柄で、ドロドロした柵も含めて、今を時めくこの師弟コンビが、どのような文楽の男と女の世界を創造してくれるか、今後の舞台が楽しみである。
最後になったが、実に優しく情味溢れるお千代の姉のおかるを遣った文雀の芸の冴え、それに、女形の重鎮である紋寿の、一途に薄倖の娘お千代を思いやり、夫半兵衛に決死の覚悟で娘を託す百姓ながら剛直な島田平右衛門の感動的な姿も忘れられない。
近松門左衛門の浄瑠璃の良さは勿論だが、このような現在最高峰の人形遣い達が共演した火花の散るような舞台があればこそ、住大夫と錦糸の名調子が燦然と輝いたのだとも言えそうである。
冒頭の「上田村の段」には、竹本住大夫の浄瑠璃に、簔助のお千代と文雀のおかると言う姉妹人形の登場で、珍しく、3人の人間国宝が揃い踏みし、八百屋半兵衛に勘十郎、島田平右衛門の紋寿と言うベテラン人形遣いが加わり、熱気のある素晴らしい舞台を展開した。
舅の虐待に耐えかねた八百屋半兵衛が妻お千代と心中した実話を脚色した浄瑠璃だが、他の近松門左衛門の心中もののように、遊女にうつつを抜かしたのでもなく、公金を横領したのでもなく、幸せに暮らしていた夫婦が、姑のいじめが原因で、義理と人情の板ばさみになって心中すると言う話が興味を引く。
三度目の結婚で八百屋半兵衛に嫁いでいた4ヶ月の身重のお千代が、折り合いの悪い姑の母に一方的に実家に戻される。
そこへ、何も知らない夫の半兵衛が、実父の17回忌に故郷浜松から帰る途中に立ち寄り、それを知り、義父平右衛門に絶対に分かれないと約束して水杯を交わして一緒に大坂へ連れて帰る。
これが、「上田村の段」だが、途中に、冷たくあしらう姉のおかるの態度を怪訝に思い、病床の義父が、お千代に、平家物語の祗王を読み聞かせよと指示して、半兵衛を清盛にたとえて恨み言を言うので、事情を知った半兵衛は、申し開きの為に自害しようとする場が入る。
実姉のおかるとの気のおけないやり取り、実父の不運続きで恵まれないお千代への思いやりといとおしみ、そして、夫への揺れる思いなどお千代の心の迷いや葛藤や、義父と娘の夫との切ない義理と柵の錯綜など、素晴らしい住大夫の語りと錦糸の三味線に乗せて、生身のような人形達が悲しい人間のサガに翻弄される。
次の「八百屋の段」は、連れ戻って親類の山城屋に預けていたお千代の存在を、義母に知られて切羽詰り、自分から離縁を申し渡すと義母に言って、そのために、義母に自分が間違っていたと言わせてお千代を家に帰らせる。
姑の理解を得たと喜ぶお千代に、本当のことを打ち明けて、「去った」と言って家を追い出して、その夜半に、毛氈に脇差や死装束を包み、門口で待っていたお千代と死出の旅に発つ。
嶋大夫の語りと宗助の三味線の名調子が冴え、紋豊が使う八百屋伊右衛門女房が憎々しい大坂のおかんの味が良く出ていて、益々、半兵衛とお千代の哀れさが際立つ。
最後は、「道行思ひの短夜」で、庚申参りの人波に紛れて生玉神社にやってきて、半兵衛が、不憫なお腹の子供を思いやるお千代を刺し、自ら武士の誇りを保って切腹する。
何故、邪悪な姑の思いだけに振り回されて善意の人々が苦しみぬいて、前途ある若い夫婦が心中しなければならないのか、最後の最後まで、封建社会に生きる人々のどうしようもない悲しみや苦しみを、透徹した眼で見据えながら、しみじみと情感豊かに描こうとした近松門左衛門の世話物の真骨頂かも知れない。
理不尽で絶対に受け入れられないような無慈悲な運命でも、義理の為に、夫婦や親子など肉親の恩愛をも犠牲にして、精一杯に生きようとする人々の、何処へも行き場のない悲しく切ない真摯な生き様を活写しながら、人間の本当の姿を描こうとしたのかも知れない。
八百屋主人の伊右衛門が、宗教に入れあげて店のことを一切女房に任せているので、養子の半兵衛が、店を取り仕切る義母にたてつく事が出来なかった悲劇が発端で、妻お千代への義理、義父平右衛門への義理の板ばさみにあって、死を選ばざるを得なかったのであろう。
しかし、どうしてもしっくりいかないので、調べたら、20年以上前の和田勉演出のNHKドラマでは、半兵衛(滝田栄)を義母のおつや(音羽信子)が溺愛して、恋敵のお千代(太地喜和子)を苛め抜き離縁すると言うストーリーに脚色していて、これなら、もっと、ストレートで話が分かりやすい。
あの音羽信子のことであるから、キッと、背筋の寒くなるような鬼気迫る色と欲の錯綜したえげつない大坂のおえはんを演じたことであろう。
ところで、昨年、初めてこの文楽でコンビを組んだ簔助と勘十郎が、お千代と半兵衛の比翼塚のある天王寺の銀山寺を訪れて、人形を持って墓前に手を合わせ、同寺にある玉男の墓にも参って「心中宵庚申」の舞台報告をしたのだと言う。
簔助がお千代を初めて遣ったのは昭和40年のNHKでの収録だということで、玉男との共演が多く、その時、勘十郎は、足や手を遣っていて玉男の芸は十分に理解しているので、期待して欲しいと言う。
簔助としては、勘十郎と共演して人形を遣えば遣うほど、期せずして自身のみならず玉男の芸の伝承・継承となり、正に、一石二鳥で、これ以上の師弟関係の幸せはないであろう。
簔助のお千代は言うまでもなく絶品であるが、律儀で義理人情に厚い半兵衛が元武士の魂の疼きを感じながら、徐々に崩れて行く心中までの心の起伏を、勘十郎は実に丁寧に演じていて流石に上手い。
玉男と簔助の男と女の舞台は、頂点に達した両巨匠の織り成す丁々発止の世界であったが、簔助と勘十郎の紡ぎだす男と女は、もっと血の通った至近距離の間柄で、ドロドロした柵も含めて、今を時めくこの師弟コンビが、どのような文楽の男と女の世界を創造してくれるか、今後の舞台が楽しみである。
最後になったが、実に優しく情味溢れるお千代の姉のおかるを遣った文雀の芸の冴え、それに、女形の重鎮である紋寿の、一途に薄倖の娘お千代を思いやり、夫半兵衛に決死の覚悟で娘を託す百姓ながら剛直な島田平右衛門の感動的な姿も忘れられない。
近松門左衛門の浄瑠璃の良さは勿論だが、このような現在最高峰の人形遣い達が共演した火花の散るような舞台があればこそ、住大夫と錦糸の名調子が燦然と輝いたのだとも言えそうである。