アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家エミール・ガレの展覧会が、サントリー美術館で開かれているので先週休暇前に出かけた。
ガレの展覧会は、日本でも何度も開かれ出かけており、ヨーロッパ在住中にも美術館やあっちこっちで随分見ているので、目新しくはないのだが、今回は、ジャポニスムとの関係をテーマにした展覧会なので興味を持って出かけた。
ガレが日本に来たと言うことは聞かないので、ガレの日本体験は、ヨーロッパ芸術界を風靡した一連のジャポニスムの影響やパリの万国博など日本芸術との接触が主なのであろうが、この展覧会を見る限り葛飾北斎の「北斎漫画」などからイメージを得た動植物の図案や、当時、ナンシー水利専門学校に留学していた高島北海との交流等から得た影響が強いように思えた。
北斎漫画の図案を殆どそのまま転用して、イメージを膨らませて独自のガラス作品を作り上げているのなどは非常に面白いが、更に、日本的な発想とイメージを活用しながらヨーロッパ的な美意識を加味したデザインに展開するなど興味深い作品も多くて楽しませてもらった。
日本人のように、四季の変化や自然の営みが非常に繊細で微妙な環境に生きている民族にとっては、野の蝶や昆虫、或いは、野の花などに興味を持ってその姿を描く心境は良く分かるのだが、フランス人のガレが、それにインスピレーションを得て蛙や鯉、バッタなどをガラスの器に芸術として封じ込めているのには、その技術以上に感心せざるを得ない。
ところで、今回のメインテーマは、ジャポニスムの中でも、蜻蛉をモチーフにした多くの色々なガレの作品で、会場最期のコーナーにセットされた「脚付杯蜻蛉」(この口絵写真・美術館のホームページから借用)が、その芸術の頂点を示している。
白っぽく濁ったガラス地に一匹の蜻蛉がやや斜め下に向かって翅を広げて飛んでいる姿で、焦げ茶色を基調とした図柄に緑色の一対の眼が淡い光に浮かび上がって輝いているのが印象的である。
黒い尻尾のカーブはデザイン的なデフォルメだが、4枚の翅の描き方は非常に写実的で、網状に浮き上がっている翅の骨など生身の蜻蛉を見ている感じである。
ガレの作品は、自然光でもビックリするほど美しい作品が沢山あるが、このようにクロっぽい素材で複雑な細工を施された作品は、照明によって意図的に視覚を楽しませてくれるような工夫やセッティングが大切である。
ところで、蜻蛉だが、カゲロウと言うと何となく名前の由来である陽炎のイメージで詩的で儚い印象が強いが、空中で静止してホバーリングしている時などは風に吹かれてたゆたう感じがするが、いくらか細い蜻蛉でも飛ぶ時は、非常に俊敏で目も止まらぬ早業である。
私など、トンボと言う雰囲気で捉えているが、確かにやごから成虫になって飛び始めると交尾すればすぐに死んでしまうものもあるようだが、水中などでは命が長く、昔トンボなど7年も生きていると言うから犬並みの命である。
ところで、クリスチャン・ディオールやカルティエ、ティファニーなどの古い宝飾品の展示会などに出かけると、デザインやイメージが、古代のエジプトやメソポタミア、或いは、古代インドやペルシャあたりの作品から取られて非常にユニークな作品が生み出されているのに気付くことが結構多い。
やはり、芸術の世界でも、絶対と言って良いほど、正真正銘のオリジナリティの作品はなく、どこか、過去の作品や経験から得たイメージなりアイディアの集積であったり発展であるようで面白い。
ガレを見ながら、そんなことを思っていた。
ガレの展覧会は、日本でも何度も開かれ出かけており、ヨーロッパ在住中にも美術館やあっちこっちで随分見ているので、目新しくはないのだが、今回は、ジャポニスムとの関係をテーマにした展覧会なので興味を持って出かけた。
ガレが日本に来たと言うことは聞かないので、ガレの日本体験は、ヨーロッパ芸術界を風靡した一連のジャポニスムの影響やパリの万国博など日本芸術との接触が主なのであろうが、この展覧会を見る限り葛飾北斎の「北斎漫画」などからイメージを得た動植物の図案や、当時、ナンシー水利専門学校に留学していた高島北海との交流等から得た影響が強いように思えた。
北斎漫画の図案を殆どそのまま転用して、イメージを膨らませて独自のガラス作品を作り上げているのなどは非常に面白いが、更に、日本的な発想とイメージを活用しながらヨーロッパ的な美意識を加味したデザインに展開するなど興味深い作品も多くて楽しませてもらった。
日本人のように、四季の変化や自然の営みが非常に繊細で微妙な環境に生きている民族にとっては、野の蝶や昆虫、或いは、野の花などに興味を持ってその姿を描く心境は良く分かるのだが、フランス人のガレが、それにインスピレーションを得て蛙や鯉、バッタなどをガラスの器に芸術として封じ込めているのには、その技術以上に感心せざるを得ない。
ところで、今回のメインテーマは、ジャポニスムの中でも、蜻蛉をモチーフにした多くの色々なガレの作品で、会場最期のコーナーにセットされた「脚付杯蜻蛉」(この口絵写真・美術館のホームページから借用)が、その芸術の頂点を示している。
白っぽく濁ったガラス地に一匹の蜻蛉がやや斜め下に向かって翅を広げて飛んでいる姿で、焦げ茶色を基調とした図柄に緑色の一対の眼が淡い光に浮かび上がって輝いているのが印象的である。
黒い尻尾のカーブはデザイン的なデフォルメだが、4枚の翅の描き方は非常に写実的で、網状に浮き上がっている翅の骨など生身の蜻蛉を見ている感じである。
ガレの作品は、自然光でもビックリするほど美しい作品が沢山あるが、このようにクロっぽい素材で複雑な細工を施された作品は、照明によって意図的に視覚を楽しませてくれるような工夫やセッティングが大切である。
ところで、蜻蛉だが、カゲロウと言うと何となく名前の由来である陽炎のイメージで詩的で儚い印象が強いが、空中で静止してホバーリングしている時などは風に吹かれてたゆたう感じがするが、いくらか細い蜻蛉でも飛ぶ時は、非常に俊敏で目も止まらぬ早業である。
私など、トンボと言う雰囲気で捉えているが、確かにやごから成虫になって飛び始めると交尾すればすぐに死んでしまうものもあるようだが、水中などでは命が長く、昔トンボなど7年も生きていると言うから犬並みの命である。
ところで、クリスチャン・ディオールやカルティエ、ティファニーなどの古い宝飾品の展示会などに出かけると、デザインやイメージが、古代のエジプトやメソポタミア、或いは、古代インドやペルシャあたりの作品から取られて非常にユニークな作品が生み出されているのに気付くことが結構多い。
やはり、芸術の世界でも、絶対と言って良いほど、正真正銘のオリジナリティの作品はなく、どこか、過去の作品や経験から得たイメージなりアイディアの集積であったり発展であるようで面白い。
ガレを見ながら、そんなことを思っていた。