フランスの経済学者ダニエル・コーエンの「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」を読んでいるのだが、やはり、フランス人で、一寸、意表をついたような理論展開をしていて、非常に興味深い。
まず、人類の起源から産業社会の時代が訪れるまで、社会を支配してきた掟は、地球で暮らす者の平均所得は、停滞しづけて、新たなテクノロジーの出現によって社会が繁栄し始める度に、常に同じメカニズムが作動し、繁栄が打ち消されてきた。
経済成長が、出生数を押し上げ死亡率を落とすので人口増を引き起こし、次第に一人あたりの所得を減らす。全員の食い扶持を確保するために耕作可能な土地が不足すると言う致命的な事態に至り、人口過剰になった人類は、空腹や病気で死に、飢饉と疫病が、経済成長する社会の発展を打ち砕いて来た。
暮らし向きの良し悪しに拘わらず、このマルサスの法則は、成り立っていたと言うのである。
そこで、コーエン論の面白いところは、次の指摘である。
”公衆衛生を尊重した社会は、これとは逆な形で、マルサスの法則が作用した。
18世紀初頭の、ヨーロッパ人は、中国人より平均的に富裕だったが、それは、ヨーロッパ人が不潔だったからだ。中国人や日本人は、出来る限り入浴したが、ヨーロッパ人が体を洗うことはなかったし、どんな身分の者であれ、悪臭が立ち込めても、住居に隣接したトイレに文句を述べたりはしなかった。ヨーロッパ人とは対照的に、日本人は清潔さの完璧なモデルで、道路は清潔に清掃され、自宅に入る際には靴を脱ぐのが習わしである。日本人は清潔だったので、ヨーロッパよりも人口密度が高く貧しかったのだ。ヨーロッパの繁栄は、正に「悪徳の栄え」だったのだ。”
本論に入る前に、このヨーロッパの不潔不衛生と言うことだが、確かに、昔友人であった素晴らしい米国人のビジネス・ウーマンが、私に、毎日風呂に入ったりシャワーを浴びるのは日本人とアメリカ人だけで、ヨーロッパ人は、シャワーさえ浴びない人が多いと嘆いていたので、ほぼ、間違いはなさそうである。
もう随分以前になるが、私が初めて家族を連れてイタリアを旅行した時に、ローマで、かなり上等なホテルに泊まって、長女のためにバスタブに湯を張ろうとしたら、途中で水になってしまったので、困って、フロントと大喧嘩したことがある。
私は、アメリカでもそうだったので、当然、イタリアの宿も、家族3人が風呂に入れるものだと思っていたのだが、イタリアの常識では、ヨーロッパ人は、浴びても軽いシャワーだけなので、バスの湯のキャパシティは僅かで良くて、部屋のタンクに程々に貯めて置けば、それで十分だったのである。
イタリアのみならず、ヨーロッパのホテルには、何処でも、素晴らしいビデの設備が整っているのだが、これも、不清潔ゆえの生活の知恵であり、匂い消しに、香水文化が発達したのと同様に、ヨーロッパ人、特に、フランス人の文化観の錯綜ぶり奥深さ(?)を示す一面かも知れないと思うと面白い。
「恋に落ちたシェイクスピア」など、あの当時のイギリス映画をご覧になった方は、御記憶だと思うのだが、通りを歩いていると上の方から汚れた水がバサッと落ちてくるシーンが出て来るのだが、あれは汚物で、上階の窓から平気で、皆汚物を街路にぶちまけていたのである。
そのために、イギリスの田舎などに行くと古い民家などは、2階3階と上階に行くほど、逆階段状に床がせり出して飛び出していて、下を歩く人は、汚物に汚されないように、入り込んだ家の窓際に寄って歩かなければならなかったと言うことが、良く分かって面白い。
それに、ヨーロッパの王宮や離宮、お城などには、立派な部屋はあるが、肝心の洗面所などそのあたりの設備が殆どないようで、侍女や家来が総て処理していたのであろう、とにかく、文化の違いとは恐ろしいものである。
シェイクスピアのグローブ座は、1500人の観客を擁したが便所はたった一つ、庭や階段や廊下で用を足したと言うし、ヴェルサイユ宮殿の中庭は恐ろしい臭気だったと言うから、17世紀の偉大な王たちの統治下の人々の生活レベルは、アマゾンの原住民の原始生活と大差なかったと言うのだから、恐れ入る。
コーエンの言いたいのは、ヨーロッパは、このように、不潔であったがために、ペストなどの疫病が蔓延して、人口が減ったために、前述した「マルサスの法則」が作動して、経済成長が起こったと言うことで、
治世が悪ければ悪い程、人々にとっては良かったと言う、正に、「悪徳の栄え」故の文化文明だと言うことであろう。
その点、日本は、清潔であったがために、人口減がなくて人口密度が高くなり、江戸時代は、貧しいままだったと言うのである。
それに、ヨーロッパの近世は、正に、戦争の歴史であったのだが、日本の江戸時代は、太平天国であり、ヨーロッパのように人口が減ることがなかったのであるから、尚更、コーエン説の世界であろう。
尤も、コーエンのマルサスの法則に従った掟の世界は18世紀までで、それ以降は、マルクスやシュンペーター、そして、ITの時代なので、全く様相は激変する。
したがって、日本の経済成長は、清潔とは一切関係なく、また、違った法則で経済社会は動くのである。
しかし、戦争や不清潔な疫病の蔓延などによる人口減が、ヨーロッパ経済の成長のドライブ要因だったと言うのは、非常に面白い。
まず、人類の起源から産業社会の時代が訪れるまで、社会を支配してきた掟は、地球で暮らす者の平均所得は、停滞しづけて、新たなテクノロジーの出現によって社会が繁栄し始める度に、常に同じメカニズムが作動し、繁栄が打ち消されてきた。
経済成長が、出生数を押し上げ死亡率を落とすので人口増を引き起こし、次第に一人あたりの所得を減らす。全員の食い扶持を確保するために耕作可能な土地が不足すると言う致命的な事態に至り、人口過剰になった人類は、空腹や病気で死に、飢饉と疫病が、経済成長する社会の発展を打ち砕いて来た。
暮らし向きの良し悪しに拘わらず、このマルサスの法則は、成り立っていたと言うのである。
そこで、コーエン論の面白いところは、次の指摘である。
”公衆衛生を尊重した社会は、これとは逆な形で、マルサスの法則が作用した。
18世紀初頭の、ヨーロッパ人は、中国人より平均的に富裕だったが、それは、ヨーロッパ人が不潔だったからだ。中国人や日本人は、出来る限り入浴したが、ヨーロッパ人が体を洗うことはなかったし、どんな身分の者であれ、悪臭が立ち込めても、住居に隣接したトイレに文句を述べたりはしなかった。ヨーロッパ人とは対照的に、日本人は清潔さの完璧なモデルで、道路は清潔に清掃され、自宅に入る際には靴を脱ぐのが習わしである。日本人は清潔だったので、ヨーロッパよりも人口密度が高く貧しかったのだ。ヨーロッパの繁栄は、正に「悪徳の栄え」だったのだ。”
本論に入る前に、このヨーロッパの不潔不衛生と言うことだが、確かに、昔友人であった素晴らしい米国人のビジネス・ウーマンが、私に、毎日風呂に入ったりシャワーを浴びるのは日本人とアメリカ人だけで、ヨーロッパ人は、シャワーさえ浴びない人が多いと嘆いていたので、ほぼ、間違いはなさそうである。
もう随分以前になるが、私が初めて家族を連れてイタリアを旅行した時に、ローマで、かなり上等なホテルに泊まって、長女のためにバスタブに湯を張ろうとしたら、途中で水になってしまったので、困って、フロントと大喧嘩したことがある。
私は、アメリカでもそうだったので、当然、イタリアの宿も、家族3人が風呂に入れるものだと思っていたのだが、イタリアの常識では、ヨーロッパ人は、浴びても軽いシャワーだけなので、バスの湯のキャパシティは僅かで良くて、部屋のタンクに程々に貯めて置けば、それで十分だったのである。
イタリアのみならず、ヨーロッパのホテルには、何処でも、素晴らしいビデの設備が整っているのだが、これも、不清潔ゆえの生活の知恵であり、匂い消しに、香水文化が発達したのと同様に、ヨーロッパ人、特に、フランス人の文化観の錯綜ぶり奥深さ(?)を示す一面かも知れないと思うと面白い。
「恋に落ちたシェイクスピア」など、あの当時のイギリス映画をご覧になった方は、御記憶だと思うのだが、通りを歩いていると上の方から汚れた水がバサッと落ちてくるシーンが出て来るのだが、あれは汚物で、上階の窓から平気で、皆汚物を街路にぶちまけていたのである。
そのために、イギリスの田舎などに行くと古い民家などは、2階3階と上階に行くほど、逆階段状に床がせり出して飛び出していて、下を歩く人は、汚物に汚されないように、入り込んだ家の窓際に寄って歩かなければならなかったと言うことが、良く分かって面白い。
それに、ヨーロッパの王宮や離宮、お城などには、立派な部屋はあるが、肝心の洗面所などそのあたりの設備が殆どないようで、侍女や家来が総て処理していたのであろう、とにかく、文化の違いとは恐ろしいものである。
シェイクスピアのグローブ座は、1500人の観客を擁したが便所はたった一つ、庭や階段や廊下で用を足したと言うし、ヴェルサイユ宮殿の中庭は恐ろしい臭気だったと言うから、17世紀の偉大な王たちの統治下の人々の生活レベルは、アマゾンの原住民の原始生活と大差なかったと言うのだから、恐れ入る。
コーエンの言いたいのは、ヨーロッパは、このように、不潔であったがために、ペストなどの疫病が蔓延して、人口が減ったために、前述した「マルサスの法則」が作動して、経済成長が起こったと言うことで、
治世が悪ければ悪い程、人々にとっては良かったと言う、正に、「悪徳の栄え」故の文化文明だと言うことであろう。
その点、日本は、清潔であったがために、人口減がなくて人口密度が高くなり、江戸時代は、貧しいままだったと言うのである。
それに、ヨーロッパの近世は、正に、戦争の歴史であったのだが、日本の江戸時代は、太平天国であり、ヨーロッパのように人口が減ることがなかったのであるから、尚更、コーエン説の世界であろう。
尤も、コーエンのマルサスの法則に従った掟の世界は18世紀までで、それ以降は、マルクスやシュンペーター、そして、ITの時代なので、全く様相は激変する。
したがって、日本の経済成長は、清潔とは一切関係なく、また、違った法則で経済社会は動くのである。
しかし、戦争や不清潔な疫病の蔓延などによる人口減が、ヨーロッパ経済の成長のドライブ要因だったと言うのは、非常に面白い。