この歌舞伎は、「葛の葉」のとも称されている信田の森の白狐の異類婚姻譚の話である。
安倍保名が信田の森で、狩人に追われていた白狐を助ける。その時に怪我をしたのだが、そこに許嫁の葛の葉(時蔵)がやってきて、保名を介抱し見舞っているうち恋心がつのって結婚し、童子という子供をもうけて幸せに暮らしている。ところが、童子が5歳の時に、本当の葛の葉姫を伴って両親が来訪して来たので、女房葛の葉(時蔵)の正体が保名に助けられた白狐であることが分かってしまう。泣きの涙で童子と分かれた葛の葉狐は、次の一首を裏の障子に残して、信太の森へと帰って行く。
”恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉”
この童子が、陰陽師として有名な安倍晴明だと言うのである。
清明は、狐との混血であるから、超能力を持った傑出した陰陽師であるのは、当然であると言う設定であろう。
日本では、狐は、お稲荷さんであり、あっちこっちで、神使の白い狐がシンボルとなっている神社があったり、狐を主人公にした民話や伝説があって、非常に、親しまれたキャラクターであるが、欧米では、狩りの対象としては、超ポピュラーだが、民話になるような異類婚姻譚の話は、殆どなさそうなような気がしている。
この歌舞伎の見どころの一つは、やはり、葛の葉の子別れで、前述の和歌を障子に書き込む時に、左右反転した文字で書いたり、泣き縋る童子を腕に抱きあげて筆を口に銜えて書き上げる「曲書き」のシーンであろうか。
その前に、葛の葉は、狐の本性を現して、童子を寝かせつけていた衝立の屏風や、木戸を、念力で動かしたり、狐詞や狐手を使うなど、工夫がされていて面白い。
もう一つの見どころは、女房葛の葉と葛の葉姫の二役を演じる時蔵の早替りの演技で、世慣れた熟女(?)の女房と、初々しい処女のお姫様とを、殆ど瞬時に演じ分けなければならないと言う難役の至芸である。
舞台の上下に登場しながら、鬘や衣装は勿論、言葉の表現から仕草まで、一気に切り替えなければならないので、外連味だけの早替りだけではダメなのである。
今や歌舞伎界を代表する立女形の時蔵であるから、「曲書き」のシーンも含めて流石に上手く、独壇場の舞台である。
葛の葉と言えば、私も、既に二回観ているのだが、やはり、藤十郎が決定版で、燦然と輝いているのだが、前回観た魁春の葛の葉にしろ、時蔵の葛の葉にしろ、現在進行形の芸であろうから、次からが楽しみである。
子別れの辛さ悲しさ、その断腸の悲痛は、随分、歌舞伎や文楽で描かれている。
「重の井子別れ」「幡随長兵衛子別れ」「先代萩の千松の死」「佐倉義民伝・子別れ」等々、色々のシーンがあるのだが、やはり、子別れと言えば、恐らく最もポピュラーなのが、この「葛の葉子別れ」で、なさぬ仲の「異類婚姻譚」と言う人間と動物の間の別れであるからこそ、丁度、動物報恩譚の一つである「鶴の恩返し」と同様に、観客の涙を誘うのであろう。
「少しも気にしない、戻って来てくれ」と、おろおろしながら、童子丸を背負って、信太の森を目指して追って行く保名の朴訥素朴な坂東秀調の演技が、二枚目からは程遠いのだが、中々、雰囲気を出していて良い。
それに、葛の葉姫の父親・信田庄司の歌橘と庄司妻柵の右之助も、控えめながら品格のある芸を披露していて、話に厚みと幅を加えて面白くしていて好感出来る。
最後の「信田の森道行の場」は、始めて観るのだが、葛の葉が、信田の森へ向かう途中に、奴藤次(宗之助)と藤内(萬太郎)に取り囲まれて、立ち回りを演じて逃げ切ると言う綺麗なシーンである。
前の舞台が、どちらかと言えば、物語性の豊かな劇的なシーンの連続なので、何となく、はぐらかされた感じの見せるシーンなのだが、これも、歌舞伎の歌舞伎たる所以であろう。
ここで、奴の一人を演じていた萬太郎は、時蔵の次男。
前座で、「歌舞伎のみかた」の解説者として登場していたのだが、中々、芸達者で好感の持てる好青年である。
観客の大半は、学生生徒と年寄りだったが、普及版と言う国立の夏の試みと言うことだから、上出来だし、この程度だと、気楽に楽しめるし、入場料2万円と言う歌舞伎座の舞台と違って、大人3800円と1500円で、学生は1300円だから、大衆芸能としての、歌舞伎本来の姿であろうと思っている。
安倍保名が信田の森で、狩人に追われていた白狐を助ける。その時に怪我をしたのだが、そこに許嫁の葛の葉(時蔵)がやってきて、保名を介抱し見舞っているうち恋心がつのって結婚し、童子という子供をもうけて幸せに暮らしている。ところが、童子が5歳の時に、本当の葛の葉姫を伴って両親が来訪して来たので、女房葛の葉(時蔵)の正体が保名に助けられた白狐であることが分かってしまう。泣きの涙で童子と分かれた葛の葉狐は、次の一首を裏の障子に残して、信太の森へと帰って行く。
”恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉”
この童子が、陰陽師として有名な安倍晴明だと言うのである。
清明は、狐との混血であるから、超能力を持った傑出した陰陽師であるのは、当然であると言う設定であろう。
日本では、狐は、お稲荷さんであり、あっちこっちで、神使の白い狐がシンボルとなっている神社があったり、狐を主人公にした民話や伝説があって、非常に、親しまれたキャラクターであるが、欧米では、狩りの対象としては、超ポピュラーだが、民話になるような異類婚姻譚の話は、殆どなさそうなような気がしている。
この歌舞伎の見どころの一つは、やはり、葛の葉の子別れで、前述の和歌を障子に書き込む時に、左右反転した文字で書いたり、泣き縋る童子を腕に抱きあげて筆を口に銜えて書き上げる「曲書き」のシーンであろうか。
その前に、葛の葉は、狐の本性を現して、童子を寝かせつけていた衝立の屏風や、木戸を、念力で動かしたり、狐詞や狐手を使うなど、工夫がされていて面白い。
もう一つの見どころは、女房葛の葉と葛の葉姫の二役を演じる時蔵の早替りの演技で、世慣れた熟女(?)の女房と、初々しい処女のお姫様とを、殆ど瞬時に演じ分けなければならないと言う難役の至芸である。
舞台の上下に登場しながら、鬘や衣装は勿論、言葉の表現から仕草まで、一気に切り替えなければならないので、外連味だけの早替りだけではダメなのである。
今や歌舞伎界を代表する立女形の時蔵であるから、「曲書き」のシーンも含めて流石に上手く、独壇場の舞台である。
葛の葉と言えば、私も、既に二回観ているのだが、やはり、藤十郎が決定版で、燦然と輝いているのだが、前回観た魁春の葛の葉にしろ、時蔵の葛の葉にしろ、現在進行形の芸であろうから、次からが楽しみである。
子別れの辛さ悲しさ、その断腸の悲痛は、随分、歌舞伎や文楽で描かれている。
「重の井子別れ」「幡随長兵衛子別れ」「先代萩の千松の死」「佐倉義民伝・子別れ」等々、色々のシーンがあるのだが、やはり、子別れと言えば、恐らく最もポピュラーなのが、この「葛の葉子別れ」で、なさぬ仲の「異類婚姻譚」と言う人間と動物の間の別れであるからこそ、丁度、動物報恩譚の一つである「鶴の恩返し」と同様に、観客の涙を誘うのであろう。
「少しも気にしない、戻って来てくれ」と、おろおろしながら、童子丸を背負って、信太の森を目指して追って行く保名の朴訥素朴な坂東秀調の演技が、二枚目からは程遠いのだが、中々、雰囲気を出していて良い。
それに、葛の葉姫の父親・信田庄司の歌橘と庄司妻柵の右之助も、控えめながら品格のある芸を披露していて、話に厚みと幅を加えて面白くしていて好感出来る。
最後の「信田の森道行の場」は、始めて観るのだが、葛の葉が、信田の森へ向かう途中に、奴藤次(宗之助)と藤内(萬太郎)に取り囲まれて、立ち回りを演じて逃げ切ると言う綺麗なシーンである。
前の舞台が、どちらかと言えば、物語性の豊かな劇的なシーンの連続なので、何となく、はぐらかされた感じの見せるシーンなのだが、これも、歌舞伎の歌舞伎たる所以であろう。
ここで、奴の一人を演じていた萬太郎は、時蔵の次男。
前座で、「歌舞伎のみかた」の解説者として登場していたのだが、中々、芸達者で好感の持てる好青年である。
観客の大半は、学生生徒と年寄りだったが、普及版と言う国立の夏の試みと言うことだから、上出来だし、この程度だと、気楽に楽しめるし、入場料2万円と言う歌舞伎座の舞台と違って、大人3800円と1500円で、学生は1300円だから、大衆芸能としての、歌舞伎本来の姿であろうと思っている。