この本のタイトルの直訳は、「悪徳の栄え――(不安になる)経済学入門」だと言うことだが、あまり、フランス人経済学者の本を読まないので、レトリックと言ったらよいのか、米英の経済学書に慣れた私には、いくらか、理解に苦しむ部分もあったが、流石に、フランス人であり、博学多識で、米英の最新の経済学書の引用も多くて、幅広い視点からの21世紀のグローバル経済への展望が、非常に興味深い。
翻訳本のタイトルは、1万年史からとなっていて、確かに、経済の誕生から説き起こしているのだが、その経済史や文明論については、幅広く論じていて興味深いが、特に、新鮮味があるわけでもないので、今日の、ICT革命とグローバリゼーションによって大きく変貌を遂げた資本主義を、「ニュー・エコノミー」と捉えて、非物質的商品の生産と収穫逓増の法則と言う形で分析しており、かなり、ユニークなので、その点に限って考えてみたい。
サイバー・ワールドにおける情報・コミュニケーション技術の到来とも言うべき、非物質化する経済が台頭してきた。このニュー・エコノミーは、アダム・スミスやカール・マルクスが打ち立てた経済学の従来のパラダイムに、根源的な変化を迫っている。
数式・記号・分子構造式などに置き換えることが出来る情報の開発コストは、その情報が記録されている物質的な中身を開発するコストよりも、はるかに高額だ。ニュー・エコノミーでは、最初のユニットの製造コストが最も高く、二番目以降のユニット製造コストは安く、極端なケースでは、殆どゼロだ。例えば、医薬品の場合には、開発コストが膨大だが、それに比べて製造コストは極めて低く、また、電子ブックなどは、作品を生み出し電子ブックに乗せるまでにはコストがかかっても、一度電子ブック化すれば、追加コストはゼロに近いと言うことである。
経済学的な観点からは、非物質的なモノの生産には、収穫逓増の原理が働く。
ニュー・エコノミーが登場した過程を振り返ってみると、経済が収穫逓減の農業時代から、収穫一定の工業時代へ、更に、収穫逓増の非物質的なモノの生産の時代へ移行したことが分かる。
このニュー・エコノミーの先端技術は、すべての産業に行きわたり、情報の幅広い拡散、参入障壁の引き下げ、さらに、経済主体間の競争圧力を強化すると言う。
ところで、コーエンの非常に興味深い指摘は、先端技術の保有者に与えられるレントは、農村部における不動産レント(超過利潤)と非常に似ていて、収穫逓増の法則から、主要企業は、他者を引き離し、難攻不落の地位を確保する傾向にあり、マイクロソフト、ヤフー、グーグルなどの企業は寡占化するので、今後、彼らは、競争相手を全く寄せ付けないであろう。
特に、ヨーロッパ系企業にとっては勝ち目がない。非物質的なモノの生産が、どうして裕福な国の比較優位なったのかが理解できると言うのである。
このコーエンの指摘では、非物質的なモノの生産で、最先端技術を開発したイノベーターの快進撃とダントツの利益確保は理解できても、マイクロソフトを見ても、グーグルやフェイスブック、あるいは、アップルなどの追い上げを受けて苦戦しており、その難攻不落であった筈の地位が、新規参入イノベーターの挑戦を受けて、危機に瀕することもあると言う、競争原理の変革など、新しい資本主義のマーケット・メカニズムの変貌については、説明できない。
ところで、この非物質的なモノの生産の時代に突入した今日の資本主義社会においては、アメリカの一人勝ちの天下であって、
テクノロジーや金融だけではなく、文化面でもアメリカの成功、ヨーロッパの劣勢は明白だと言う。勝負にならないと言うのである。
アメリカは、巨大かつ完結した国内市場のお蔭で、娯楽作品に対して幅広い選択肢を自国内で用意でき、国内の競争を勝ち抜いたアメリカの生産者の作品は、次に海外市場においてもベストセラーやブロックバスターになる。
文化産業は、オープンで多様性に満ちていると信じられている世界だが、「スター・システム」と言う原則に基づいて機能しているので、映画・歌・書籍・展示品など、ほんの一握りの作品や興行が一人勝ちする。
情報過多になると、人々は社会的つながりを求め同じものを観たがり、更に、宣伝広告によって全員が観客動員数の多い映画を見るように仕向けられるなど、スター・システムが機能する世界では、勝者が総てを獲得するするモデルであるから、分裂したヨーロッパの勝ち目など、更々ないと言うのである。
もう一つのコーエンの論点は、非物質的なモノのグローバリゼーションは、英語を話すと言う前提のもとに組み立てられている。21世紀のグローバリゼーションは、シリコンバレー発のテクノロジー、ウォール街発のガバナンス規範、そして、ハリウッド発の映画なのである。
ヨーロッパは、産業革命以前は、共通文化であったラテン語を通じて、諸国間の競合が促進され、思想の統一が図らて文化文明を支配してきたが、最近では、各国独自の文教政策を推進していて、研究にしろ文化にしろ、EU共同体間の資源配分も、バランスに配慮した極めて消極的な状態に留まっていて、何処にも中心となるべき拠点がなく、アメリカのように有名大学周辺に、学問文化の中心を築きあげているのとは雲泥の差だと言う。
コーエンの言う、一人勝ちのアメリカに対する、ヨーロッパ文化の劣勢については、今のEUとアメリカとの貿易交渉について考えてみると面白い。
現在、EUは、米国との貿易を自由化する環大西洋貿易投資連携協定(TTIP)の締結交渉開始に向けて協議を開始したのだが、ヨーロッパ文化保護をめぐって難航している。
ハリウッド映画に代表される米文化の侵食を懸念するフランスが、映画制作への補助金や外国作品のテレビ放映制限といった欧州の文化保護政策を交渉のテーブルに一切載せてはならないと文化保護を理由に映画やテレビなどの音響映像サービス分野を交渉対象から外すよう強硬に主張し議論は難航していると言うのである。
先のコーエンの論旨から言えば、いくら、EUが必死になって、フランス映画界の要求を、アメリカに飲ませても、いずれにしろ、このニュー・エコノミーの時代においては、ハリウッド映画が、ダントツのディファクト・スタンダードであって、所詮は、フランス映画も駆逐されてしまって、文化の多様性さえ危うくなる巨大なモノカルチャーの世界になってしまうと言うことであろうか。
私自身は、ハリウッド映画だけの味気ない世界には抵抗感があるし、フランス映画やドイツ映画の名画の記憶も鮮烈だし、フランス映画を守るのは勿論、文化の多様性を、いかなる犠牲を払ってでも、維持すべきだと思っている。
ところで、最後に、コーエンは、最も深刻な問題だとして、地球規模でコミュニケーションが行われる新たな時代における最大の疑問は、迫り来るエコロジー危機に対応して、世界全体に普及させるように、西欧諸国の消費基準を変革できるであろうかと言っている。
経済成長に成功して豊かになれば成るほど、人類は窮地に追い込まれて行く。もう、チッピング・ポイントを越えて、帰らざる河を渡ってしまって、人類に明日はないと言うのだが。
翻訳本のタイトルは、1万年史からとなっていて、確かに、経済の誕生から説き起こしているのだが、その経済史や文明論については、幅広く論じていて興味深いが、特に、新鮮味があるわけでもないので、今日の、ICT革命とグローバリゼーションによって大きく変貌を遂げた資本主義を、「ニュー・エコノミー」と捉えて、非物質的商品の生産と収穫逓増の法則と言う形で分析しており、かなり、ユニークなので、その点に限って考えてみたい。
サイバー・ワールドにおける情報・コミュニケーション技術の到来とも言うべき、非物質化する経済が台頭してきた。このニュー・エコノミーは、アダム・スミスやカール・マルクスが打ち立てた経済学の従来のパラダイムに、根源的な変化を迫っている。
数式・記号・分子構造式などに置き換えることが出来る情報の開発コストは、その情報が記録されている物質的な中身を開発するコストよりも、はるかに高額だ。ニュー・エコノミーでは、最初のユニットの製造コストが最も高く、二番目以降のユニット製造コストは安く、極端なケースでは、殆どゼロだ。例えば、医薬品の場合には、開発コストが膨大だが、それに比べて製造コストは極めて低く、また、電子ブックなどは、作品を生み出し電子ブックに乗せるまでにはコストがかかっても、一度電子ブック化すれば、追加コストはゼロに近いと言うことである。
経済学的な観点からは、非物質的なモノの生産には、収穫逓増の原理が働く。
ニュー・エコノミーが登場した過程を振り返ってみると、経済が収穫逓減の農業時代から、収穫一定の工業時代へ、更に、収穫逓増の非物質的なモノの生産の時代へ移行したことが分かる。
このニュー・エコノミーの先端技術は、すべての産業に行きわたり、情報の幅広い拡散、参入障壁の引き下げ、さらに、経済主体間の競争圧力を強化すると言う。
ところで、コーエンの非常に興味深い指摘は、先端技術の保有者に与えられるレントは、農村部における不動産レント(超過利潤)と非常に似ていて、収穫逓増の法則から、主要企業は、他者を引き離し、難攻不落の地位を確保する傾向にあり、マイクロソフト、ヤフー、グーグルなどの企業は寡占化するので、今後、彼らは、競争相手を全く寄せ付けないであろう。
特に、ヨーロッパ系企業にとっては勝ち目がない。非物質的なモノの生産が、どうして裕福な国の比較優位なったのかが理解できると言うのである。
このコーエンの指摘では、非物質的なモノの生産で、最先端技術を開発したイノベーターの快進撃とダントツの利益確保は理解できても、マイクロソフトを見ても、グーグルやフェイスブック、あるいは、アップルなどの追い上げを受けて苦戦しており、その難攻不落であった筈の地位が、新規参入イノベーターの挑戦を受けて、危機に瀕することもあると言う、競争原理の変革など、新しい資本主義のマーケット・メカニズムの変貌については、説明できない。
ところで、この非物質的なモノの生産の時代に突入した今日の資本主義社会においては、アメリカの一人勝ちの天下であって、
テクノロジーや金融だけではなく、文化面でもアメリカの成功、ヨーロッパの劣勢は明白だと言う。勝負にならないと言うのである。
アメリカは、巨大かつ完結した国内市場のお蔭で、娯楽作品に対して幅広い選択肢を自国内で用意でき、国内の競争を勝ち抜いたアメリカの生産者の作品は、次に海外市場においてもベストセラーやブロックバスターになる。
文化産業は、オープンで多様性に満ちていると信じられている世界だが、「スター・システム」と言う原則に基づいて機能しているので、映画・歌・書籍・展示品など、ほんの一握りの作品や興行が一人勝ちする。
情報過多になると、人々は社会的つながりを求め同じものを観たがり、更に、宣伝広告によって全員が観客動員数の多い映画を見るように仕向けられるなど、スター・システムが機能する世界では、勝者が総てを獲得するするモデルであるから、分裂したヨーロッパの勝ち目など、更々ないと言うのである。
もう一つのコーエンの論点は、非物質的なモノのグローバリゼーションは、英語を話すと言う前提のもとに組み立てられている。21世紀のグローバリゼーションは、シリコンバレー発のテクノロジー、ウォール街発のガバナンス規範、そして、ハリウッド発の映画なのである。
ヨーロッパは、産業革命以前は、共通文化であったラテン語を通じて、諸国間の競合が促進され、思想の統一が図らて文化文明を支配してきたが、最近では、各国独自の文教政策を推進していて、研究にしろ文化にしろ、EU共同体間の資源配分も、バランスに配慮した極めて消極的な状態に留まっていて、何処にも中心となるべき拠点がなく、アメリカのように有名大学周辺に、学問文化の中心を築きあげているのとは雲泥の差だと言う。
コーエンの言う、一人勝ちのアメリカに対する、ヨーロッパ文化の劣勢については、今のEUとアメリカとの貿易交渉について考えてみると面白い。
現在、EUは、米国との貿易を自由化する環大西洋貿易投資連携協定(TTIP)の締結交渉開始に向けて協議を開始したのだが、ヨーロッパ文化保護をめぐって難航している。
ハリウッド映画に代表される米文化の侵食を懸念するフランスが、映画制作への補助金や外国作品のテレビ放映制限といった欧州の文化保護政策を交渉のテーブルに一切載せてはならないと文化保護を理由に映画やテレビなどの音響映像サービス分野を交渉対象から外すよう強硬に主張し議論は難航していると言うのである。
先のコーエンの論旨から言えば、いくら、EUが必死になって、フランス映画界の要求を、アメリカに飲ませても、いずれにしろ、このニュー・エコノミーの時代においては、ハリウッド映画が、ダントツのディファクト・スタンダードであって、所詮は、フランス映画も駆逐されてしまって、文化の多様性さえ危うくなる巨大なモノカルチャーの世界になってしまうと言うことであろうか。
私自身は、ハリウッド映画だけの味気ない世界には抵抗感があるし、フランス映画やドイツ映画の名画の記憶も鮮烈だし、フランス映画を守るのは勿論、文化の多様性を、いかなる犠牲を払ってでも、維持すべきだと思っている。
ところで、最後に、コーエンは、最も深刻な問題だとして、地球規模でコミュニケーションが行われる新たな時代における最大の疑問は、迫り来るエコロジー危機に対応して、世界全体に普及させるように、西欧諸国の消費基準を変革できるであろうかと言っている。
経済成長に成功して豊かになれば成るほど、人類は窮地に追い込まれて行く。もう、チッピング・ポイントを越えて、帰らざる河を渡ってしまって、人類に明日はないと言うのだが。