熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

七月花形歌舞伎・・・「東海道四谷怪談」

2013年07月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎座も、柿葺落で3か月続いた特別公演も終わった所為か、大分、落ち着きを取り戻してきた感じである。
   しかし、相も変わらないのが、メトロ駅に繋がっている歌舞伎座地下の木挽町広場で、観光客でごった返している。
   そんなに広い訳でもないし、特別な店があるとも思えないのだが、やはり、オープン前のマスコミ報道人気の継続であろうか。

   さて、今回観たのは夜の部の通し狂言「東海道四谷怪談」で、私には、二回目の鑑賞である。
   前回は、吉右衛門の民谷伊右衛門、中村福助のお岩であったのだが、今回は、花形歌舞伎と言うことで、染五郎の伊右衛門、菊之助のお岩であり、それに、直助権兵衛が松緑、お岩の妹お袖が梅枝、お梅が尾上右近であるから、若返った舞台と言うことである。

   この鶴屋南北の「東海道怪談」は、「仮名手本忠臣蔵」の世界を用いた外伝ということで、忠臣蔵は冬、四谷怪談は夏に、歌舞伎の舞台にかかっていたようだが、
   「東海道四谷怪談」の方は、箸にも棒にもかからない色悪の塩谷の家臣伊右衛門が、産後の肥立ちが悪くて病床のお岩を邪険に扱って苦しめ、こともあろうに、この伊右衛門を見初めて恋い焦がれている隣家のお梅に添わそうと、その祖父伊藤喜兵衛(実は、高家の家臣:團蔵)と母である後家お弓(萬次郎)が、産後の肥立ちに効く妙薬だと言って、お岩に飲ませて殺害する(実際は醜くすると言うことだったが、芝居では誤ってお岩は死ぬ)と言う話がメインであるから、実に、陰惨で暗い。
   この伊右衛門は、仕官を条件にあっさりと祝言を認めて、その夜お岩が死ぬと、自宅に新嫁としてお梅を迎えると言う鉄面皮であるから驚く。
   

   しかし、鶴屋南北ともあろう大戯作者が、いくら、流布していたお岩伝説や不倫の男女が戸板に釘付けされて神田川に流されたと言う話を題材にして、忠義忠義で湧いていた忠臣蔵物語の裏をかいて、こんな悲惨な物語を、安易に書く筈がないと言うのが、私の関心であった。
   平家物語を基にして書かれた多くの平家の末路の話にしてもそうだし、このお家取り潰しにあって断絶した浅野の家臣たちのその後にしてもそうだが、美談(?)の陰には、筆舌に尽くしがたい苦難と言うか、時には、人間性を否定さえして生きて行かなければならなかった人々がいた筈であり、その断末魔の苦しみ・命の叫びを、南北は、芝居にして叩きつけたかったのではないかと思っている。
   この四谷怪談には、公金横領を筆頭に善の一かけらもない徹底した極悪人伊右衛門や、お袖をものにしたいばかりに許嫁の佐藤与茂七(菊之助)を殺害する直助、それに、孫娘に添わせたいばかりにお岩を平気で殺める喜兵衛やお弓と言った、どうしようもない極悪人キャラクターを登場させているのも、その為であろう。

   ところで、この芝居では、特に、お岩が毒薬を飲んで、顔半分が醜く腫れ上がり、隣家にお礼参りに行こうとして、髪を梳きながら、どんどん毛が抜けて行き、最後には、柱に刺さった短刀に喉を居抜かれて悶え死ぬところ(二幕目・伊右衛門浪宅の場)が、注目のシーンで、菊之助は、たっぷりとした髪を何度も何度も丁寧に前に梳き上げて、苦悶の表情を見せて、実に哀れで感興をそそる。
   そして、お馴染みの注目の「提灯抜け」や「仏壇抜け」も期待どおりの面白さで満足であった。

   もうひとつ、菊之助が3つの役を演じていて、その二役お岩と小仏小平の死体を、一枚の戸板の表裏に釘付けにしたのが漂着し、伊右衛門がその両面を反転して見て執念に驚く戸板返し(三幕目・砂村隠亡堀の場)も意表をついて面白い。
   これは、同じ人物が裏表で登場するので、早変わりのように思えて吃驚するのだが、実際には、それぞれの役の衣裳が、あらかじめ戸板の表裏につけてあり、戸板にあけられた穴から顔を出すだけなので、戸板を裏返すと同時に早替りとなると言う寸法のようである。
  
   ところで、伊右衛門は、お岩の妹お袖の夫佐藤与茂七(菊之助)に殺されて仇を討たれるのだが、この舞台では、対決シーンの始まりで幕となっている。
   この敵討の後、与茂七(矢頭右衛門七だと思う)は、高師直邸に向かって、主君の仇を討つと言う段取りのようである。

   伊右衛門を演じた染五郎だが、ニヒルな表情が実に良く、颯爽とした色悪で、素晴らしい舞台を見せてくれたのだが、あまりにも、整い過ぎて、アクドサ、嫌味、エゲツナサなどと言った吐き気を催すような極悪人伊右衛門像が見えなくて、綺麗な舞台に終わってしまっていたように感じた。
   そして、菊之助は、何時も、天性の役者として生まれてきた稀有な歌舞伎役者だと思って見ており、今回演じた立役の素晴らしさも絶品なのだが、やはり、美し過ぎて、お岩のイメージの役者ではないように思いながら見ていた。それに、醜く腫れあがった顔だが、メイクではなくて、ファントム・オペラのようにマスクを付けた感じだったので、岩の凄さ醜さ迫力が出て来なくて、これも、拍子抜けであった。
   松緑の直助だが、貴重な役どころで、中々、雰囲気を出していて上手いと思っているのだが、何故、台詞回しも含めて、いつまでも一本調子の素人ぽさが抜けないのか、不思議に思っている。
   お梅の右近、お袖の梅枝ともども、実に雰囲気のある女性を演じていて、素晴らしかったし、奥田庄三郎の亀三郎の存在感も貴重である。
   何よりも、この舞台を素晴らしい芝居にしていたのは、四谷左門の錦吾、按摩宅悦の市蔵、そして、萬次郎、團蔵と言ったベテランの脇役の貢献で、危なげのない芝居の安定感が何とも言えないほど有難い。
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