熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

七月花形歌舞伎・・・「加賀見山再岩藤」

2013年07月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昼の部の通し狂言は、「加賀見山再岩藤」。
   これは、「加賀見山旧錦絵」の後日譚で、討たれて死んだ筈の悪辣な局岩藤が、墓場に野ざらしにして捨て置かれた骨から復活して、元の姿になって中空に舞い上がる、俗に、「骨寄せの岩藤」と称される河竹黙阿弥作の「加賀見山旧錦絵」のパロディ版だと言う。

   私は、お家騒動の陰に展開される逸話の数々も面白いし、中臈尾上と召使お初と、局岩藤とのこってりとした女の戦いを軸にした「鏡山」の方が、芝居としては上出来であるような気がする。
   この歌舞伎は、玉三郎や時蔵の中老尾上、仁左衛門、菊五郎、海老蔵の局岩藤、勘三郎、菊之助、猿之助の召使お初の舞台を観ているのだが、中々、味と芸に深みがあって面白かった。

   今回の「骨寄せの岩藤」の方は、蛍光色に光った岩藤の骨が少しずつ動き出して寄せ集まったり、岩藤が宙乗りしたり、弾正と尾上の対決の絢爛豪華な金殿が急に暗転して弾正の姿は消え、岩藤の亡霊があらわれて草履で尾上を打ち据える等々工夫や演出としては面白いが、お家乗っ取り騒動と世話物風の鳥井又助内切腹の場の混在ぶりが少し話を錯綜させているようで、私自身は、一寸、違和感を感じた。
   この歌舞伎の題名は、「かがみやまごにちのいわふじ」と読むので、主題は、墓場に散乱していた骨が、討った張本人のお初(二代目尾上)が、回向しようと念仏を唱え始めると、一斉に寄り集まりやつれ果てた岩藤の姿になって、次の場では、元の局姿で中空に舞うと言う岩藤の話である筈だが、登場するシーンは、所詮、亡霊の姿であって、最後に、岩藤の亡霊が現われて、恨みのある尾上を取り殺そうと襲いかかるようだが、省略されていたので、岩藤の霊の存在感が良く分からなかった。

   私としては、きっちり芝居になっている「鳥居又助内切腹の場」が、一番興味深かった。
   鳥居又助(松緑)は、追放となって病のため足萎えとなって病床にいる主人求女(松也)を匿っている。求女を愛する又助の妹おつゆ(梅枝)は、健気に世話を焼くのだが、朝鮮人参100両の薬代のために苦界へ身を沈める決心をする。又助もそれを許し、それを聞いていた求女は、全快したら必ず請け出して女房にすると約束。
   そこへ、浅野川の岸で拾ったという求女の刀(又助が暗殺に使った)の鞘を持って家老の安田帯刀(染五郎)がやってきたので、お柳暗殺の手柄で主人の帰参がかなうのか、と喜ぶ又助に、望月弾正(愛之助)に騙されて暗殺したのは、お柳の方(菊之助)ではなく多賀大領(染五郎)の正妻お梅の方(壱太郎)であったと知らされたので顔面蒼白。主人によかれとしたことが逆にアダとなって大変な過ちだったと知り、切腹の覚悟を決め、目の不自由な弟の志賀市(玉太郎)が弾く琴の音を聞きながら、切腹し、求女のお家帰参、妹弟の行く末も請け合うという帯刀の言葉に安堵して息絶える。

   この舞台の主役は、当然、又助の松緑だが、単純明快な演技が冴えていて中々味があって上手い。
   この松緑は、岩藤の霊も演じていて、凄みも中々のもので、初めて上臈風の女形姿を見たのだが、目力があるので、雰囲気もあり、将来、八汐や「鏡山」の岩藤などの舞台を観たいと思った。

   また、おつゆの梅枝のしみじみとした情のある演技は秀逸で、控えめながらしっとりと聞かせる求女の松也、それに、琴の演奏も堂に入った芸達者な又助弟志賀市の玉太郎が、素晴らしく、この舞台を観るだけでも、値打ちがあると思って観ていた。
   
   さて、染五郎は、今回は、お殿様と家老の二役で、最もくらいの高い役なので、鷹揚で品格のある役柄を、無難にこなしていて、好感が持てた。
   面白いのは、お家乗っ取りを図る悪人・望月弾正を演じた愛之助だが、今、放映中の「半沢直樹」の嫌味たっぷりの国税庁役人の嫌らしさとダブって、非常に鮮烈な印象を与えていた。
   二代目尾上とお柳の方を演じた菊之助だが、この歌舞伎では、中途半端な役作りなので、持ち味が出せず、気の毒な役回りである。
   尾上も岩藤の霊にせめられるのだが、中途半端だし、お柳は、大領の愛妾でありながら、お家乗っ取りを図る弾正の実質的妻で身籠っており、その子を世継ぎにしようとの陰謀なのだが、そのあたりの悪も中途半端だし、やはり、3時間の通し狂言にしようと思えば、随所に皺寄せが来るのであろうか。

   
コメント
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