熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

本の沢山ある家の子は教育年限が長い

2013年07月02日 | 学問・文化・芸術
   このタイトルは、T・フリードマンとM・マンデルバウムの「かっての超大国アメリカ」で、「27ヵ国における学問文化と教育の成果」と題する米豪4人の研究者の20年間のデータを引用して語られている要約である。

   もう少し、この部分を詳しく引用すると、次のようになる。
   ”本がたくさんある家の子は、本がない家の子より、3年長く教育を受ける。これは、親の受けた教育、職業、階級とは関係がない。このことは、親にあまり教育がなくても子供が大学教育を受け、親が低スキルであっても子供が知識職業に就くなど、極めて大きな利点になっている。豊かな国でも貧しい国でも同じで、過去も現在も変わりなく、共産主義、資本主義、アパルトヘイトのいずれでも見られる。そして、中国で最も顕著である。
   この研究は、さらに、家に500冊かそれ以上の本がある中国の子供は、本がない家の子供より6・6年長く学校教育を受けると述べている。家に本が20冊あるだけでも、はっきりと分かる差が生じる。”

   この指摘は、一般論としても、分かるような気がするので、恐らく正しいのであろう。
   最近では、電子ブックの登場やインターネットなど別媒体の普及で、日本人の本離れが急で、東京の中心街でも、あっちこっちで、大型書店が閉店に追い込まれているのを見ているので、これが真実だと、別な意味で、教育にとってネガティブ要因となるのではないかと言う心配が起こる。

    私は、4年前に、このブログで「本を読まない日本の大人、特に四国人」と言う記事で、
   ”日経のセミナーで、法政大諏訪康雄教授が、学力低下は子供だけではない・・・として、文化庁の国語に関する世論調査「読書量の地域格差」を示して、日本の大人が、如何に本を読まないかを示した。
   月に一冊も本を読まない大人が、全国平均38%もいて、四国は最悪でダントツに悪く、60%もの人が本とは全く縁がないと言うのである。
   仕事や生活によって本と関わりのある人がかなりいるであろうから、極論すれば、四国の普通の人は、平生は本など全く読まないと言うことであろう。”と書いた。
   本と言うだけで、その質を問うていないので、色々な本があり、その実際の知的文化水準は、かなり低いのではないかと言う思いがして、日本の凋落と考え合わせると、背筋が寒くなって来る。

   同じことを、ジェフリー・サックスが、「世界を救う処方箋」の中で憂えている。
   ”若者の間では、読書を楽しむ習慣が消え、書籍の購入は10年ほど前から急速に減り始め、アメリカ人が読書をしなくなり始めて、基礎的な知識を持たない人が増えてきた。特に気候変動のような政治論争の的になっているような問題について、科学的な事実を知らない人が多すぎる。読書力も急激に落ち込んでいる。
   新たな「情報の時代」と言われる今、実は国家の重大事と言う時に、市民として私たちも危機に直面している時に、国民の間で、基礎知識の崩壊が起こっている。”と言うのである。

   ”アメリカ人の大多数に基礎知識が欠けていると言うことは論証されてる。歴史や公民について殆ど知らず、本を読んだことも博物館に行ったこともない人の、知識から隔絶した考えが急速に一般論として広まると言うのは恥知らずの事態である。
   連邦予算の赤字解消や人間が原因の気候変動への対策に取り組むと言った難題に取り組むべき時に必要不可欠な知識を十分に共有することができなければ、私たちの市民としての資格は完全に崩れ落ち、正しい情報を持たない国民は、プロパガンダによって簡単に動かされ、ワシントンを陰で操る特殊権益団体のずるがしこい策略にあっさりと引っかかる。”
   正に、民主主義とアメリカの美徳の崩壊だと危機意識をつのらせているのである。

   さて、前述のケースでの中国の件だが、これは、戦後成長期の日本がそうであったように、国民全体が勉強意欲に燃えている段階で上昇志向が強いのだが、アメリカも日本も、社会そのものが成熟段階に達すると、苦労をしてまで本を読んで勉強や知識情報を得なくても、と言う気持ちになってしまうのであろう。
   経済面でも文化面でも、先進国の凋落現象であり、新興国の追い上げを受けると言うことである。
   

   知識や情報を得るためには、いくらでも、手段や方法があり、本に拘ることもないと思うのだが、テレビやラジオと言った放送媒体や講演の聴講などよりは、かなり、意志力の強さなど努力を要するので、その分、効果が高いような気がする。
   電子ブックやインターネットは、媒体の違いだけで、活字を読むと言う意味では同じなので、かなり、本を読むのに近い効果があるのであろうが、私の場合には、電子ブックは使っていないので、インターネットだが、やはり、本のように、付箋を貼ったり傍線を引いたり書き込んだりしないので、非常に、刹那的な付き合いのようで、しっくりと行かないような気がしている。

   今日、時事が、MM総研(東京)の調査を基に「電子書籍端末42.4%増=アマゾン上陸で―2012年度」と報じていた。
   同時に、Impress Watchが、「2012年度の電子書籍端末は47万台出荷、コンテンツは270億円規模」と報じており、伸び率は高いが、元々、基数が低いので、紙媒体の低落数を補うと言った性格のものではないが、しかし、本離れに対する新しい傾向なので、将来、どのような展開をするのか、楽しみでもある。
   尤も、同じMM総研のレポートを基に、朝日は、「電子書籍端末、出荷伸び悩む 昨年度47万台」と報じているのが面白い。”MM総研は12年度の出荷台数を93万台と予想していたが、使い道が広いスマホやタブレット端末が普及し、電子書籍専用端末は伸び悩んだ。13年度の出荷も12年度比10・6%増の52万台にとどまる見込みだ。”と言うのである。携帯にやられて、デジカメの売り上げが減退していると言う同じ現象で、専用機器は、総合的なマルチ機器に劣ると言うことであろうか。


   手元に、電子ブック端末一つ持てば、どんな本でも、その端末で瞬時に楽しめると言う利点があるのだろうが、私のような古い読書ファンは、分かっていても、実際に書店に行って、本の顔を見て、手で触れて確かめないと、本に愛着を感じないと言うようなところがあるので、読みさえすれば良いと言うのとは、少し、違うのである。
   いずれにしろ、本に囲まれて生きると言うのは、文明人の証のような気がして生活をしているので、自己満足ではあるが、ハッピーだと思っている。

コメント
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