もう、30年以上も前になるが、ブラジルへの赴任を終えて帰って来た翌年に、長女のために、日本橋に行って、久月で、五段飾りのひな人形を買った。
その後、5年くらいは、毎年、2月には、このひな人形を出して、和室に飾って、ささやかなお祭り気分を楽しんでいた。
それから、ヨーロッパに赴任したので、他の家財一式と会社の保管所に預けていたので、10年くらいは、ひな人形なしの生活を送ってきた。
尤も、出張で帰国した時に、小さな卓上型のひな人形を買って帰っていたので、3月3日には、それを飾って、節句を祝った。
帰国してからは、娘たちも大きくなっていたので、それ程、熱心ではなくなり、夫々、娘たちが独立して家を離れてからは、ひな人形を出せない年もあった。
しかし、孫たちは、男の子なのだが、やはり、五月の端午の節句は、それなりに祝うとしても、やはり、五段飾りのひな人形を飾るのは、結構、華やかな感じで、家族のイベントとしては、格好の機会なので、家族が集まる良い機会でもあると思って、毎年、娘たちを主役にして、節句の集まりを楽しんでいる。
明日の三月三日は、残念ながら、孫の学校や現役の娘たち夫婦の都合で一堂に会せないので、今日の夕刻に時間を合わせて、一家8人が集まって、会食をして、記念写真を撮った。
その後、上の中学生の孫が、百人一首が好きなので、全員で、カードを囲んだ。
私などは、やったことがないので、途惑ったが、結構、良く知っている歌などが、ポンポン飛び出してくるので、何となく懐かしさを感じた。
皆、鎌倉に住んでいるので、集まるのは簡単な筈だが、夫々のリズムで、夫々の生活をしているので、時間を合わせて、集まるのは、結構難しい。
私たち、老夫婦も、それなりに親たちとの生活の中から伝統やしきたりを引き継いで生きて来ており、正月がどうだとか、節句とは何かといったような詳細には触れなくて、全く、我流だと思うのだが、何らかの形で、そのような生活のリズムのようなものを、子供たちや孫たちに伝えて行ければ良いと思っている。
それに、正月や節句や孫たちの誕生日など、何かの記念日には、意識して写真を撮っているのだが、これが、一種の定点写真となって、家族の生活の変化などが克明に分かって興味深いのである。
今日も、楽しい家族の集いを送れたので、また、明日から頑張ろうと言う気持ちになれたので、生活のリズムを刻むと言う意味からも、非常に良いチャンスだったのである。
その後、5年くらいは、毎年、2月には、このひな人形を出して、和室に飾って、ささやかなお祭り気分を楽しんでいた。
それから、ヨーロッパに赴任したので、他の家財一式と会社の保管所に預けていたので、10年くらいは、ひな人形なしの生活を送ってきた。
尤も、出張で帰国した時に、小さな卓上型のひな人形を買って帰っていたので、3月3日には、それを飾って、節句を祝った。
帰国してからは、娘たちも大きくなっていたので、それ程、熱心ではなくなり、夫々、娘たちが独立して家を離れてからは、ひな人形を出せない年もあった。
しかし、孫たちは、男の子なのだが、やはり、五月の端午の節句は、それなりに祝うとしても、やはり、五段飾りのひな人形を飾るのは、結構、華やかな感じで、家族のイベントとしては、格好の機会なので、家族が集まる良い機会でもあると思って、毎年、娘たちを主役にして、節句の集まりを楽しんでいる。
明日の三月三日は、残念ながら、孫の学校や現役の娘たち夫婦の都合で一堂に会せないので、今日の夕刻に時間を合わせて、一家8人が集まって、会食をして、記念写真を撮った。
その後、上の中学生の孫が、百人一首が好きなので、全員で、カードを囲んだ。
私などは、やったことがないので、途惑ったが、結構、良く知っている歌などが、ポンポン飛び出してくるので、何となく懐かしさを感じた。
皆、鎌倉に住んでいるので、集まるのは簡単な筈だが、夫々のリズムで、夫々の生活をしているので、時間を合わせて、集まるのは、結構難しい。
私たち、老夫婦も、それなりに親たちとの生活の中から伝統やしきたりを引き継いで生きて来ており、正月がどうだとか、節句とは何かといったような詳細には触れなくて、全く、我流だと思うのだが、何らかの形で、そのような生活のリズムのようなものを、子供たちや孫たちに伝えて行ければ良いと思っている。
それに、正月や節句や孫たちの誕生日など、何かの記念日には、意識して写真を撮っているのだが、これが、一種の定点写真となって、家族の生活の変化などが克明に分かって興味深いのである。
今日も、楽しい家族の集いを送れたので、また、明日から頑張ろうと言う気持ちになれたので、生活のリズムを刻むと言う意味からも、非常に良いチャンスだったのである。